こんばんはLIT代表はるです。今日も歴史やっていきましょう 1467年応仁の乱(ゴロ:ヒトヨムナしい応仁の乱) 次の跡継ぎを巡り、細川氏の東軍と山名氏の西軍が11年間争った内乱で、京都が焼け野原になってしまいました ここから、戦国時代へと突入していきます
空飛ぶ術に熱中した最高権力者 細川政元とは? 烏帽子着用を嫌がり新将軍・足利義澄の元服・将軍宣下が延期 血筋や身分に拘らない抜擢人事 日明貿易で莫大な利益 一修験者として旅と修行 衆道を嗜み、薬師寺元一と関係 ↓ 詳細記事 https://bizconsul.net/2024/07/07/143937/
訂正)忍たまの前提は「室町後期・末期」のはずなので、豊臣時代の京都は無しですね。信長が室町幕府と接触した頃でしょうか 京の町並みは警戒で凄かったらしいですが https://note.com/nice_mango413/n/nd13ee231265e
明応8年(1499)1月30日は畠山尚順が畠山義豊を河内十七箇所で破り自害させた日。尚順の父政長と義豊の父義就の家督争いは応仁の乱の原因の一つとも。義就の死後に将軍義材による義豊討伐の際に起きた明応の政変で政長が自害に追い込まれ尚順は紀州へ逃亡。反撃の末に義豊を死に追いやった。