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  • 三島由紀夫初期作品感想

    三島由紀夫の主に初期作品の感想です。 ここで扱えていない「酸模」「苧莵と瑪耶」「軽皇子と衣通姫」「岬にての物語」なども優れた短編です。 すべて新潮文庫で読めます、よければぜひ読んでください。

  • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想

    三島由紀夫「憂国」以後の短編の感想をまとめています。読むときの参考になれば幸いです。

最近の記事

「有明の別れ」―幻の異性装物語―

※性的な話題を含みます 前書はだいたい原稿用紙10枚ほどの文量がある。素人の私論で人生の貴重なひとときをドブに捨てたいなら無理に止めはしないが、 「作品紹介」を読めば本作「有明の別れ」のあらましは分かるように書くから、作品について知りたい方はそこだけ読んでほしい。 前書―禁忌とは何か―「チャタレイ夫人の恋人」裁判をご存知だろうか。 今から考えるとトンチキな裁判だが、ロレンスという(今やヘンリー・ミラー同様忘れさられた)性描写を赤裸々に書いた作家の作品を翻訳した伊藤整が公共

    • 源氏物語偽作「山路の露」

      前書きさっそくタイトルに反し申し訳ないが、おそらく作者に「偽作」の意識はなかったと思われる。よって岩波文庫のタイトル通り「補作」が正しいはずだ。 何しろ、この時代に作者と作品を一対とする認識はなかった。そのため読者はときに物語の続きを気ままに書き足した。 結果、異稿が出まくり、決定稿の成立が困難になるケースもあった(確か平安後期物語の「狭衣物語」がそう)。 「源氏物語」が現在ほぼ確定した形で残っているのも、藤原定家が決定稿を作った(それ自体はほとんど散逸しているが)ことに起

      • 最近読んだ本

        ざっくり言うと、 ①小砂川チト・川野芽生両氏は現代を生きている女性がどんな物を書いているか知りたくて読んだ。 ②フィリップ・ロスは半ば惰性で読んだ。ユダヤ系の作家だ。 ③藤原定家?は「松浦宮物語」(タイトルは遣唐使で唐土に向かった息子を待つ母親が建てた宮殿に由来)という謎の古典の感想。 ④佐藤友哉氏はトンチキ小説が読みたくて読んだが、思ったよりずっと面白かった。こういう小説が書いてみたいと自然に人に思わせる作品だ。 小砂川チト「家庭用安心坑夫」「猿の戴冠式」どちらもかなり奇

        • 梶井基次郎「蒼穹」

          雑談なんかこう、張り切られすぎると逆に引いちゃう心理が人間にはある。さくらももこ氏の「ちびまる子ちゃん」にもそんな話が出てきた(あれはなかなか人間風刺の効いた作品である、世が世ならスウィフトと並び称されていただろう)。 徒然草にも張り切り屋の失敗談がある(坊主連が稚児を楽しませようと弁当だったっけ、を紅葉の下だかに埋めるも持ち去られてしまうのである)。 梶井基次郎の文章もまさにそれで張り切り過ぎである。 最近の作家だと川上未映子氏もそうだが、詩的才能のある作家の文章には

        「有明の別れ」―幻の異性装物語―

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        • 三島由紀夫初期作品感想
          16本
        • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想
          21本

        記事

          三島由紀夫「中世」

          本作「中世」は三島由紀夫が「王朝もの」を書くだけ書いた後に書かれた「中世もの」に当たる。「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」や「菖蒲前」(それぞれ以前扱った、暇なら読んでほしい)を通じて、「金閣寺」まで繋がる系譜かと思われる。 読んだ感想としては、あれあれ、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」―華やぎの不在が大きい空虚となり逆説として輝く―そんな感じ。 ではまあ、ぼちぼち書いていく。 主人公は足利義政。彼の妻の日野富子は日本三大悪

