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JW478 御膳を守ろう

【垂仁天皇編】エピソード7 御膳を守ろう


第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。

紀元前28年、皇紀633年(垂仁天皇2)。

穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)が創建された。

穴師坐兵主神社(鳥居)
穴師坐兵主神社(拝殿)

垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、二人の人物と解説をおこなう。

大后(おおきさき)の狭穂姫(さほひめ)(以下、さっちん)と、兄の狭穂彦(さほひこ)である。

系図(さっちん、狭穂彦)

イク「ところで、義兄上? どこに鎮座(ちんざ)しているの?」

狭穂彦「山に鎮座しておりまするぞ。その名も『弓月岳(ゆつきがたけ)』にござる。漢字表記は、いろいろ有りまして『斎槻嶽』とか『由槻嶽』とも書かれておりますぞ。」

イク「そ・・・それで、山は、どこに有るの?」

狭穂彦「いろいろ説が有るようにござるが、巻向山(まきむくやま)の二つの頂(いただき)のうち、高い方が弓月岳であるという説が、有力にござる。南側の頂ということにござるな。」

地図(巻向山:弓月岳)

イク「ん? でも、二千年後の地図を見てみると、山の頂じゃなくて、麓(ふもと)に鎮座してるみたいだよ? これは、どういうことなの?」

狭穂彦「実は、室町時代の『応仁(おうにん)の乱』とかいう争いで、燃えてしまったため、遷座(せんざ)したのだとか・・・。その際、巻向坐若御魂神社(まきむくにますわかみたまじんじゃ)と穴師大兵主神社(あなしおおひょうずじんじゃ)が合祀(ごうし)されたそうにござる。」

さっちん「二千年後の鎮座地も、元々は、穴師大兵主神社が鎮座していた地とのことです。」

イク「創建後、いろいろあったんだね。それで、二千年後の地名で言うと、どこになるの?」

さっちん「奈良県桜井市(さくらいし)の穴師(あなし)にござりまする。」

地図(穴師坐兵主神社)

イク「とにもかくにも、僕の食事を守るための神社が出来たんだね。感謝、感激だよ!」

狭穂彦「ところで、大王・・・。そろそろ、我(われ)にも、何か与えてくださりませぬか?」

イク「えっ? 何を?」

狭穂彦「我(われ)は、大后の兄にござりまするぞ? 大臣(おおおみ)とは申しませぬが、例えば、側近として侍臣(まえつきみ)に採用するとか、昼の警護を司(つかさど)る大禰(おおね)とか、夜の警護を司る宿禰(すくね)とか・・・。いろいろ有ると思いまするが・・・。」

イク「う~ん。でも『記紀(きき)』には、何も書かれてないし・・・。」

狭穂彦「そのようなモノ、作者の『おりじなる』設定とやらで、どうとでもなるのでは?」

イク「う~ん。仕方ないなぁ。じゃあ、侍臣ということにしよう!」

狭穂彦「おお! ありがたき幸せ! これからも、大王がため、この身を捧(ささ)げまするぞ!」

こうして、作者オリジナル設定が発動したのであった。

そして、同年の10月、ついに、新たな大王の宮が造営された。

宮の名は、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)である。

イク「今回、神社が建てられた、奈良県桜井市穴師(あなし)周辺と言われているよ。」

さっちん「されど、石碑は、桜井市巻野内(まきのうち)に有るみたいですね。」

地図(纏向珠城宮)
纏向珠城宮(石碑)

イク「まあ、その辺ってことだと思うよ。とにかく、これで、僕の宮が出来たんだよ!」

するとそこに「イク」の兄、彦五十狭茅(ひこいさち)(以下、のまお)がやって来た。

系図(のまお)

のまお「異議有り! 異議有り!」

一体、何事であろうか? 

次回につづく

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