『詩』大御舟(おおみふね)が死んでいる
大御舟が死んでいる
広い湖の向こう岸近く
少し浅瀬になったあたりに
半ば身を横たえて
波に洗われるまま
私は湖のこちら側で
水のなかに降りてゆく 階段状の石のひとつに
腰を下ろして 無限の時を
じっと釣り糸を垂れている
草履の指先を波が洗う 向こう岸に横たわった
御舟を洗う同じ波が
岸から少し離れて葦が生えていて 葦の隙間から
丸く弧を描く白い帆が ゆっくりと
右から左へ動いてゆくのが見える
私はそれを気まぐれに
<時間>と名づけることにしよう
私はこの地に宮を建て 青年僧が
その奥の山を駆け登り
彼が開いた寺が焼かれて それからも
なおもたくさんの出来事があった
私は誰か?
大御舟があの場所に
横たわっているはずはない
しかし私が何年も
何十年も 何百年も こうやって
ここで釣り糸を垂れているので
あれも動くことができずにいるのだ
時が流れるとは
何と不思議なことだろう! ただじっと
こうやって釣り糸を垂れているだけで
限りなきものが私には見える 私のために
ここで涙したあの者のことも
山国を出てここを通った
男の稚戯のような興奮も
背後の寺に火を放った
あの残忍な男の本音も
それを断ち切った家臣の悲哀も
それから
それから
もっと広い世の中のことは
私は知らない 私に見えているのは湖が
知っていることそれだけだ
なぜなら私はこの湖を
誰より愛しているからなのだ なので
すぐそこの寺に山籠をして 物語を書いた
あの女房のことももちろん私は知っている
私が気まぐれに名付けた<時間>が
葦の隙間をゆっくりと行き その更に向こうを
もっと大きな丸子船が荷を運ぶ
流れる時とは
何と愉快なものだろう!
けれど
大御舟が死んでいる 私はそろそろ
あれを成仏させてやらねば
この湖が 私は好きだった
<時間>はあの白い帆のようにゆっくりだが
流れる時は切ないものだ そのことを
私はいつか知り過ぎてしまった 湖はここにこうして
ずっと変わらずあるというのに
ずっと釣り糸を垂れてはいるが
今更何を待つわけでもない
私は呂尚ではないのだから
大御舟、というのは天皇がお乗りになる船、という意味の尊称です。なので、天皇自ら大御舟、とは言わないとおもいますが、ただ「舟」というよりイメージが届きやすいとおもったので、この名にしました。
ということは、「私」はもちろん天皇、それも大津宮を開いた天智天皇のことです。
僕は琵琶湖が大好きで、前にも書いたことがあったかとおもいますが、前世は琵琶湖畔のどこか坂本あたりで暮らしていたのでは、と、自分でそうおもっているほどです。家から近いということもあって、車で何度も一周したり、季節の折々には琵琶湖八景を愛でにでかけたり、若い頃はよくそんなことをやっていました。
実を言うと今回はなかなかテーマが思いつかず、やむなくこんな詩になった次第。なので無理矢理感がいっぱいだけれど、それでも日頃考えている<時間>や時代の流れといったことを少しでも表現することができたのはよかったかな、と、そんなふうにおもっています。
でもわかりにくいでしょうねー、たぶん・・・
(ちなみに、呂尚、というのは太公望のことです。太公望、と書くとただの釣りの好きな人になってしまいそうなので、敢えて呂尚にしてみました。)
(もうひとつちなみに、葦(よし)はもともとは「あし」という名なのだけれど、あしは「悪し」に繋がるので「よし」と呼ぶようになったとか。別物、という説も聞いたことがあるけれど、いかがでしょう? 琵琶湖畔では、随分と少なくなってしまったようです。)
今回もお読みいただきありがとうございます。
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