千世(ちせ)
人生の喜怒哀楽逸話集。 日々の生活の中でのちょっとした気付きや反省などの中に見つけた、人生を生きていくための教訓があり、喜怒哀楽があり、毎日が良い日になるようなヒントがあります。
これから活用したい記事、為になる記事、なるほどと思った記事、主にSNSに関してのお気に入りを集めてみました。
言葉の語源、方言の由来、ことわざや慣用句の由来など、日本語全般の面白い記事をまとめてみました。
読書感想と創作小説&エッセイ集 読書感想記事はネタバレはしないように、あくまでも自分自身が感じたことを中心にしたもの。 創作ものは私の好みで独断と偏見で選びました。
不思議話集。奇妙体験、夢、伝承民話などを集めてみました。
私の履歴書&PRです。 構築中ですので思い付くたびに加筆して、随時更新しております。 今までの取り組みや経験を綴っていますが、これからnoteで何をしたいのか、何が目的なのか、ご理解いただけたら嬉しく思います。 📌noteで伝えたい私流のカタチ 🔻わかりやすく 歴史や紀行報告、読書感想などを記事にする時、なるべく難しい文章にならないよう心掛けています。漢字にはなるべくルビを振る、難しい熟語などには一言添えるなど、誰にでもわかるような言葉を選びます。 私自身も、いくら歴
6月3日、テレビで報じられた上岡龍太郎さんの訃報に呆然となり、これでまた上方の偉大な芸人がいなくなったと、気持ちが沈んでしまいました。 もしかしたら関西圏の人しか知らないのかもしれませんが、私にとってはとても身近な方でした。 軽快で流暢な切れ味鋭い話芸は、お見事でした。 本当に全く噛まないのです。 頭で浮かんだことを最も効果的なカタチで言葉にする能力はタダ者ではありませんでした。 無駄のない文章を瞬時に作り、それをまた無駄のない言葉にする事は、誰にも真似のできない一
今日は長男の事を書きたいと思う。 私は比較的、家族の記事は少なく、ちょうど1年前にこんな息子たちの事を書いた。 この時に長男が人間関係に疲れて会社を辞める辞めないの話をしていたが、結局自分で結論を出して、昨年の10月いっぱいで会社を辞めて就職活動をしていた。 ゲーム業界一択にしているせいか、面接を受けても受けても落とされ続けたが、やっと先月から就職し、今のところ機嫌よく出勤している。 無職のプー太郎期間は半年に及んだ事になる。 その間、広島の友達を訪ねたり、年末のド
今回「岡崎クーデター」は史実では「大岡弥四郎事件」と言われています。 信康(細田佳央太)は信頼していた弥四郎(毎熊克哉)が裏切った事がショックで涙ぐんでいるのとは対照的に、妻の五徳(久保史緒里)は棒で腹を強く突き、無表情のまま冷淡に言い放つ。 その言葉通り、弥四郎は目を背けたくなるほどの処罰を受けました。 引き廻しの上に7日間生き埋めにされ、竹のこぎりで少しずつ首を挽かれ、その後に磔にされました。 しかも、同じく妻子5人も磔の刑です。 本当にエグイです💦 弥四郎の
浅田次郎氏の小説パターンには、ただ単に時系列で物語が進むのではなく、さまざまな人の証言から全体の流れを構成し、ストーリーの核心に触れていゆくものがあります。 序盤は何の話なのかわからないものも、ひとたび共通点が見えると、もうページをめくる手は止まりません。 様々な角度から見た状況が自分の頭の中で組み立てられ、次第に輪郭がはっきりしてくるという感じです。 このあたりは非常に上手い! 一人一人の語り口調も個性ある「生の声」であるため、リアルに再現されてゆき、ますます先が知
浅田氏は「新選組」がお好きなようです。 幕末を描いたもののうち、そう感じずにはいられない作品が多いように思います。 もっと絞れば「斎藤一」が好き? 読了した浅田作品から、新選組そのものより斎藤一に対しての愛を感じてしまいます。 どの歴史作家もそうですが、どうしても好意的に思っている人物が誰か感じ取れるもので、浅田氏も例外ではありません。 幕末の一連の事件を思う時、どうしても私はこの「新選組」はなかなか理解できない団体でした。 ただの「サムライごっこ」をしながら、自己
先日の日曜日、主人の田舎で法事がありました。 そこは和歌山の「御坊」で、二級河川として日本一長い「日高川」が流れる地域にあります。 いつも車でサッと通りすぎてしまうので、川を写真に収めたことはないのですが、堂々たる川幅です。 河川の水系 私は長い間、この川は一級河川だと思い込んでいたのですが、二級河川だと知った時は、少々驚きました、 上流から小さな川が合流して徐々に大きくなりながら海へと流れる一連の河川の単位を水系といいます。 そのうち、一級と二級の違いを一言でい
