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『藤河の記』を読む(序)

内容〕応仁元年(1467)に始まった応仁の乱による戦禍から逃れるため、一条兼良は息子の尋尊(注1)を頼って、翌年から興福寺大乗院(注2)に身を寄せ、文明9年(1477)までの10年余りを奈良で過ごしました。この間、美濃国の戦国大名であった斎藤妙椿(注3)の招きに応じて、文明5年に同国を訪ねた時の紀行が『藤河の記』(ふじかわのき)です。

注1︰尋尊(じんそん)

注2︰興福寺大乗院

注3︰斎藤妙椿(さいとう みょうちん)


作者〕一条兼良(いちじょう かねよし/かねら)


参考文献
『中世日記紀行集』 新 日本古典文学大系 51 岩波書店
『一条兼良 藤河の記全釈』 風間書房

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