          三島由紀夫「中世」

          三島由紀夫「菖蒲前」

          菖蒲前 本作は鵺退治で知られる源頼政と側室の菖蒲御前の物語で、タイトルは彼女の名から。 なお頼政は酒呑童子伝説で知られる源頼光の玄孫(孫の孫)に当たる。化け物退治の才覚も隔世遺伝するのだろうか。 本題に戻ると、三島の初期作品の常として書き出しが素晴らしい。少し長いが雰囲気を掴むため引用する。 以下、「序」「破の一段」「破の二段」「破の三段」「急」の五幕それぞれで筋を追っていく。 序 ここでは、主に頼政と菖蒲前の極めて特殊な感情の交流が語られる。 菖蒲前は「消えも入り

          三島由紀夫「菖蒲前」

          三島由紀夫「肉体の学校」「複雑な彼」

          三島由紀夫の通俗小説に、今さら読む意味を見出す人間はほとんどいないだろう。 実際筆者が単なる物好き/マニア的な興味から読んでいると言われても文句は言えない。 ただ、改めて言えば1963年発表の「肉体の学校」及び1968年発表の「複雑な彼」は、どちらも小説の技法として小慣れてスマートであり、一種「消耗品」としての美しさを保っている。 そう、筆者は思うが、「百年残る文学」などいう大義名分を掲げたときから文学は駄目になった。消耗品で結構、羽より軽い虚構で結構。その軽さが思いがけぬ何

          三島由紀夫「肉体の学校」「複雑な彼」

          最近読んだ海外文学と詩

          まずはフィリップ・ロス「いつわり」(1990年発表)。200ページそこそこの作品だが、読むのにすごく疲れた。  意欲作っちゃ意欲作で、フィリップ・ロスを思わせる作家の情事の様子を会話文だけで書いた実験的なオート・フィクションなのだが、中身は「ユダヤ人性とは……」云々(と生活に疲れた中産階級女性とのロマンを欠いた情事)であり、貧乏弁当そっくりの国旗を掲げる国に住む筆者には、その重要性がピンとこないのである。 強いて面白かったとするなら以下の下りとか。 次がオルハン・パムクの「

          最近読んだ海外文学と詩

          三島由紀夫「哲学」

          前半部 宮川という男はひどい「無感動」、洒落て言えば「ニル・アドミラリ」の体現者であり、哲学だけに打ち込む「勤勉な学生」である。 そんな彼の「心胆をはじめて寒からしめ」たのは、「胸の高さぐらゐある屋上の囲ひの上へ(略)とび上つて、幅一二尺(※30〜60cm)のところを両手を鳶のやうにひろげて平衡をとりながら渡りはじめた」「命しらずな女学生」の姿だった。 後日彼は女学生に直々、「(略)あの危い真似を明日から止めてくれませんか。(略)」と申し出、それは聞き入れられる。 後半部

          三島由紀夫「哲学」

          三島由紀夫「白鳥」

          本作に本物のハクチョウは出てこない。これは「N乗馬倶楽部」の「純白の馬」の名前なのだ。 邦子には前々から「雪の朝(略)白鳥を乗り回したい」という望みがあって、「白いウールの乗馬服、白い乗馬袴(略)手袋まで白キッド」と白づくしの衣装で乗馬クラブに向かうのだが、その「夢心地が倶楽部の休憩室へ入つたとたんに崩れてしまつた」。 というのは、白鳥には高原という「むつつり屋の青年が」乗っていたせいである。 ところが、高原はすんなり白鳥の背を譲り、彼は栗毛の馬に乗り換えてくれる。 こうな

          三島由紀夫「白鳥」

          三島由紀夫「接吻」「伝説」

          当記事で扱う作品は「接吻」「伝説」の二篇。三島の柔らかな部分が特によく出た作品群である。 特に「伝説」は、読むたび心がふわりと明るくなる。よければそこだけでも読んでくれると嬉しい。 接吻 「一体この詩人は何を考へてゐるのだらう。」 自然なユーモアから始まる本作は、読む限りこんな話だ。 「心優しいヘボ詩人Aがあるお嬢さんに告白し、キスしようとするもほろ苦い土産と引き換えに失敗する……」 お嬢さんは「たくさんの男友達を持つてゐ」る自称絵描きで、「灯りの下でしか画を描かない

