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  • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想

    三島由紀夫「憂国」以後の短編の感想をまとめています。読むときの参考になれば幸いです。

最近の記事

三島由紀夫「菖蒲前」

菖蒲前 本作は鵺退治で知られる源頼政と側室の菖蒲御前の物語で、タイトルは彼女の名から。 なお頼政は酒呑童子伝説で知られる源頼光の玄孫(孫の孫)に当たる。化け物退治の才覚も隔世遺伝するのだろうか。 本題に戻ると、三島の初期作品の常として書き出しが素晴らしい。少し長いが雰囲気を掴むため引用する。 以下、「序」「破の一段」「破の二段」「破の三段」「急」の五幕それぞれで筋を追っていく。 序 ここでは、主に頼政と菖蒲前の極めて特殊な感情の交流が語られる。 菖蒲前は「消えも入り

    • 三島由紀夫「肉体の学校」「複雑な彼」

      三島由紀夫の通俗小説に、今さら読む意味を見出す人間はほとんどいないだろう。 実際筆者が単なる物好き/マニア的な興味から読んでいると言われても文句は言えない。 ただ、改めて言えば1963年発表の「肉体の学校」及び1968年発表の「複雑な彼」は、どちらも小説の技法として小慣れてスマートであり、一種「消耗品」としての美しさを保っている。 そう、筆者は思うが、「百年残る文学」などいう大義名分を掲げたときから文学は駄目になった。消耗品で結構、羽より軽い虚構で結構。その軽さが思いがけぬ何

      • 最近読んだ海外文学と詩

        まずはフィリップ・ロス「いつわり」(1990年発表)。200ページそこそこの作品だが、読むのにすごく疲れた。  意欲作っちゃ意欲作で、フィリップ・ロスを思わせる作家の情事の様子を会話文だけで書いた実験的なオート・フィクションなのだが、中身は「ユダヤ人性とは……」云々(と生活に疲れた中産階級女性とのロマンを欠いた情事)であり、貧乏弁当そっくりの国旗を掲げる国に住む筆者には、その重要性がピンとこないのである。 強いて面白かったとするなら以下の下りとか。 次がオルハン・パムクの「

        • 三島由紀夫「哲学」

          前半部 宮川という男はひどい「無感動」、洒落て言えば「ニル・アドミラリ」の体現者であり、哲学だけに打ち込む「勤勉な学生」である。 そんな彼の「心胆をはじめて寒からしめ」たのは、「胸の高さぐらゐある屋上の囲ひの上へ(略)とび上つて、幅一二尺(※30〜60cm)のところを両手を鳶のやうにひろげて平衡をとりながら渡りはじめた」「命しらずな女学生」の姿だった。 後日彼は女学生に直々、「(略)あの危い真似を明日から止めてくれませんか。(略)」と申し出、それは聞き入れられる。 後半部

        三島由紀夫「菖蒲前」

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        • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想
          20本

        記事

          三島由紀夫「白鳥」

          本作に本物のハクチョウは出てこない。これは「N乗馬倶楽部」の「純白の馬」の名前なのだ。 邦子には前々から「雪の朝(略)白鳥を乗り回したい」という望みがあって、「白いウールの乗馬服、白い乗馬袴(略)手袋まで白キッド」と白づくしの衣装で乗馬クラブに向かうのだが、その「夢心地が倶楽部の休憩室へ入つたとたんに崩れてしまつた」。 というのは、白鳥には高原という「むつつり屋の青年が」乗っていたせいである。 ところが、高原はすんなり白鳥の背を譲り、彼は栗毛の馬に乗り換えてくれる。 こうな

          三島由紀夫「白鳥」

          三島由紀夫「接吻」「伝説」

          当記事で扱う作品は「接吻」「伝説」の二篇。三島の柔らかな部分が特によく出た作品群である。 特に「伝説」は、読むたび心がふわりと明るくなる。よければそこだけでも読んでくれると嬉しい。 接吻 「一体この詩人は何を考へてゐるのだらう。」 自然なユーモアから始まる本作は、読む限りこんな話だ。 「心優しいヘボ詩人Aがあるお嬢さんに告白し、キスしようとするもほろ苦い土産と引き換えに失敗する……」 お嬢さんは「たくさんの男友達を持つてゐ」る自称絵描きで、「灯りの下でしか画を描かない

          三島由紀夫「接吻」「伝説」

          三島由紀夫「婦徳」

          婦徳あらすじ。 ①佐伯と顕子は今夜、不義の恋を果たそうとしている。だが顕子は「私に操を破つたといふ幻影をまづ与えて」ほしいと要求し、佐伯はやむなく応じ一時間後に再び訪れることを約束する。 ②顕子は「操を破つたといふ幻影」を自らに与えるため、部屋に不倫の証を人為的に残す。 ③しかし夫が帰ってきてしまう。二人の逢瀬は破綻し、また夫も顕子によって人為的に作られた不貞の証拠―「落ちちらばつたヘア・ピン」やら「窓枠におちてゐる煙草の灰」やら―を見つけてしまう。 ④夫は言う。 「顕子、

          三島由紀夫「婦徳」

          三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」ほか一篇

          前書き 戦前の三島の作品は読むのが難しい。結局は筆者の読みたい方向に寄せているだけに思えて不安にもなる。 そのため、筆者は先に作品の方向性を確かめ読んでいる。もし読み間違っていたとき間違いがどこにあったか明白にするためである。 今回、「中世に(略)」及び「エスガイの狩」を扱うが、両作品に通じるのは極めて明晰な文体である。「花ざかりの森」系列に位置する朦朧とした文体ではなく、鋼の板のような文体。 また三島由紀夫本人が「花ざかりの森」と「中世に(略)」を比べ、後者を評価す

