【歴史小説】流れぬ彗星(1)「炎上、切腹」
この小説について
この小説は、畠山次郎、という一人の若者の運命を描いています。
彼は時の最高権力者、武家管領の嫡男です。
しかし、目の前でその父親が割腹自殺する、という場面から、この小説は始まっています。
彼はその後、師匠の剣豪や、愛する女性、そして終生の宿敵である怪僧・赤沢宗益と巡り合い、絶望的な戦いを続けてゆきます。
敗れても、何度敗れても立ち上がり続けます。
全ては、野心家の魔人・細川政元により不当に貶められた主君・足利義材を救うため。
そして自分自身を含め、あるべきものをあるべき場所へ戻すためです。
次郎とともに、室町から戦国へと向かう、混迷の時代を駆け抜けていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
世に不撓不屈の将は数あれど
足利義尹、畠山尚慶の主従に勝る者はなし
~『紀和志』林堂山樹
本編(1)
木の柱が音を立てて爆ぜ、障子紙が瞬く間に黒い焦げとなって朽ちてゆく。
塊となった熱が、見えない壁となって目の前へ迫り、じりじりと肌を焼きつける。
炎が揺れながら立ち昇り、天井の梁を呑み込んでゆく。頭上から黒い煤がはらはらと落ちてくる。
藺草の燃えるにおいが鼻腔をふさぎ、煙が目に染みて涙が滲んできた。
畠山次郎は、指先までぴんと張りつめたまま、まるで身動きが取れずにいた。
(死ぬ覚悟はできている)
と、いつでも思っていた。
なぜか? 自分は、武士の息子だからだ。それもただの武士ではない。管領家の嫡男だからだ。
ところが、今は何も考えられない。
熱さ、苦さ、息苦しさ、といった心の感じ方と、避けられない肉体の応じ方だけがある。
これでは、獣と変わらないではないか。
目の下に端座した父は、鎧直垂の前をはだけ、袴の紐をずり下げて、小具足の籠手で短刀を逆手に握った。
「右京大夫めが、まさかおのれの手で公方を廃するとはの」
目玉は赤く血走り、かさぶたになった唇を噛みしめている。
右京大夫、細川政元。
やはり管領家の当主で、当年二十八歳。次郎より十歳年長なばかりだが、若くして幕閣の枢要に携わり、底知れぬ知謀と謎めいた人格で既に知られていた。
「まさしく、天をも恐れぬ所業よ」
「いや、全ては人の為す事」
次郎は、父に答えるでもなくつぶやいていた。
「あやつのために、将軍の位は鴻毛の軽さとなった。我ら足利一門の家長を軽んずれば、代わりに自らその重荷を担わねばならぬ。周囲の全てが敵に回り、どちらかが死に絶えるまで戦い続けなければならぬ。そのような世を招こうとしていると、あやつはわかっているのか」
ふう、と末期の息を肺臓から絞り出した。
「わしはただ、父と兄の無念を晴らしたい一心であったのだ」
泣き言を繰るその眼差しは、我が息子を上目に見つめながら、最後まで許しを、慰めを求めているかのようだった。
始まりは、もう四十年も昔のことであった。
次郎の祖父、畠山持富は、管領である兄の養子となっていたものの、ふいに後継を外され失意のうちに没した。
代わりに家督に据えられたのが、兄の庶子の義就であった。
浮かれ女の子だった、ともいう。
が、譜代の家臣団は持富の境遇をあわれみ、その息子兄弟を擁して義就と争った。兄の方がほどなく病没すると、弟の政長が旗頭となった。
それが父、今まさに、目の前で腹を掻っ切ろうとしている男である。
政長は、同じ家格の細川氏を後ろ盾として管領となり、いっときは義就から家督を奪還して、吉野の山奥まで没落させた。
しかし、当代随一の猛将として名高い義就は決して屈せず、生還して河内を荒らし回ると、山陰六ヶ国守護の山名宗全と同盟して帰京を果たした。
そうして巻き起こったのが、洛中洛外を焼け野原にした応仁文明の大乱であった。
「どのような時節であろうと、決して理の通らぬ世を許してはならん。そのためにわしができるのは、生涯をかけて義就と戦い、その子孫を討ち滅ぼすことであった」
父は果敢にも義就と何度も刃を交えたが、その度に惨敗した。
自らの力量をはるかに超える、恐ろしい敵手に立ち向かい続け、ついには相手が病死するまで粘り抜いた。
その一点において、父は偉大である。
「私は、こんな父の仇を取るべきなのか」
「次郎よ、何をしておる。さっさと行け」
「私は公方様を、義材様をお守りしなければ」
この将軍親征は、そもそも父が勧めたことなのだ。
先年の江州六角征伐に続き、河内に義就の残党を討って、大いに武威を示すべきであると。
それが京の留守を預けた細川政元にまんまと裏をかかれ、背後から襲いかかられているとは。
やはり父は、救いようのない人だ。
「例え将軍家が途絶えることはあろうとも、畠山宗家の血を絶やしてはならん。紀伊にはまだお前を迎え入れる者たちもいよう。振り返るな、さっさと行けエッ」
女物の打掛が投げつけられ、たちまち視界が暗転した。
~(2)へ続く
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