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【読書日記R6】9/24 噂の皇子と蝶の公達「噂の皇子/永井路子」「蝶として死す/羽生飛鳥」


同じ物でも光の当て方で できる影は異なります
同じ物でもナイフの当て方で 切り口は異なります

私が歴史小説を好む理由の一つは、今まで自分が描いてきた人物像、事実の見え方ががらりと一変する、魔法のような瞬間を味わいたいからということがあります。

小説を通じて、いくつもの魔術を楽しませてもらってきましたが、その原点のひとつが「噂の皇子」です。作者は私の心の師匠、永井路子さん。中高生の頃に著作を読み漁り、私の歴史観の基礎を作ってくださいました。

噂の皇子 永井路子 著 文春文庫

「噂の皇子」は、平安から鎌倉までの時代を舞台にした8篇の短編集です。どの作品もそれぞれ面白いのですが、今日は表題作でもある「噂の皇子」についてご紹介します。

最近、都人がささやく奇妙な噂の的は、三条天皇の第一皇子・敦明親王です。

三条帝は、冷泉系の帝であり、時の権力者・藤原道長は、円融系と近しい関係だったので、あまり円滑な関係とは言えませんでした。

村上ー冷泉―円融ー花山(冷泉系)-一条(円融系)ー三条(冷泉系)ー後一条(円融系)

帝系図。参考まで

三条帝の東宮には道長の孫・敦成親王(後の後一条。中宮彰子の子)が立ちました。
本来であれば、冷泉系の三条帝の次が円融系の後一条(敦成)ですから、その次は冷泉系の敦明親王になるはずなのですが、その東宮位を巡って宮中の勢力争いが過熱し、様々な駆け引きが行われていたのです。

その渦中の人、敦明親王に「常軌を逸している」という噂がたちました。
さあ、敦明親王とはどのような人物でその真意はいずこに?という物語です。

様々な歴史小説を見ると、敦明親王は、暴力事件に関与した逸話もあり、概ねよろしくない人物として描写されていることが多いようです。
だからこそ、「噂の皇子」での描かれ方を読んで、同じ史実でも切り口次第でこうも見え方が変わるのか、と目が覚める思いをしました。

最近、大河ドラマ「光る君へ」36話でも登場していましたが、狩りを好む様子が描れていました。殺生や穢れを忌む平安貴族としては異質です。
今後、どのような人物として描かれるのか、とても注目しています。

蝶として死す 平家物語推理抄 著者:羽生飛鳥 創元推理文庫

最近、同じように、私の中での人物評が大きく変わる体験をしました。
その人物は、平頼盛
平清盛の異母弟です。
清盛の死後、源氏に押されて平家一門が都落ちした時に、平家一門と袂を分かち、その後、鎌倉政権に近づきました。
私としては、平家の中で一人だけ要領よく立ち回った人物、とよく思っていませんでした。
北条時政の後妻、牧の方の従兄弟にあたるのも、私の中でマイナス要素でした。
牧の方は、実子を北条の跡継ぎにしようと画策し、北条家(と鎌倉幕府)をひっかきまわした、と私は思っているのであまり好きではないのです。(大河ドラマ、鎌倉殿の十三人では、宮沢りえさんが演じていました)

しかし、羽生飛鳥さんの「蝶として死す 平家物語推理抄」を読んで、彼の印象が一変したのです。
異母兄であり、平家一門の頭領、平清盛との関係は、どうだったのか、なぜ、都落ちしなかったのか、その後、鎌倉方の源頼朝や北条時政らとの付き合いの真相は?

久々に人物像どんでん返しの奇術を体験した心地です。
本書は5編の連作短編集。ミステリ仕立てになっています。

清盛が間諜として都に放った赤い直垂におかっぱ髪のかぶろが死体となって発見された真相は?「禿髪殺し」

高倉天皇に寵愛された女房が毒殺された、その方法は?「葵前哀れ」

都を手中に収めた木曽義仲に「首がない五つの骸骨の中から、恩人である平実盛の屍を特定して欲しい」と強要される、さあ、どうやって?「屍実盛」

木曽義仲の息子、義高は源頼朝に殺された。遠く離れていた場所にいたはずの義高の許嫁大姫は、なぜ父・頼朝の会話を言い当てたのか?「弔千手」

平家の最後の生き残り「六代」はどこにいる?「六代秘話」

トリックとしては、先行するミステリのオマージュになっている(参考作品はあとがきで明かされています)ので、あれ、どこかで読んだ作品のようだな、と思うのですが、史実と推理が掛け合わされる醍醐味がこの短編集の持ち味だと思います。

全て読み終わったとき、平頼盛の人生とはなんだったのか。
彼の紋、蝶に託した願い「自分は蝶となってみせる」は実現したのか。ということに思いを馳せてジーンとしました。

考えてみれば、鎌倉時代から戦国時代にかけて、武家は、全滅しないように一門でそれぞれ敵対する方につくことは、普通に行われていました。
だから、同士討ちの悲劇はおきても、どちらかが生き残るようにしていたのです。
いつから「枕を並べて一族郎党討ち死に」「全員玉砕」が当たり前でそれこそが価値があるようにされたのかな、私も、そんな価値観に慣らされていたのかな、と省みるきっかけになりました。

もっと多角的でもっと広い視野を持って物事を見たい、そう思うのです。

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