三島由紀夫「檜扇」



雑談


突然他作家への他作家の話から始めて申し訳ないが、中上健次という作家が谷崎潤一郎を評して「物語のブタ」と呼んだのはご存知だろうか。

物語というものは、ある価値のヒエラルキーを内包し、貴賤・上下・善悪……を続々と生み出していく。
かつてこれを批判する、「物語批判」なるものがポストモダン批評と持て囃されたが、彼らが忘れているのは人間が快楽を欲する生き物という事実である。単純な構図でもぞんざいな論理でも、人は派手なバトルシーンを見たらドキドキするし、美しい横顔のカットが胸に焼き付く。何が悪い。
だからポストモダン小説というのは骨ばかり多い魚で肉付きは悪いと相場が決まっている。

話を戻すと、谷崎潤一郎(あるいは物語のブタ)はこのヒエラルキーの生み出し方が非常に上手かった。 例えば美人の書き方一つ取ってもわかる。
三島由紀夫は小説読本か何かで、
Q.小説で美人を書く方法を教えてください。
A.あなたが、「彼女は楊貴妃もクレオパトラもかしずく美女であった」と書けばそれでおしまいです。
と今なら軽い炎上沙汰になりそうな回答をしていたが、仮に真面目に答えるなら醜い人間や卑しい人間を書くのが正解ではないか。
たとえば継母物語は意地悪く醜い継母一同を物語世界に呼び込むことでシンデレラの美しさを際立たせている。
谷崎の「春琴抄」なら、佐助がこの醜い人間に当たる。佐助という負極が春琴の美しさという正極をフォローし続けるのだ。
逆に佐助が抜きになれば、春琴は「単なる盲目の美人」に過ぎない。より大きな物語に組み込まれ、その美は藻くずと化したかもしれない。
だからある必然性があることを読者に納得させられる二項対立を生み出し、同時にその対立の構図の外部を暴力的に無視することで物語は成立している。
(とすると快楽とは何かを手放す自由なのかもしれない)

だからこの必然性が読者に納得されなければ物語はおとぎ話に堕すし、またそこには読者と作者の外部世界を無視することへの秘密協定も結ばれる。
単純な構図が生む快楽を妨害するややこしい現実は見て見ぬふりをするのが物語の約束事で、それが物語の強みでもあり弱みでもある。世界の複雑さに分裂した人間にもう一度統一した世界を与えることもできれば、単に複雑さから耳を閉ざさせ、自閉的な内部に自己幽閉させることにもつながる―谷崎潤一郎がついに二次大戦を扱えなかったように。

三島はその最後まで、語るべき物語を探し続けていた気がする。
金閣寺を燃やした吃音の僧侶。宇宙人の一家。猫を解体する少年たち。転生する貴種。谷崎潤一郎に案を見せたら話をムクムク膨らませ、ついでに美しい足が紛れ込んで、独創的な物語が書かれていたことだろう。
だが三島にその幸福は訪れなかった。物語を語りたい人間に批評家の才能は邪魔なだけだが、不幸にも三島にはその才があった。
(正宗白鳥といいオーウェルといい、批評家として才覚を見せた作家の作品の乏しさは常である)

三島は物語世界の外を見てしまう。虚ろな戦後。経済原理があばら骨のように人々を閉じこめ、人間の生が優しい権力の下、真綿の首絞めのように殺されていった時代。
そして新自由主義が猛威を振るい、人々の生の指針が見失われて久しい今日、三島の絶望は一層確かなリアリティを持っている。

戦後、どのような物語も三島の作品の器を満たさなかったように思える。すぐ冷たい隙間風が入り物語は茶番劇に変わってしまう。
豊かな物語を語ることが許された、泉鏡花や堀辰雄や谷崎といった幸福な作家たちと比べたとき、三島の不幸はいっそう際立つ。

