アナログ派の愉しみ/本◎内藤湖南 著『日本文化史研究』

われわれにとって
応仁の乱が意味するものは


昨年(2022年)のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が高視聴率を稼いだせいで、わたしのまわりにも源頼朝や政子、北条義時らについてまるで親しい隣人のような口をきく手合いがいる。また、『源氏物語』にもとづく大和和紀の漫画やタカラヅカの舞台をきっかけとして、自分まで平安朝の華やかな宮廷に仲間入りしたかのような女性も知っている。こうしたエンタメ作品の数々が、現代のわれわれと遠い過去の距離を縮めてくれるのはまことにけっこうなことだと思う。

 
 が、そこには落とし穴もあるらしい。明治・大正期の東洋史学界の泰斗、内藤湖南は『日本文化史研究』に収められた「応仁の乱について」(1921年)のなかで、こんなふうに述べているのだ。

 
「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」

 
ざっくばらんな話し言葉なのは講演の筆記録のゆえだが、それにしてもあまりに大胆不敵な主張ではないか。応仁の乱(1467年~77年)以前の、つまり平安時代や鎌倉時代はわれわれにとって縁のない外国の歴史と同じと言っているのだから。

 
その論拠とするところを、ひと言で要約すれば「下剋上」だ。足利幕府の室町時代に10年以上も続いた戦乱にあって、実際に京都が戦火に見舞われたのは3~4年に過ぎなかったものの、その結果、洛中洛外の公卿門跡がことごとく焼き払われ、貴族階級に代わって世間に台頭したのが最下層の足軽連中だった。他にも「下剋上」の風潮はさまざまな面に現れる。たとえば、天皇家の宗廟たる伊勢神宮においても、それまではとうてい平民が近づける場ではなかったところ、このころ朝廷はすっかり衰微して祭祀を行うこともままならなくなり、伊勢の講中をこしらえて一般大衆の参拝によって維持を図るという、いまにつながるスタイルがはじまった。

 
こうして社会の上下の仕組みが根こそぎ引っ繰り返った状況に対し、内藤はつぎのように指摘する。

 
「かくのごとく応仁の乱前後は、単に足軽が跋扈して暴力を揮うというばかりでなく、思想のうえにおいても、その他すべての智識、趣味において、一般にいままで貴族階級の占有であったものが、一般に民衆に拡がるという傾きを持って来たのであります。これが日本歴史の変り目であります。〔中略〕とにかく応仁時代というものは、今日過ぎ去ったあとから見ると、そういう風ないろいろの重大な関係を日本全体の上に及ぼし、ことに平民実力の興起においてもっとも肝腎な時代で、平民のほうからはもっとも謳歌すべき時代であるといっていいのであります」

 
どうやら、応仁の乱以前は一般の人々にとってひたすら逼塞した息苦しいだけの時代だったのが、このとき広々と社会参加の扉が開いて、将来の大衆社会に向けてスタートを切ったようだ。だからこそ、エンタメ作品でも、応仁の乱以後の織田信長・豊臣秀吉から徳川家康を経て、坂本龍馬や西郷隆盛ら幕末維新の志士たちに至る時代が絶大な人気を博してきたのだろう。

 
ところが、21世紀の今日になって、内藤の弁にしたがうなら外国の歴史にも等しいはずの、平安時代や鎌倉時代のほうが関心を集めているように見受けられる(かく言うわたしも『吾妻鏡』が面白い)のはどうしたわけか? ことによったら、政治家から芸能人まで世の中の日の当たる場所には二世三世がはびこる一方、途方もなく拡大した経済格差はいっそう固定化するばかりで、いつの間にかこの国が階級社会へと逆行しつつあることを反映しているのかもしれない。
 

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