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【歴史小説】花、散りなばと 1/6【加筆修正・リマスター版】

 この度、kindleで初の作品集『室町・戦国三都小説集』を発売させていただきました!

 それに当たり、一番古い作品だった「花、散りなばと」を一部加筆修正いたしました。
 主な変更点は、
●ルビの追加
●細かな言葉遣い です。
 やはり現代からすると馴染みのない言葉、地名、人名などが頻出する割にはルビが少なかったため、もう少し読みやすくなればと思い、ルビを増やしました。
 また、いくつかの箇所について、当時の雰囲気を壊さない言い回しに変え、文章全体を整えました。

(Kindle、ペーパーバックともに、リマスターの反映は現在発売中の第2版からになっています)

 旧版も全編公開していますが、「下書きに戻す」ができない設定になっているため、改めてリマスター版を一章ずつ公開してまいります。
 一度読んでいただいた方も、初めての方も、よろしければおつきあいくださいませ!


この小説について

 こちらの「花、散りなばと」は、現在連載中の歴史小説「天昇る火柱」の前日譚に当たっています。
 実に三十年も昔の話になります。
 トウの立った古市胤栄いんえい澄胤ちょういんの兄弟が、まだかわいらしい童の姿で登場しています。
 そして二人の父である、中世大和の小覇王・古市胤仙も。

「天昇る火柱」とあわせて、ぜひ当時の世界へタイムスリップしてみてください!
 どうぞよろしくお願いいたします!

本編(1)


     一

 夜明けとともに葛城山かつらぎさん安位寺あんいじを出て、ようやくここ古市ふるいちへたどり着いたのは、ひつじの下刻であった。
 経覚きょうがくは、しばらくその場にうずくまったまま動けなかった。身を隠すような張輿はりごしにずっと乗り通しだったとは言え、五十の腰にはひどく応える。
 上壇うえのだん迎福寺げいふくじというところへ、ともかくも落ち着いて、外陣げじんの置き畳にうつ伏せになっていると、
「古市播磨公はりまのきみ様がご挨拶に」
 と、年嵩の住持が知らせてきた。
「早速来たか。待ち構えておったな」
 経覚はつぶやき、丸々とした体を畳のへりに沿って転がしながら、ようよう起き上がった。
 やってきた古市胤仙いんせんは、身の丈六尺に及ぶほどの大男である。
 青々と剃り上げた頭をさらして虎髭を伸ばし、浅葱色あさぎいろ直綴じきとつに金襴の加行けぎょう袈裟げさを掛けている。それが外の簀子すのこえんに這いつくばっていた。
 経覚は、摂関九条家の生まれとして、礼を失する相手は決して許さない。だが気心の知れた間柄で、内々の場にもかかわらず、煩瑣な挙止にこだわり過ぎるのも嫌いである。
「もうよい、さっさと入れ」
 促されて、大男が太鼓たいこばりの下まで膝行してきた。背後に見慣れない童子を一人連れている。経覚は畳に素足を投げ出したまま彼らを迎えた。
門跡もんぜき様。遠路はるばる、まことにご足労様でございました」
「一つも足など動かしておらんのに、ご足労もあるものか」
 しかめっ面を作り、苦々しく吐き捨ててみせた。
「疲れたのは輿舁こしかき衆と、わしを護衛してきたそなたの一門郎等、若党たちであろう。くれぐれもねぎらってやれい」
 胤仙は微笑を含みながら、もう一度深々と頭を下げた。