第一次戦後派から内向の世代に至るまで、そのほとんどの作家は戦争経験―従軍に限らない―を持ち、それを語ることで作品世界を生み出していった。彼らの苦痛を軽く見積もることは許されないが、ある意味において彼らにはまだ語るべき物語があったとも言える。
またその後の、村上龍・山田詠美・村上春樹・吉本ばなな・高橋源一郎といった諸作家の作品に至っては、すでに戦後は終わり、片や劇画調の物語、片や学生運動のモラトリアムや「ささいな日常」がテーマを占める。
彼らの作品に共通して欠けているのは、自らの生の根が何に支えられているのかに対する批判意識及び生活世界を取り巻く巨大な別の原理に対する批判的な認識である。
(ただ村上春樹氏は抜け出した)
そう考えると、三島由紀夫という作家は日本文学における鬼子と呼べないだろうか。

少し別の話。
作家は自分自身の世界を語るため物語をでっち上げ、またそれが優れた作家の条件とされる。(たとえば小川洋子氏、海外ならジョン・アーヴィングなどが当てはまるか)

だが、語るべき物語のない作家がときにいる。そこに語るべき世界はある、なのに言葉・物語の器が見当たらない。間にあわせの器にやむなく盛りつけるがサイズも奥行きも足りず、中身はみるみる溢れていく。
「鏡子の家」以後の三島を読むとき筆者はいつも同じイメージを抱く。それはキャンパスの面積が足りない画家、音符の数が足りない作曲家である。今ここにある物語では語り得ない大きな何かを背負い込み、そのほんの一部をショーケースから出せば砕ける脆弱な宝石を示すように見せている……ちょっと美文が過ぎるが。

実際、物語という読者を納得させる構図を抜きに安定した虚構を生むのは至難の業で、現代作家も―自覚的にまた無自覚に―物語の根の上に現代文学という細枝を伸ばしている。
では物語に安住できない作家の行き先はどこだろう?

また別の話。
本物の批評家とは、作家にもう一つ作品を書かせると誰かが言っていた。つまり作品の孕んだ未解決の部分や伸びしろを拾って、一度は閉じた物語世界を新たな可能性の光に開くということだろう。
ちなみに大江健三郎氏はこの技法を小説に持ち込み、大江健三郎α、大江健三郎β、大江健三郎γ……と書かれなかった「if」の大江健三郎を黄泉から呼び戻すことで自作を開き続け、事実上の永久機関を作り出した。
(だから失敗作だの分からないだの散々な評価の「懐かしい年への手紙」は、大江健三郎・オリジナルタイプ自らの手による大江健三郎・試作型αの再設計過程と思えば割と納得できるのだ※読めるとは限らない)

とするなら、三島由紀夫に残されていた可能性は「if」としての三島由紀夫α、三島由紀夫β、三島由紀夫γ……を呼び起こし続ける批評家的な作家となって、さながらデバッグを繰り返すゲームのように新たな可能性の方へ―それがあるのかは分からないまま―向かい続ける細い一本道しかなかったのかもしれない。それが後期作品の多方向に向かう主題と、にも関わらず求心力を持たない諸作品の正体だろうか(あるいは中上健次もか)。


本題に戻ると、この「檜扇」は三島の初期作品であり、かろうじて三島が物語の甘露を啜れていた貴重な作品である。作品としては谷崎世界にむしろ近いが、死の美的な扱い方には三島独自のものがある。

作品解説

まず、本作には副題として「―友待雪物語之内 第一部」という文言が入っている。
これは元々「檜扇」が三部構成の第一部になる予定だったためで、第二部が「夜の車」、第三部が「白拍子」と続いている。
このうち、「夜の車」は後に「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」とタイトルを改められ、「白拍子」は欠損部を持ち文章量も少ないため「参考作品」扱いに留まっている。
ただし当記事では「檜扇」のみを扱う。
連作というよりテーマ性の似た独立した短編の集まりに近く、分離しても大きな読みこぼしが生じないと判断したためである。

巻頭には胡蝶の夢の一節が載せられている。自分が蝶の夢を見ていたのか、蝶が自分の夢を見ていたのか……というやつである。(頬をつねれば一発解決と思うのだが。)

あらすじ。
物語の舞台は「北欧の一角らしき小都会」。ここでは「領主フォン・ゴッフェルシュタアル男爵の帰来が伝へられてゐた。」
美しい山脈の下にあるこの街の住人には、しかし奇妙な特徴がある。
彼らは基本的には「都会風なゲルマン系の言語」を用いるのだが、「突如として一ㇳ言も見当のつかない言語をつかひ出す」ことがある。
おまけに後者の言葉は「私」のようなよそ者が来ると「口をつぐんで、やがて流暢な都言葉を聞えよがしに交わしはじめ」てごまかす。
いったいこの街の住人、そして領主に当たる男爵とは何者なのか。

