三島由紀夫「中世」

本作「中世」は三島由紀夫が「王朝もの」を書くだけ書いた後に書かれた「中世もの」に当たる。「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」や「菖蒲前」(それぞれ以前扱った、暇なら読んでほしい)を通じて、「金閣寺」まで繋がる系譜かと思われる。

読んだ感想としては、あれあれ、藤原定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」―華やぎの不在が大きい空虚となり逆説として輝く―そんな感じ。
ではまあ、ぼちぼち書いていく。

主人公は足利義政。彼の妻の日野富子は日本三大悪女の一人とされ、応仁の乱の原因になったという。
(個人的には趣味道楽の夫の尻拭いをしていただけではないかと思うが)
(まったくの余談だが、筆者はこの前「応仁記」―名前の通り応仁の乱の顛末を記録したものである―を読んだ。
で楽しいのは、争っている管領の屋敷に(たとえば「畠山」など)、苗字や階級をもじって皮肉った落書が書きつけられるのである。
ある意味、中世のバンクシーみたいなもんである。
二次大戦中にも、路地裏には軍部を貶す落書きがあったという。)

この義政公が、息子の義尚よしひさ公の魂を呼び戻そうとするのが全編の主題である。
だからか、全体的に墨染色―喪に服したような文章であり、物語としても―おそらく明白な意図の下に―起伏は乏しい。

強いて言えば源氏物語の宇治十帖は意識にあるだろうか。人気がとみに薄いことで知られる、光源氏死後の「光のない」物語である。

あるいは能の文章もあるだろうか。
たとえば「善知鳥」や「鵺」などがそうだろうか、光明のない世界で救済を待つ人や物の怪の物語。
 
そんなところか。ふわふわした解説で申し訳ない。


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