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起請文など10枚でも20枚でも何枚でも書いてやる

 「つまりはそういうことだ」
 この台詞は『鎌倉殿の13人』第40話の「罠と罠」で弟の平九郎(岸田タツヤ)が「兄上はそう見せかけて、あわよくば和田殿につこうとされている」という問いかけへの平六(山本耕史)の答えだ。

 つまり北条義時(小栗旬)が和田一族を追い詰め挑発し挙兵させることで討伐する、それに加担するために和田に加勢するふりをするが、本当は漁夫の利を狙っているのだろうというのが弟の問いかけ。そして兄の答えは上記の言葉、
「そうやって俺は生きてきた。上総、梶原、比企、畠山、幾人が滅んだ。三浦はまだ生き残っている。」へのトドメの言葉だ。

 このトドメの言葉に思い出すのは、『草燃える』でやはり弟に問いかけられ、藤岡弘、が演じる平六が返した似たような台詞だ。
 『草燃える』の第46話「和田合戦」の問答と同じ「そういうことだわな」を思い出すのだ。

  「つまりはそういうことだ」と「そういうことだわな」の類似性と相違点は後述する。

 『草燃える』の第46話も『鎌倉殿の13人』の第40話の「罠と罠」も和田合戦の発端、泉親衞の乱から始まる。ある信濃の御家人、泉親衞に唆された百数十人にのぼる御家人が捕縛されたのだ。頼家の遺児千寿丸をかついで北条を抹殺しようとする計画に加わっていたのだという。捕縛された者の中には和田義盛の息子、義直、義重、甥の胤長などが混じっていたことは一致していて、二作品とも『吾妻鏡』を踏襲している。幕府はじまって以来の大陰謀事件であった。
 厳密に言うと最初の発端は『草燃える』、永井路子著の随筆『つわものの賦』、『吾妻鏡』にもあるように、鎌倉への謀反を呼びかけたものの一人である安念という法師が捉えられたことから、この事件は始まる。安念の白状によって謀反を企てたとする者が捕らえられ、その中にはやはり義盛の息子と甥が含まれていた。そして首謀者は例の泉親衞だということがはじめて明らかにはなるが、その親衞が企てた内容は上記と同じ内容で、鎌倉への謀反を企てたというが、親衞は逃げおおせたということで、ドラマ内では姿を見せない。安念と談合していたことは義直、義重、胤長も認めている。このあとは『草燃える』の創作であるが、安念は同じ牢にいた十郎(滝田栄)に謀反の真相を語り始めた。自分は謀反に加わっても罪にはならず、かえって報奨に預かれる。2、3年は遊んで暮らせると。それではあるはずのない謀反を誘発するためのやらせ、つまり北条の差し金かと十郎は安念を再度問い詰めたが、そのまま死んでしまった。十郎は自分に出されたものにも毒が入っていたことがわかった。口封じにのための毒殺に違いない。
 
 だが、『鎌倉殿』では安念は登場せず親衞のみが大活躍するのだ。しかも親衞の正体は源仲章(生田斗真)ということになっているから当然黒幕は朝廷になり、時政とりくの嫡男政範の急死も仲章が暗躍していたことといいやはり北条に都合が良すぎるのではないか?乱の一味を率いた直後に親衞が忽然と消えた不自然さに着目したことは注目に値するが。ちなみに安念役は昨年他界した辻萬長、元々は『鎌倉殿』の祐親役だった。

 義盛が一族の赦免を実朝に直訴し、親衞に話を聞いただけの二人の息子は赦免されたが謀反に加わってしまった甥の胤長は赦免されなかったこと、さらに98人を引き連れ甥の胤長の赦免を乞うたが認められず陸奥国へ配流と決まったこと、罪人の屋敷は一族の者に下げ渡しされる慣例を義時が破って他の一族の者に下げ渡したことなどの大筋は、二作品とも『吾妻鏡』を踏襲しているが、個別での相違点がないわけではない。
 胤長の娘の病死について『鎌倉殿』は取り上げたが、『草燃える』はスルーし、逆に実朝の近習で義盛の孫である朝盛(氏家修)は出家して京へ出奔し無理やり連れ戻されたことは『草燃える』は取り上げるが、『鎌倉殿』はスルーする。起承転結の起承までは単なる個別の相違点だが、転から大筋が急激に変わる。