 道中敵の筒井つつい方に出くわしでもすれば、合戦となり、輿の中の貴人を守り抜くため、命さえ投げ出すことになっただろう。そのように気を張りつめ、危険を冒してまで、彼らは経覚を古市まで送り届けてきたのだ。
「よくぞご決断くだされました。大乗院だいじょういん門主、興福寺こうふくじ別当を親しくお迎えすることができ、この古市郷始まって以来の喜びにございます」
「まだ、そなたの本貫ほんがんに居着くと決めたわけではないぞ。安位寺ではいささか遠過ぎ、奈良から節供せっくの品々を付け届けさすのにも、いちいち骨が折れようからの」
 経覚は自分でも、未練ったらしい言い方になっていると思った。
 迎福寺の堂宇は、この郷の中では一番なのだろうが、さして大きくもない。京はもちろん、南都の一子院にも遠く及ばないであろう。その上新しくもなく、湿っぽい黴臭さが漂っている。
「とは言え、国中くんなかの西の果ての山裾に張りついておられたとて、何の生き甲斐がありましょうぞ。まだまだ田舎へ隠居されるつもりはない。そう考えられたからこそ、門跡様は今ここにいらっしゃるのでしょう」
 図星を指されてしまえば、何も言い返せなかった。
 おのれの内には、位を極めた高僧らしくもなく、まだまだ熱くたぎって抑え難いものがある。それは怒りでもあり、野心でもあり、さらなる栄誉への渇仰かつごうでもあった。
「必ずや筒井を叩き潰し、ご門跡に寺務を取り戻して差し上げましょう。拙者も官符衆徒かんぷしゅと棟梁へ返り咲いてみせる。どうかご安心めされよ」
 自らの力を誇示するように、厚い胸板を反らしてみせた。
 筒井は、興福寺の一乗院いちじょういん方衆徒筆頭であり、大乗院方の古市とは、不倶戴天の仇同士である。今もって奈良の支配を巡り、大小の合戦を繰り返している間柄なのだ。
 その闘争を少しでも有利に運ぶため、おのれの身柄を欲している。当然のことながら、それくらい経覚にも重々わかっていた。
「わしはかつても一度、そなたの言葉を信じた。今と同じくらい、力強く請け負っていたな。その結句が、菊薗山きおんざんの城を自焼じやきし、長年にわたってしたためた日記も失い、ほうほうの体で南都を逃れてからの二年間であった」
「過去を悔い改め、同じ失敗は繰り返さぬ。その覚悟があればこそ、ご門跡をお迎えに上がらせたのです。我ら共々、もはや他に行く道はない。何卒お腹を括られますよう」
 脅すように平伏してみせる。古市胤仙はそれができる男だった。
「そちらの童は」
 話頭を転じ、背後に控えている小童の方へ目をやった。丹色にいろ水干すいかんを身にまとい、髪を唐輪からわに結い上げている。
「我が息子の小法師にございます。今後、何卒お引き立てのほどを」
 父に促され、膝行しながら前へ出た。裾濃すそごくくり袴である。上目遣いがきつく、稚さに似ない三白眼であった。ただ、結んだ唇の両端に小さな笑窪が浮かんでいる。
「年はいくつじゃ」
「九つにて」
 垂領たりくびの懐を探って短冊を取り出し、小さな両手で差し出してきた。受け取って目を落とす。
 吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
 端正な筆跡である。新古今、西行さいぎょう法師の雑歌であった。
 ハハ、と経覚は思わず声を立てて笑った。
「そなたが選び、これを書いたのか」
 折れそうな小首でうなずいてみせる。
「名は」
春藤丸はるふじまると申します」
播磨律師はりまりっしにしては、良き名をつけたの」
 思わず軽口が出て、またも笑いに紛れさせた。風流童子を連れてきた胤仙に、まずは先手を取られた格好である。

