日野富子

第四巻 第一章 室町の平和

〇鹿苑寺(金閣寺)の一室
足利義満(三十八歳、入道姿)が足利義持(義満の息子、十歳、すでに元服して第四代将軍)と会話している。
N「南北朝を統一した三代将軍・足利義満は、応永元(一三九四)年には、皇族以外の朝廷での最高位となる太政大臣に就任、翌年出家した」
義満「余が出家したとたん、こびへつらって出家する者が続出しておるそうじゃな」
義持「皆、父上の余徳を慕ってのことかと……」
義満「お前までお

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日本三大悪女・日野富子は悪女ではなかった(歴史秘話ヒストリア)

呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)が面白かったので、「歴史秘話ヒストリア」日野富子の回を見た。

以下、歴史秘話ヒストリアの備忘録(年月日とか間違ってるかもしれない)

応仁の乱は日野富子が原因ではない

従来、日野富子のせいで応仁の乱がおきたとされていた。8代将軍義政の正室・富子が、自分の息子・義尚を次代将軍につかせるために、次代に決定していた義視(義政の弟)を追い落とそうとしたのがきっか

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とても嬉しいです ありがとうございます
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悪女とされている人物が意外とそうでなかったりする理由

歴史上、悪女とされる人物については最初はその個性の強さから言って確かに…と思ったりしました。しかし、弁解の余地がない部分もありますが、必要以上に叩かれているところもある。今回は性別関係なく、私自身の主観でもって”修正”を試みたいと思います。

 まず、直近では中国の西太后。彼女は落ちぶれた貴族の娘からのし上がっていった人物ですが、前に触れた劉邦の正妻・呂氏に比べたらそんなにひどいことしてませんね。

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他にも記事がありますので、興味がわいたらよろしく!

日野富子と応仁の乱 大学講師と高校教師のコラボ日本史

日野富子が応仁の乱の原因ではない、ということだけは明らかになっています。日野富子と足利義視は対立していたのではありません。では、何故、応仁の乱がおこってしまったのか。

中国地方の石造物④:自性院宝篋印塔(伝・足利義政・日野富子の墓)

名称:自性院宝篋印塔

伝承など:足利義政、日野富子の墓

所在地:岡山県赤磐市沢原 自性院

JR山陽本線の熊山駅から北方に数キロの所にある自性院は、室町時代中期に権勢を振るった日野富子が晩年を過ごした場所と伝承されている。

自性院は、赤松政則、およびその被官である浦上則宗を頼ってこの地に隠棲した日野富子が、夫である足利義政の供養のために建てた寺院と言うが、寺名の自性院は読みが義政の法号である

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誰もが考えること

たとえば、納税額が70億円っていうのは戦国時代で言うと日野富子の資産と同じくらいだとインターネットに書いてあったけれど、そーいうことなんじゃないかと思う。

しかし僕たちは誰も考えなかったことを考えていかないといけない。

たとえば、ゾゾスーツを計測のためではなく、スーツとして着用しながら出勤してみてはどうか?とか。

って思ったらすでに「ZOZOスーツで出勤」という検索ワードが出てきて、あぁ俺は

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