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【景行征西編】エピソード10 作者、謝る 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、福岡県北九州市の小倉南区。 朽網西二丁目に有る、帝踏石。 この石の上にて、景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は戦勝祈願をおこなった。 そして、更に南に進むこととなったが・・・。 リトル「うぎゃう! うぎゃい!」 シロ「ん? リトル? 如何致した?」 タケ「ん? 他にも、説が有ると?」 シロ「ん? 『タケ』先生は、
よく長編小説の表紙をめくると、初めに登場人物の一覧が載っていたりしますよね。 「こんなのいらないよ、自分は全ての人物を、いきいきと頭の中で思い描けるからね!」などと思いつつ、結局のところは何かと便利だったりします。 読み進めているうちに、「あれ、この人誰だったっけ…」と戻ってみたり。 特に外国の小説や、よく知らない時代のことだったりした場合には、意外と重宝しますよね。 と、いうわけで。 拙著「流れぬ彗星」も、この機会に主要登場人物一覧を作ってみました。 (エンタメ
慶長8年(1603年)3月12日、徳川家康は伏見城から二条城に移った。 徳川家と朝廷の蜜月を強調するためである。伏見城は、関白を辞めた豊臣秀吉が朝廷と距離を置くために造った城で、天守閣もあり、天皇が行幸できる場所ではなかった。 洛中にある二条城には天守閣もない。天皇との蜜月関係を築いて、天下は徳川のものだと、家康は大坂にいる豊臣秀頼の生母淀殿に見せつけていた。 3月27日には、二条城に勅使を迎え、重臣や公家衆を集めて将軍就任の祝賀の宴を行った。 家康のやり方は巧妙である。 征
【景行征西編】エピソード9 帝踏石 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、福岡県田川市夏吉。 この地を治める魁帥(首長のこと)、神夏磯媛(以下、カンナ)と、四人の男たちが語らい合っていた。 四人の男とは、すなわち、多の臣の武諸木(以下、モロキ)。 国前の臣の菟名手(以下、ウナ)。 物部の君の夏花。 崗県主である。 カンナ「麻剥の残党も、討ち滅ぼすことが出来たわね。」 モロキ「うむ。福岡県福智町の弁城に、
【景行征西編】エピソード8 赤い衣と褌 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、福岡県田川市夏吉。 この地を治める魁帥(首長のこと)、神夏磯媛(以下、カンナ)と、四人の男たちは、高羽の川上(福岡県田川市の彦山川上流)の賊、麻剝を迎え入れていた。 四人の男とは、すなわち、多の臣の武諸木(以下、モロキ)。 国前の臣の菟名手(以下、ウナ)。 物部の君の夏花。 崗県主である。 麻剝「いつも、世話になっておる『カンナ』
いつもありがとうございます 小説、漫画描いてます 最近はTIKUなどにも投稿中です コンテストなどにもエントリー中です☆彡 北九州市アズ展示会は無事に完了ありがとうございます ・・・・・・・ 夜の闇に紛れて 船を数隻程 沈める魔物のシオン 夜のさざ波の海 海の上を歩き、そのまま立ち止まる シオン、巡礼者のような姿 いでたち 海の上に立ち それから… 敵船のすぐ前でシオンは己の細い腕を軽く振い その手の平が船の壁面にあたると 大きな砕ける音と共に砕けて大きな穴が開く
今為時は、安倍富忠を調略するように、源頼義に進言したのである。 安倍富忠は、安倍の姓を名乗っているが、頼時の安倍氏との関係は不明である。 おそらく、安倍氏の勢力が北方に伸びたことで支配下に組み込まれた在地の族長で、安倍姓もその時に安倍氏から下賜されたのだろう。 安倍富忠は、下北半島に勢力を持つ豪族だった。 今為時は、安倍氏の奥六郡を、北は安倍富忠ら津軽の俘囚と、南からは源氏の、2方面から挟み撃ちにするように画策したのである。 為時の献策を頼義は喜び、早速為時を使者として派遣し
2023年に『極楽征夷大将軍』で第169回直木三十五賞を受賞した垣根涼介さん。 直木賞受賞後第一作となる単行本『武田の金、毛利の銀』(7月24日発売予定)と、最新文庫『涅槃』上下巻(7月25日発売予定)の刊行を記念して、垣根涼介さんのKADOKAWA全作品をまとめてご紹介します! ■ 新刊情報01 |『武田の金、毛利の銀』(KADOKAWA単行本) 乱世の沙汰も、銭次第。 流通、換金、供給率、持続性――金銀を活かすために必要なものとは? あらすじ 書誌情報 02 |
【景行征西編】エピソード5 いぬなき山 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、周芳国の宮城森。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)の一行は、行宮を設け、しばらく留まっていたのであるが・・・。 シロ「待っているだけでは、埒が明かぬ。少しでも、筑紫(今の九州)に近付こうぞ。」 いっくん「西に進むっちゅうことですか?」 シロ「その通りじゃ。穴門(今の山口県西部)辺りまで進んでも、障り無かろう?」 こう
【景行征西編】エピソード6 神夏磯媛 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、崗国。 二千年後の福岡県北九州市の八幡西区周辺。 先に筑紫(今の九州)に派遣された、三人の男が、崗県主と面会していた。 三人の男とは、すなわち、多の臣の武諸木(以下、モロキ)。 国前の臣の菟名手(以下、ウナ)。 物部の君の夏花である。 モロキ「して、貴殿が、崗県主か?」 県主「そん通り! エピソード7に登場した、熊鰐命の子孫にな