「私」は住人に男爵と間違われ、その後酒場でついに本物の男爵と出会う。男爵は「私」に彼の悲恋物語を明かす。花守夫人―「壮大な東邦の女人」―は男爵が「三日三晩を昏々と眠りつゞけ」ている間に葬式が行われていた……だがこれは花守夫人の親族による策謀だったのではないか。(森鴎外「舞姫」のような話だ)
その後、オカルト狂いの「山羊髯」なる男と「私」は男爵の屋敷に向かう。そこにあるのは花守夫人の形見の(実は男爵が密かに隠したのだったが)檜扇だった。
そして彼らはテーブルの上に「檸檬やオレンヂや朱欒ザボンや葡萄や柑橘類(略)」といった「種々くさぐさの果実」が「(略)死の匂ひを思はせる、いかにも冷たく憂鬱な芳醇さをそなへてゐ」るのを見る。
最後、二人は「望楼」(※我が国における物見やぐら)から、山の端の「白みゆく空」、「水金いろの光を失はずにゐ」る西空の月、「徐々にうすらぎつつあ」る「東に残る星屑」、「菫色すみれいろに明けてゆく空の色に吸ひこまれ」る星や、「高空の深い紺をつんざいて地平へ射かけられる流星」……そうした空の美しい動きを見る。

最後、「伯林ベルリン」で思いがけない事実が明かされる。
男爵の家系、「フォン・ゴッフェルシュタアル家は今から百年以上も前に絶えて了つてゐるのだ」
だが、「私」はこう思う。
「都に花守夫人のゐることはもはや疑ひを容れぬ事実なのである。」
(※男爵家に家系断絶及び狂人が多かった理由は血の純粋性を保つ意識のあまり近親婚を繰り返したせいか)

まとめ。
本作では言葉が厚塗りの絵の具のように重ねられ、ゴージャスな愉しさを生み出している三島の諸作でも極めて珍しい作品である。
また物語的な展開にも富み、良質なファンタジーを生み出しているだろう。
(余談:扇が肝になるといえば「恋の都」もそうだが考える必要はおそらくない)

筆者の印象に残ったのは、男爵と花守夫人の物語に付与されたマイナスの性質である。
まず、百年以上前に絶えた家系がまだ存続していると考えるなら、お調子者の地元人が旅行者をからかったと考えたほうがはるかに現実的である。
よって「檜扇」作中、男爵の語る物語には「狂人が語った」「死者が語った」「夢物語」といった負の性質を持つ可能性が付与され、「正気」「生」「現実」といった昼の価値の前で貶められる。
だからこそ「私」の花守夫人の存在を信じる―ひいては男爵の言葉を信じようとする―その態度は輝いているのだ。

「奔馬」で切腹する勲の眼の裏に朝日が昇ったように、強く夢を願う心は現実を凌駕する。「胡蝶の夢」から借りれば、ここにいる「私」は蝶になることもできるのだ(あるいは一つの夢に)。
それは三島の書く叶わない理想であり、「檜扇」という物語の示すところでもある。
もちろん「檜扇」では、この主題はいまだ物語の寝床で安らっている。とはいえその後の葛藤の始まりを覗ける佳品である。読んでくれると嬉しい。

(追記)人はいつも正しいもの、明るいものだけを選んで生きるわけではない。あえて劣ったものとされる夢や死を、現や生より選ぶ態度には必然的にある脆さが付きまとう。
だが、その脆さこそ人間が人間である証ではなかろうか。
戦後(戦前もその本質は変わらないと思うが)、人々は昼の価値を求めて駆けずり回った。合言葉は豊かに、もっと豊かに。
だが、その結果私たちは人間の持つある脆さを忘れてしまった。現を凌駕する夢、生より美しい死を置き去りにした。
だからこそ、三島の初期作品を読むとき(その青臭さを考慮に入れてなお)筆者は強く心を動かされる。


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