最近、仲良くさせていただいている方が「誹謗中傷」を理由にnoteを離れられました。 コメント欄だけでなく、明らかに自分とわかる内容の中傷記事も投稿されていたのです。 確かに、自分の記事内容は何を書いても自由ですが、個人への中傷だとわかる内容は、読んでいても気持ちの良いものではありません。 そのような内容に同意する人も少ないでしょうし、スキが増えるどころか評価されるわけがない。 そんな人は、遅かれ早かれ自滅すると私は思っています。 悪口記事なんて気分悪いだけ時々、誰か
家康の生涯で一番の修羅場、大苦戦となった武田信玄との「三方ヶ原の戦い」。 圧倒的な強さを誇る武田軍ですが、信玄亡き後は惨めに滅んでゆくので、その対比を感じるためにも、今の状態をしっかり押さえて、今後の勝頼(真栄田郷敦)の動向に注目です。 それにしても、家康が打ち取られたと思える終わり方でしたが、そこは主役ですからオチは必ずあり、種明かしは次週にゆだねられましたね。 家臣の誰かが影武者となったわけですが、ここではあえて記しませんが、次回は涙の回となりそうです。 さて、前
前回の記事です。 朝6時過ぎに朝食を食べたきりで、ハードなスケジュールをこなしていたのに、さほどの空腹は感じませんでした。 この日のメインイベントである安土城址を登る事が終わってから昼食を摂りたかったのですが、辺りには何もないので仕方がありません。 このままスケジュールを強行します。 次は「近江八幡」へと向かうのですが、少しでも景色の良い「びわ湖よし笛ロード」を使います。 出先ではいつも、一か所ずつナビ設定するのではなく、あらかじめ立ち寄る地点を複数カ所登録しておい
前回はこちら↓↓↓ さて、いよいよ「安土城址」へと向かいます。 安土山は標高198mの小さな山ですが、 周りには田畑が広がっているだけので、その姿のすべてを眺めることができます。 滋賀県道2号(大津能登川長浜線)を西へ向かうとトップ画像の「安土城址」と書かれた大きな石碑があり、それを見た途端に心が躍り、はやく横断歩道を渡りたくて気持ちははやります。 そして大手門を通過して、石段を見上げた時の気持ちは当日思わずつぶやいてしまいました。 私:「なんか泣きそう!」 主人:
約一週間前の23日の日曜日、夫婦でお出かけしました。 今回の行先は安土から近江八幡を自転車で回るというもので、お天気でないと意味がありません。 実はもっと前に行くつもりだったのですが、黄砂やら雨やら天候に恵まれなかったり、お互いに別の予定ができたりで、3回ぐらい延期したのでした。 このあたりは一応は同じところに住んでいる利点で、天候も含めてお互いに最高のコンディションの日を選んだわけです。 その甲斐あって、とても気持ちの良い紀行となりました。 あくまでも予定ですが、
前回からの続きです。 大阪府堺市に美原区があります。 私が住む所は近隣の市なので、もちろん知っていたのですが、電車の最寄り駅もない不便な地域なため、「こんなところによく住んでるなぁ。。。」とさえ思っていました。 ですから、歴史博物館があることも当然知ってはいたのですが、近くでありながら、行こうと思い立たないまま今に至りました。 この日、最後に行ってみて驚きました! この美原は私のツボを衝く地域だったことがわかりました。 そのツボとは、ズバリ「たたら製鉄」です。 ~
「葛井寺」で藤を堪能した後、約6Kほど南西へ移動して「法雲寺」へ向かいました。 正式には「法雲禅寺」という禅寺で、かねてよりチコさんからここは「つつじ」が有名であると聞いていて、以前からぜひとも行きたかったのです。 やっと実現しました! 圧巻の「つつじ」の海いかにも禅寺らしい?山門ではないですかー? 中国の匂いがプンプンしてきます。 一般的な城や寺などの屋根に乗っている「しゃちほこ」はその名の通り「鯱」を象ったものですが、ここでは鰭の代わりに足が生えた摩伽羅という想像上
昨日、ちらりとつぶやいた「安土城址」を早く記事にしたいところですが、それよりも先に回ったお出かけ先をまとめてみたいと思います。 立て続けに出かけるとネタは豊富にあるのですが、落ち着いて記事にする時間がないという、なんとも皮肉な現実にぶつかります。 ゆっくりと思い出しながら、時系列に記事にさせていただきます。 さて、今月上旬にレキジョークルでお花見を開催しましたが、見事に散った後で新緑を愛でるハイキングとなりました。 今年は季節が進むのが早すぎて、八重桜もあっという間に
安土城跡 正面から見たとき、不覚にも目頭が熱くなりました😢 スケールがデカイ❗