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蒲原城に行ってきました

日曜日は静岡県蒲原城に行ってきました。今川・北条・武田の攻防の城で、城を落とした武田信玄公が(海道第一の城)(海道一の険難の城)と戦勝を誇ったと言います。

善福寺曲輪から見た駿河湾

岩盤を断ち切った空堀など、遺構も良いのですが、駿河湾・東海道、富士山が見渡せて、絶景でした。(信玄さんは富士山は見慣れてるかもしれないけど💦)

岩盤を断ち切った堀切

蒲原城は東名高速辺りから城山の山頂まで連続的に曲輪が連なっているお城ですが、城山の山腹部分が未整備です。
私はまず、城山の山頂に近い搦手から本丸まで行き、麓に降りて大手から三の丸(広く耕作地になってる)と二の丸(密な薮)下へ行きました。そのあとは東の山にある狼煙場にも登りました☺️

作られた時代がはっきりしないものの、石垣もあります。

武田の駿河侵攻時には実質的には北条の城になっており、武田の総攻撃で北条新三郎氏信(幻庵の次男、早雲の孫)らが討ち死にしています。

本丸には北条新三郎が祀られています。


寡兵の北条は大手側と搦手側に兵を分けていましたが、武田が大手側に大軍を布陣させたため、北条は大手側に兵を移動させてしまったそうです。陽動作戦ですね。
ところが搦手には武田勝頼軍を潜ませていて本丸がすぐ制圧されてしまい、主だった武将も討ち死。

手薄となったところに勝頼軍が入り大混乱となった善福寺曲輪。もとより本丸とのダイレクトな連絡道がなく、死に曲輪かもしれない。

お城を隅々まで歩いてみて、麓の大手側は本丸まで比高がかなりあり、高速道路で消失した砦もあったそうですが、山頂に近い搦手側は堀とかはあるけどあまり比高がなくて、すぐに本丸。ドンピシャな作戦だと思いました。大軍とはいえ、地形を見て効率良く勝ちを収めているようで
(うわ、信玄さんスゴ〜)を体感しました。
  

復元の逆茂木があります。

三の丸付近は耕作地になっていて、何名か畑仕事をされていたので、ご挨拶してお話ししました。
その中のおじさんが
「お城見学したあと、コーヒー用意しとくからね!」って言ってくださりました。
(え〜どうしよう??コーヒー頂いてしまって大丈夫かなあ💦断るのも悪いしなあ)とばかり考えて城趾を見ていました。
(お腹も丈夫だし、逃げ足も超早いからコーヒー貰うか!)と覚悟を決めて下山したら、アレ〜?畑の端の端で作業されてる。
「ありがとうございました!」と一応大きい声で声をかけたけど届かなかったのでソソクサと失礼しちゃいました💦悪いことしてないのにそのあとダッシュ💨
こういう時はどうすればいいんでしょうね。好意って難しい〜。
去年も小谷城へ登った際、大嶽城で抹茶を立てているおじいさんに抹茶をいただいてしまった。美味しいのに美味しくいただけない気持ちがある💦

大手側の入り口。こちら側から見学にしてもほとんど遺構は見られないです。

最後に行った狼煙場は富士山がとってもキレイで、眼福でした。

山部赤人の(田子の浦ゆ‥)は蒲原で読んだものだそうです。私も西からやってきたから、この辺りで初めて富士山の全貌が見えた喜びはわかる!

狼煙場に行く前に桜の名所の御殿山を登っていくのですが、ミニ吊り橋があります。

結構揺れて楽しいです。

蒲原宿の街並みもなまこ壁があったり、大正モダンな建物があったり、素敵でした。

和洋折衷な宿場町

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