          三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」ほか一篇

          三島由紀夫「檜扇」

          雑談 突然他作家への他作家の話から始めて申し訳ないが、中上健次という作家が谷崎潤一郎を評して「物語のブタ」と呼んだのはご存知だろうか。 物語というものは、ある価値のヒエラルキーを内包し、貴賤・上下・善悪……を続々と生み出していく。 かつてこれを批判する、「物語批判」なるものがポストモダン批評と持て囃されたが、彼らが忘れているのは人間が快楽を欲する生き物という事実である。単純な構図でもぞんざいな論理でも、人は派手なバトルシーンを見たらドキドキするし、美しい横顔のカットが胸に

          三島由紀夫「檜扇」

          三島由紀夫「曼陀羅物語」他一篇

          曼陀羅物語 主に真言宗で用いられる、様々な仏たちの図であり、ユングに集合的無意識を気づかせた。 本題。 「むかしあるところに仏教の栄えてゐる王国があった。」―昔話風の語り出しからこの国の人々が「王の誕生日の祝ひに」唯一無二の曼陀羅を創ろうと切磋琢磨していることが明かされる。 その後は二流詩人の美しい抒情文が塗りたくられ―「ゆく雲の翳を悲しんでゐる邑々」だの「朝のひかりが最後の星のまたたきをふきけした灝気(筆者注:清々しい空気のこと)のやうなしののめ」だの―るも、結末は

          三島由紀夫「曼陀羅物語」他一篇

          三島由紀夫「にっぽん製」「恋の都」

          三島の娯楽小説は(ほぼ)つまらない。「命売ります」はそれなりだが二度は読めない。 ただこの前読んだ「複雑な彼」が面白く(今度「肉体の学校」とまとめて扱うつもりだ)、その勢いでパッパラパッパラ読んでしまった。 読んだからには書く。書くが読むに足る中身はなく、単に機知が富んでいたり、個性の煌めきが覗けたりする落ち穂を拾う記事である。了承願いたい。 にっぽん製服飾デザイナーの美子と柔道家の正。彼らの恋路の模様や如何に……という筋立てだがつまらない。 三島の小説の定型に、A/Bと

          三島由紀夫「にっぽん製」「恋の都」

          萩尾望都「真夏の夜の惑星《プラネット》」

          【雑談】軽くシェイクスピアを引用できたらかっこいいだろうなと思う。たとえば私がどこかで小説を書くとして、「○○○○○(シェイクスピアのなんかカッコイイセリフの引用)」「おいおい、今どきシェイクスピアとは昔かたぎだねぇ」なんて会話を挟めたら、ちょっとかっこよすぎないか? と思って松岡和子氏の訳でシェイクスピアを読んだ……が面白さは分からなかった(一応書いておくと松岡氏の訳文はシェイクスピアの韻文を踏まえた良質な訳で、この感想は田舎侍が京料理の味がしないと喚くのに等しい)。

          萩尾望都「真夏の夜の惑星《プラネット》」

          三島由紀夫「海と盗人」

          二〇二三年十二月一日―つまりちょうど半年前、三島由紀夫の未発表短編が見つかったニュースは、読者の皆様の方が詳しいと思う。 タイトルは「海と盗人」。 今年三月に「夏の海」という題で「岬にての物語」「海と夕焼」その他三編とまとめて出された(遠藤周作氏の「影に対して」を思わせる経緯だった)。 ここで全文を引用したい。初期の習作ということもあって分量が少ないし、それだけの価値がある作品だとも思うから。 本作においては、三島由紀夫の一貫して描いた「疎外者」のモチーフが見られる。 た

          三島由紀夫「海と盗人」

          フィリップ・ロス「プロット・アゲンスト・アメリカ」

          あらすじ:第二次大戦時、元飛行士にして反ユダヤ主義者のリンドバーグが大統領になっていたら歴史はどうなっていたか、ユダヤ人一家の子どもの目線から語る小説。 全体では531ページあるが、様々な補足資料(または訳者の親切心)が加わるので本文は480ページほど。 全九章を使い、リンドバーグが大統領の座に就いてからアメリカに潜在的にあったユダヤ人への憎悪が露わになっていく過程を子どもの目から捉えていく。  この記事では、長い大河小説とも、現代風刺小説とも、または一種の私小説とも取れ

          フィリップ・ロス「プロット・アゲンスト・アメリカ」

          面白かった短編小説+戯曲

          偶然面白い短編と戯曲を連続して読んだので紹介したい。 中島京子「パスティス」より―「ゴドーを待たっしゃれ」 「パスティス―大人のアリスと三月兎のお茶会―」と題された本作は、「もとを辿ると「ごたまぜ」というような意味に行きつく」パスティーシュ―古今東西さまざまの名作傑作をパロディにした短編集。 その中でも個人的に好きなのが戯曲「ゴドーを待たっしゃれ」。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を、もし坪内逍遥が訳していたら? 坪内逍遥は元々シェイクスピア(沙翁)を訳して

          面白かった短編小説+戯曲

          ダシール・ハメット「マルタの鷹」

          マルタの鷹 1930年に発表されて以来、ハードボイルド小説の古典とみなされている本作をどうにか読み終えたので感想を書きたい。 本作はサム・スペードという冷血漢の私立探偵を主人公に据えたハメットの連作シリーズの一つに当たる。 表題「マルタの鷹」の正体は歴史的価値を持つ鷹の彫像(さる騎士団が教皇に贈り物として捧げたが海賊に略奪された後に人から人へと渡った)で、時価百万ドルは下らないらしい代物だ。 この鷹を巡って、怪しげな美女オショーネシー、レヴァント人(ギリシャ系民族)の

          ダシール・ハメット「マルタの鷹」