 和田を救おうとする実朝(柿澤勇人)と、影響力があることで幕府(北条)に為にならない和田を滅ぼそうとする小四郎だけは変わらないが、それに対する双方の動きはある意味対照的なのである。

 『鎌倉殿』では最初に小四郎を戒めてほしいと訴えるのは他ならぬ息子の泰時(坂口健太郎)なのだ。そこで政子(小池栄子)は弟に義盛(横田栄司)に野心などないと諭そうとするが、小四郎は、義盛に野心がなくても皆が担ぎ上げてしまうだろうことは言いながら、表面上尼御台である姉に従い、「和田をこれ以上けしかけることは致しません」と約束はするが、裏では「和田を焚き付けるいい手を思いついた」と広元(栗原英雄)に囁く。『吾妻鏡』のように、胤長の屋敷を他の一族の者に下げ渡してしまうのだ。「そんなことをすれば義盛が怒るに決まっているではないか」と実朝は呆れるが「それが狙いです。戦には大義名分がいるのです。向こうが挙兵すれば我らは鎮圧のために兵を出せます」と。だが聞かされていない政子にも学習能力もあるので、「弟の考えることくらいお見通し」と平六を呼び義盛を裏切るように命じる。三浦が北条につけば、和田は挙兵を諦めるだろうと。そして協力すれば宿老に取り立てると交渉までするのだ。尼御台になっている以上、弟の許可を得なくてもそのくらいの力はあるのだと。「謹んでお受けします」と笑みすら浮かぶ平六であった。
 よって「義盛を死なせたくはないのです」と実朝に言われれば「三浦がこちらにつくと約束してくれました。戦にはなりません」と慰める。しかし義盛の性格を知っている実朝は「そんなことで諦めるわけがない。1人になっても戦う、そんな男です。」と義盛に直接会って挑発に乗らないように伝えたい、戦を止めたいことを切に訴える。
 「あの手を使うしかないですね。我が家に伝わる秘策、今のところ一勝一敗ですが。」「我が家に伝わる」などと謙遜して言っているのか、発明したのは政子自身である。
 一勝は頼朝、一敗は義高のことであるが、女装しての逃亡や潜入であることは言うまでもない。物語上、義盛に女装させて御所に来させることは成功しているが、多くの視聴者に突っ込まれることは折り込み済みなのだろう。
「お前を死なせたくはないのだ」義盛は号泣する。

 『草燃える』にはより絶望感が漂う。
 小四郎(松平健)は、罪人の屋敷は一族の者から没収し他の一族の者に下げ渡してしまうことは、小栗版の小四郎のように「いい手を思いついた」などと悦に入ったりせず粛々と行う。しかも「いい手を思いついた」と喜ぶのは五郎(森田順平)だ。
胤長から奪った屋敷で酒宴を開き、遊び女も呼んで盛り上がろうと提案したのだ。
「これも戦術よ。北条政権を兄上からそなた、そなたからその子へと守り通していくためならこれくらいのこと当然。」これは五郎の作戦に「叔父上、まるで楽しんでいるようなおっしゃり方を」といさめようとしたまじめな泰時(中島久之)への返しだ。
 五郎の有能さ、ドライさ、汚れ仕事へのスタンスに舌を巻く。それに五郎から甥への言い含めもあるから小四郎は息子に「そなたのため」と言う必要もなくなる。だから『鎌倉殿』では五郎と同じようなことを小四郎自身が泰時に言い含めているのだ。