          三島由紀夫「接吻」「伝説」

          三島由紀夫「婦徳」

          婦徳あらすじ。 ①佐伯と顕子は今夜、不義の恋を果たそうとしている。だが顕子は「私に操を破つたといふ幻影をまづ与えて」ほしいと要求し、佐伯はやむなく応じ一時間後に再び訪れることを約束する。 ②顕子は「操を破つたといふ幻影」を自らに与えるため、部屋に不倫の証を人為的に残す。 ③しかし夫が帰ってきてしまう。二人の逢瀬は破綻し、また夫も顕子によって人為的に作られた不貞の証拠―「落ちちらばつたヘア・ピン」やら「窓枠におちてゐる煙草の灰」やら―を見つけてしまう。 ④夫は言う。 「顕子、

          三島由紀夫「婦徳」

          三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」ほか一篇

          前書き 戦前の三島の作品は読むのが難しい。結局は筆者の読みたい方向に寄せているだけに思えて不安にもなる。 そのため、筆者は先に作品の方向性を確かめ読んでいる。もし読み間違っていたとき間違いがどこにあったか明白にするためである。 今回、「中世に(略)」及び「エスガイの狩」を扱うが、両作品に通じるのは極めて明晰な文体である。「花ざかりの森」系列に位置する朦朧とした文体ではなく、鋼の板のような文体。 また三島由紀夫本人が「花ざかりの森」と「中世に(略)」を比べ、後者を評価す

          三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」ほか一篇

          三島由紀夫「檜扇」

          雑談 突然他作家への他作家の話から始めて申し訳ないが、中上健次という作家が谷崎潤一郎を評して「物語のブタ」と呼んだのはご存知だろうか。 物語というものは、ある価値のヒエラルキーを内包し、貴賤・上下・善悪……を続々と生み出していく。 かつてこれを批判する、「物語批判」なるものがポストモダン批評と持て囃されたが、彼らが忘れているのは人間が快楽を欲する生き物という事実である。単純な構図でもぞんざいな論理でも、人は派手なバトルシーンを見たらドキドキするし、美しい横顔のカットが胸に

          三島由紀夫「檜扇」

          三島由紀夫「曼陀羅物語」他一篇

          曼陀羅物語 主に真言宗で用いられる、様々な仏たちの図であり、ユングに集合的無意識を気づかせた。 本題。 「むかしあるところに仏教の栄えてゐる王国があった。」―昔話風の語り出しからこの国の人々が「王の誕生日の祝ひに」唯一無二の曼陀羅を創ろうと切磋琢磨していることが明かされる。 その後は二流詩人の美しい抒情文が塗りたくられ―「ゆく雲の翳を悲しんでゐる邑々」だの「朝のひかりが最後の星のまたたきをふきけした灝気(筆者注:清々しい空気のこと)のやうなしののめ」だの―るも、結末は

          三島由紀夫「曼陀羅物語」他一篇

          三島由紀夫「にっぽん製」「恋の都」

          三島の娯楽小説は(ほぼ)つまらない。「命売ります」はそれなりだが二度は読めない。 ただこの前読んだ「複雑な彼」が面白く(今度「肉体の学校」とまとめて扱うつもりだ)、その勢いでパッパラパッパラ読んでしまった。 読んだからには書く。書くが読むに足る中身はなく、単に機知が富んでいたり、個性の煌めきが覗けたりする落ち穂を拾う記事である。了承願いたい。 にっぽん製服飾デザイナーの美子と柔道家の正。彼らの恋路の模様や如何に……という筋立てだがつまらない。 三島の小説の定型に、A/Bと

          三島由紀夫「にっぽん製」「恋の都」