 一月ばかり経ち、ようやく腰が落ち着いてきた皐月のころ、経覚は惣領館そうりょうやかたの宴へ招かれた。
 数日の長雨が上がり、ちぎれ雲一つ見えなかったが、月はまだ出ておらず、空は墨を流したように暗かった。
 手輿たごしに揺られつつ、城山の急な坂道を登ってゆく。湿った夏の葉の隠微な匂いが鼻をくすぐる。簾を手の甲で持ち上げると、眼下には点々と火明かりの灯った郷の夜景が広がっていた。
立野たつのに比べれば、賑やかなものよの」
 と、経覚は独り言ちた。
「はあっ」
 従者のはた経胤つねたねが、聞こえたのか聞こえていないのかわからぬ様子で、侍烏帽子さむらいえぼしを直しながら振り返った。
 奈良を追放されたのは、今回の一度ばかりではない。十年ほど前にも、将軍家の勘気をこうむり、信貴山しぎさんのふもとの立野へ逃れていたことがある。そこでは三年間を蟄居のうちに過ごした。
 大和一国の領主たる興福寺の頂点に立ちながら、都合五年もの間、南都を離れていたことになる。
 煮え立つような情動が、いつも敵味方を色めき立たせ、さらなる騒乱を招き寄せる。だがおのれのそういった性分が、決して嫌いではないのだ。周囲の困惑顔も、指さして笑い飛ばしてやりたくなる。つまるところ、どこか童子じみた戯れ心が、いつまでも抜けないらしい。
 曲輪くるわの間に設けられた土橋を渡ってゆくと、深閑と生い茂った竹林に囲まれて、杮葺こけらぶき屋根、白土壁の豪壮な建物が、いくつも寄り集まっていた。
 胤仙は自ら、多くのかがりに照らされた唐門からもんの前まで迎えに出てきた。病弱だという妻も一緒である。が、件の童子の姿がない。
「門跡様、よくぞ。ささ、こちらで、ごゆるりと」
 尋ねてみる暇もなく、文字通り手を取らんばかりにして通されたのは、築山のある池のほとりの会所かいしょ座敷であった。
 襖障子ふすましょうじに墨絵で山水を描き、腰張に金泥こんでい銀砂ぎんさを刷いている。飾り棚には香炉、香合、文鎮、すずりといった唐物や、螺鈿らでんの盆、蒔絵まきえの文箱《ふばこ》などが所狭しと並べられ、銀銅蛭巻拵ぎんどうひるまきこしらえの華麗な太刀が、鹿角の刀掛けに横たえられていた。
(聞きしに勝る富裕)
 と、経覚は細い目を見張った。
 古市は、大和の衆徒国民の中では新参者である。春日若宮へ流鏑馬やぶさめを奉納する六党の中にも入っていない。
 それでも大乗院方衆徒の筆頭として威勢を振るっているのは、南都へ至るかみツ道の喉元を抑え、商いによって富を蓄えているからだ。
 座敷には惣領の一門郎等、当地在住の学侶がくりょ六方衆ろっぽうしゅうらが、既にしとねを並べていた。経覚が上座につくと早速酒礼となり、初献の盃が取り上げられた。
「かねてよりご厚恩に預かってきた門跡様を、我らが本貫へお迎えする運びとなり、大慶至極、子々孫々まで伝え聞かせるべき喜びだ。今宵はささやかながら、祝いの膳を設けさせていただいた。山海の珍味に諸白もろはくの酒、どうか心ゆくまで楽しまれたい」
 胤仙の言葉に引き続き、みなが揃って一献を干す。次いで笋(たけのこ)、茗荷(みょうが)、山芋、鮑(あわび)、海鼠(なまこ)、鮎などの膳が次々に運ばれてきた。
 庭に面した明かり障子は開け放たれ、宵の微風を呼び込んでいる。ただ空は晴れていながら黒ぐろとして、灯明の光だけがぼんやりと、めいめいの面立ちを浮かび上がらせていた。
 ふいに胤仙が箸を置き、両のたなごころを打ち合わせた。
「今宵は寝待ねまちの月にて、闇夜の明かりが物足りない。興趣を添えるべく、この場へ月を呼んでみたいと思うが、いかがか」
 一門衆の豪放な笑い声が応える。どうやら前もって打ち合わせ済みの様子である。
「月を呼ぶとは、いかなることか」
 経覚も誘いに乗り、懐紙かいしで口元を拭きながら尋ね返した。
 胤仙は、企み顔でうなずき返すと、片手を持ち上げて庭の方へ合図を送った。
 榑縁くれえんの向こうから、龍笛の調べが流れてきた。ゆったりとふくらで始まり、責めへ転じて、懸吹かけぶきで一気に音色が高まる。
 それに囃し立てられた如く、数人の童子と一頭の馬が現れてきた。黒い鏡のような池の面を背にして、長押なげしと柱に囲まれた四角い枠の中である。
みな頭上に薄衣をかずき、ぬるい夜風になびかせている。盤領あげくびにした水干の胸元で、菊綴きくとじふさが躍っている。横笛を薄い唇に当てているのは先頭の童だ。一人だけ目にも鮮やかな花山吹の出で立ちである。それが他でもない、春藤丸であった。
 馬は輝くばかりの月毛つきげである。
 ふいに笛の音が途切れた。春藤丸が馬子からくつわを譲り受けたのだ。差縄を引いて座敷の正面まで進んでくると、童たちは夜露よつゆを負うたつぼみのように、一斉に小さな頭を下げてみせた。
「門跡さま、我らの元へおいでくださり、心からありがとうございます。奈良などへお帰りにならず、ずっとこの郷にいらしてくださいね」
 甲高い声を揃えられて、経覚も思わず相好そうごうを崩した。
 鼻をそびやかしながらこちらを見上げているのは、先頭の春藤丸である。同じ年ごろのわらわべを率い、いかにも誇らしげな様子であった。
「古市は、数こそ多くありませんが、質の良い馬を産します。その中でも稀に見る良馬にございますので、門跡さまへ献上いたします。どうかお納めくださりませ」
「なるほど、寝待の夜に、月毛の馬を月と見立てたか。趣向なり」
 経覚は膝を打ち、破顔大笑した。朱塗の盃を上げて諸白をあおる。ふくよかな甘みが舌の上に広がり、一筋が唇の端からこぼれ落ちた。

                           ~(2)へ続く

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