 『草燃える』でも母に力があることを知っている実朝(篠田三郎)は、その威光で安達一族を滅ぼさずに無駄な血を流さずにすんだときのように戦を止めて欲しいと希う。

そして執権(小四郎)に北条が和田を追い詰めることをやめるように言ってほしいと。だが、『鎌倉殿』の政子に比べると『草燃える』の政子(岩下志麻)はかなり北条寄りなので実朝への対応は真逆なのである。
「そなた、この母に謀反人の機嫌を取れというの?」
「そうか、母上もやはり骨の髄まで北条の人間なのですね。父上の遺功を守るとおっしゃりながら北条のことしかお考えにならない。」
実朝は三浦が和田につけば鎌倉中が血の海になるほどの激しい戦いになることも不安視していた。
親子の会話を聞いていた小四郎が間に入った。
「御所、御所のお気持ちはよくわかる。御所自身が義盛(伊吹吾郎)に戦をやめるように言えばいいんです。ことをわけて熱心にさとしておやりなさい。手を引くかもしれない。」
「ああ、そなたに言われなくてもそうするとも。」
政子は三浦が和田と共に立つことは本当なのかと小四郎にたずねたが否定する。
「そんなことはありません。三浦はいつも我々の味方です。心配なさらずとも義村に限って決して寝返ることはありません。」

 実朝は叔父に啖呵を切ったものの、結局は2度目の義盛との対面は果たせずに『吾妻鏡』と同じように使いの者を和田の館へ送り真意を問いただそうとする。但し使いの者は史実と違う。『吾妻鏡』で和田の館に送られるのは宮内兵衛尉公氏だが、『草燃える』では実朝の自作を添削する定家の弟子内藤知親が使いとして来るのだ。

「存念はわかっている。どうか事を起こすなと」という実朝からの伝言に義盛は思わず号泣するが今さら後には引けない。御所への謀反ではない。北条への謀反なのだと。
 そして最後に冒頭で触れた二作品による平六の台詞についての種明かしをする。

三浦平六義村(藤岡弘、)by『草燃える』

「つまりはそういうことだ」に該当する「そういうことだわな」はどういう意味か?義盛が挙兵を決意したときになんと平六は自分の方から起請文に署名するのだ。

「俺たちは同じ一族、太郎殿、神にかけて同心を誓うぞ」と。
 ところがである。三浦の館に戻るとその口で平然と弟に嘯くのだ。

「何度も言わすなよ、平九郎。俺たちは謀反に加わらないことを言ってるんだ。」
自分から起請文に署名したのにだ。どういうことなんだと問われると

「奴らが兵を挙げれば俺たちは北条方につくことになる。だから平九郎、わぬしもそのつもりでいろよ。」
「だって、それじゃまるっきり和田を裏切ることに」と言われればここで

「ああ、そういうことだわな」と答えるのだ。二作品の平六の台詞はどちらも生き残りを賭けたやり取りなのだ。
 さらに起請文など10枚でも20枚でも何枚でも書いてやると言い放つ。和田が協力を求めてくる前に義時は先を読んで確かめにきていると。その時点で北条側につくと約束したと。だが弟の平九郎(柴俊夫)だって、「はい、わかりました」と簡単に納得出来るわけがない。
 「汚え、汚いぜ。そのやり口はあまりにも汚すぎる。それが三浦のやることかよ。兄貴は恥ずかしくないのか?それじゃまるで北条の犬だ。」と言えば平六も説得にかかる。

「まあ聞け。平九郎。謀反を起こすからには三浦が北条に取って代わらねば意味がないのだ。北条の血を根絶やしにして現将軍の首をすげ替えねばな。現将軍を葬り我らが養君、善哉の君を将軍の座に、それが出来るのというなら、俺は喜んで和田に力を貸す。そうすれば新将軍の後ろ盾としてこの鎌倉を牛耳れるのだ。北条に代わって執権となることができるのだ。ところが義盛はただ北条憎しに凝り固まっているだけ、その先に何の見通しもない。そんなことで俺たちが共に命運をかけることができると思うのか?義時はあれでなかなかの曲者、今回のことにしても北条からすべて仕掛けてきたこと。何の勝算もなく小四郎がそんなことをするはずがない。和田と三浦が組めば あるいは大激戦の上に勝てるかもしれない。しかし勝ったとしてもそのあとはどうだ?あの義盛が執権の座につくことになるんだぞ。とてもじゃないが俺はあの男を執権として立てていく気にはなれん。それなら義時の方がどんなに信頼できるか。誰もがそう思うだろう。その結果、戦が戦を呼び鎌倉は収集がつかなくなる。どどのつまり和田と三浦の相打ちだ。たとえ俺が鎌倉を牛耳ることになったとしてもあまりにも犠牲が大きすぎる。なあ平九郎。」 