大村で生まれた私で。 歴史好きであるのに。 大村氏の歴代墓所のある本経寺を始めて訪問した。 その本堂は1700年代の創建だという。 蝉時雨が頭上の梢で喧しいなか、この草萌える一角は涼やかな風がある。年季の入った苔が降り積もった年月を示している。 僅か3万石に満たない所領の大村藩にありて、これらの仏閣の威容は場違い過ぎる。 そこには禁教令に舵を切った江戸幕府に対しての、小藩の恭順の意が込められている。 大村純忠がローマ法王へと遣わした天正少年使節団が、長い航海
【景行征西編】エピソード3 姓が違えば 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)8月15日。 ここは、纏向日代宮。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、筑紫(今の九州)に向けて出発した。 当然、そこには、見送る者たちの姿も有り、その中には「シロ」の兄弟たちもいた。 すなわち、五十瓊敷入彦(以下、ニッシー)。 大中姫(以下、ダッコ)。 稚城瓊入彦(以下、カキン)。 そして、誉津別(以下、ホームズ)である。 シロ「で
今回のツーリングは取材も兼ねていて。 全てが恋愛ボケしているわけじゃない。 大村藩について、いつかは書いてみたいと思っていて。 大村純忠という、初のキリシタン大名がかつてこの地にいた。 彼はこんな枕詞を冠されているが、歴とした戦国大名である。 養父は大村純前であり、実子である貴明を後藤氏へ養子に出して、島原有馬氏から純忠を養子に迎えて家督を継承させる。純忠も血縁であり、甥にあたるのではあるが、父親としては罪なことをしたものだ。 そのために実子と養子とが骨肉
【景行征西編】エピソード1 筑紫行幸計画 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)7月。 ここは、纏向日代宮。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、大連や大夫など、臣下が集う中、筑紫行幸に加わる人員を発表した。 シロ「まずは、戦に備え、久米の直の七掬脛こと『ナッカ』を連れて参る。」 ナッカ「ははっ。」 武日「軍全体の指揮は『おい』に任せてくんない。」 シロ「何を申しておるのじゃ? 武日は、大夫ゆえ、国中(奈良盆
【景行征西編】エピソード7 四人の賊 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)9月。 ここは、崗国。 二千年後の福岡県北九州市の八幡西区周辺。 三人の男が、先に筑紫(今の九州)に派遣された。 すなわち、多の臣の武諸木(以下、モロキ)。 国前の臣の菟名手(以下、ウナ)。 物部の君の夏花である。 男たちは、崗県主と共に、福岡県田川市夏吉を治める魁帥(首長のこと)、神夏磯媛と語らっていた。 カンナ「アタイたち、すごく困ってんのよ
【景行征西編】エピソード2 話が進まぬ件 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)7月。 ここは、纏向日代宮。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、大連や大夫など、臣下が集う中、筑紫行幸に加わる人員を発表した。 シロ「此度の御幸に加わる者は、まだまだ居るぞ。我が息子、小碓皇子こと『リトル』じゃ。」 ちね「は? 何、言うてますのや! まだ赤ん坊でっせ?!」 シロ「されど、伝承を紹介するには『リトル』が居らねば、話が進
この小説は、拙著「流れぬ彗星」第一部に登場した女海賊、愛洲鯨の少女時代を描いた前日譚です。 みなさまに「いいキャラ」と言っていただいた鯨を、もう少しだけ活躍させてみたいと思って書きました。 有料マガジン「流れぬ彗星 第一部」の特典としても収録しております(上、中までは無料でお読みいただけます)。 ぜひぜひ、愛らしくてかっこいい愛洲鯨の冒険を、お楽しみくださいませ! 大純はる 上 「おい、鯨! どうしてお前
【景行即位編】エピソード17 猛き皇子誕生 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)のある日。 ここは、賀古郡城宮(兵庫県加古川市加古川町木村)。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、大后の播磨稲日大郎姫(以下、ハリン)の出産に立ち会っていた。 付き従うのは、告の首(以下、スズム)。 中臣の連の大鹿島(以下、オーカ)。 忌部の首の和謌富奴(以下、わかとん)。 「ハリン」の父、若日子建吉備津日子(以下、タケ)。 兄の武
「左様でござるか。辰千代殿が豪儀なお方とは頼もしい」 政宗は、長安の話に合わせた。話は少しずつ不穏な方向に向かっているが、まだ話題を避けなければならないほどではない。 「ところで少将様はご存知でございますか、近頃上様が」 と、長安は家康を「上様」と呼んだ。徳川家内部では家康を「上様」と呼んでいたが、実質はともかく、名義上主君になっていない外様大名には、徳川家はまだ「上様」とは呼ばせていなかった。 「上様が、紅毛人に扶持なされたのを」 「ほう、上様が」 政宗は、小さい声で「上様
【景行即位編】エピソード14 賀古郡城宮 第十二代天皇、景行天皇の御世。 西暦82年、皇紀742年(景行天皇12)のある日。 景行天皇こと、大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、大后の播磨稲日大郎姫(以下、ハリン)の出産に立ち会うため、針間国(現在の兵庫県南部)を訪れていた。 付き従うのは、告の首(以下、スズム)。 中臣の連の大鹿島(以下、オーカ)。 忌部の首の和謌富奴(以下、わかとん)である。 シロ「着いたぞ。」 スズム「懐かしい・・・。大王と大后が、夫婦とな