鎌倉時代の人物、 北条時頼は息子に職を譲って諸国を巡り歩いたんだって。 その理由が下の訴えが上に通じないことを嘆いたからだって。 時代は違えど、今も昔も似たような事はあるんだね。 ”都鄙問答”より
和田殿 どうなります? 真っ直ぐな 武士の中の武士 多分 義時とは真逆 どちらも 鎌倉の事を一番に考えている