なんて卑怯だと誰もが思うだろう。しかしこの長台詞を聞いて誰か堂々と反論できるのか?少なくとも筆者は反論できない。ある意味清々しいとすら感じてしまうのだ。

実は平六が自分で起請文に署名する前に義盛に問いかけている。 

「挙兵の前にひとこと聞きたい事がある。北条に兵を挙げるということは執権を亡き者にするということだな?」と。
「当たり前だ。義時も弟の時房も息子の泰時も一族もみな殺す」と義盛はそこは即答するが、平六はさらに問う。
「じゃあ尼御台は?御所はどうする?御所も葬り去るのか?」
「御所も、将軍家もか?」
「そこまでやらねば北条を滅ぼしたことにはならんぞ。おい太郎殿、そこまでやる気があるのか?わぬしそこまで.どうなんだ?」
「じゃあ、尼御台は?」

リアルタイムから40年以上経っているが何故かこのシーンを忘れることはなかった。頭の中でリフレインすることもある。理由も不明だ。自分への戒めなのだろうか?だがこの質問に義盛の答えはない。つまりビジョンはない。ビジョンがないものに起請文の署名で答える平六らしい皮肉な応答。

一見残酷でもなく荒唐無稽でもないシーンなのにとてつもない強烈なシーンだった。そして平九郎は兄の言うとおりになるしかなかった。『鎌倉殿』でも『草燃える』でも平九郎は兄と違って直情的だが、前者の平九郎の方は、かなり利発である。何しろ兄のことを「あわよくば和田殿につこうとされている」とまで見抜いているのだから。

『鎌倉殿』の平六は『草燃える』と違って自分の方から起請文の署名などしないが、署名する羽目になる。
 「その前に起請文を書いていただきとうございます。決して和田を裏切らぬと約束してほしいのです。」

 起請文を書く経緯はどうなるかが見ものだったが、平六に署名を書かせたのが巴(秋元才加)だとは予想だにしなかった。落武者だったという経験値があるとはいえ、巴が決して脳筋ではないことがきちんと表現されている。

 『鎌倉殿』の第30話「全成の確率」のあるシーンも思い出す。
「小四郎、わしらは北条側だ。安心しろ」の小太郎義盛と
「言っとくが今のところだぞ」の平六
 ここで二人のというか和田と三浦の差が鮮明に出てきていた。明らかに和田合戦のフラグである。この世界では、いや現生でも「今のところだぞ」の方がある意味信用できるのかもしれない。

 既に多くの人が指摘しているが、『鎌倉殿』での和田合戦は、本作品では自害とされていた仁田忠常謀殺事件の再現である。

義盛が実朝と対面していたときに、一族は、和田の館に戻ってこない義盛を救おうと四男義直(内藤正記)が先発隊を率いて出陣してしまうのだが、この元ネタは『吾妻鏡』での仁田忠常討伐だと思われる。頼家から時政討伐の命を受けた忠常は、比企能員追討の賞を受けるべく時政邸へ向かうが、帰宅の遅れを怪しんだ弟たちは、時政討伐の命を頼家から受けていたことが露見したと考え、政子邸を襲撃するが、返り討ちにあう。忠常も謀殺される。『草燃える』では踏襲されたが、『鎌倉殿』では踏襲せずに忠常は自害ということにされていた。浮いたままになっていた忠常討伐のネタはこの際和田合戦に使うのがコスパ的にも都合がいいということになったのだろう。

補足
  胤長が配流先での殺害されたことは二作品ともスルーされていた。

  二作品とも武勇で名高い朝比奈義秀の母のことは触れていない。逸話で義秀の母は巴だという説もあるが、時系列的に矛盾があるので誰も事実とは思っていないから取り上げにくいのだろう。『鎌倉殿』で義秀を演じているのは栄信だが『草燃える』の義秀を演じているのはあの北村総一朗だった。

 

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