夢酔藤山

ようこそ! 歴史時代小説を執筆しています。2024年は連載3本と単行本2本のお仕事です…

夢酔藤山

ようこそ! 歴史時代小説を執筆しています。2024年は連載3本と単行本2本のお仕事です(4月現在)。 講演・執筆のご依頼がございましたら、どうぞよろしくお願いします。 四方山のことは、こちらにも……! 散文小径 http://musuitouzan.blog.fc2.com/

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先に、ここね   ⇩ 自己紹介2000年「奇本太閤記」で第73回コスモス文学新人賞長編小説部門新人賞を受賞。以後、文筆へ。現在、「満洲-ここはお国を-(南信州新聞)」「真潮の河(房州日日新聞)」「千人同心がゆく(西多摩新聞※令和薫名義)」を連載中。 故遠山あき氏に縁深い文芸同人槇の会に所属。全国里見一族交流会理事、小山田信茂公顕彰会賛助会員をはじめ歴史研究会東京支部会員(H30年歴史大賞功労賞受賞)などに属す。 現在できること・やってみたいこと 2023年のオール読物新

    • 「悪代官様、御成りあそばせ」第4話

      第4話 悪代官様、ぴーちたいむ  最近憂鬱な悪代官様。桃の季節が終わってしまったようです。実は、桃が大好物みたいですね。 「誰も献上しないということは、いよいよ今年も桃の季節はおしまいかぁ」  すっかり気の抜けた悪代官様。黄金色の饅頭にもあまり関心がなさそうです。  それを聞いた恵比寿屋さん。色々と手を尽くしたのですが 「どうやら桃は、終わってしまった御様子」 と、代わりに持ってきたのは拐かしの町娘。せめて桃尻で我慢して欲しいという引っかけのようですが 「桃がいい。桃がなけ

      • 音楽に寄り添う小説もある

        作品を読まれる方が 「この作品のイメージは……」 とチョイスすることがあるように、書き手にも脳内大演奏な印象ミュージックがあると思う。少なくとも、ワシにはある。 アルファポリスで発表している「小河内ムーンライト」。 これは、グレン・ミラーの名曲を全編の背骨にしたものである。 これを作品のなかに練り込んだ、和製ジャズが戦前日本から潰される少し前の、切ない時代の物語。 この作品の時代設定と、グレン・ミラーにちょっと詳しい方が作品を一瞥すれば、アレッという矛盾にすぐ気づく。気付

        • 「悪代官様、御成りあそばせ」第3話

          第3話 悪代官様、まねぇげぇむ  布袋屋さんは手広く反物を扱っておりましてね、全国津々浦々の品物が御店に並んでおりますから、そりゃあもう、若い娘御からいぶし銀のとっつぉんまで、購買層は実に広いものでございます。しかも、安いお値段で提供しているものですから、本当に繁盛しております。  なにせ偽物ですから。 「これなに?黄八丈じゃないの?わたしが欲しいのは黄八丈なのよ」 というお目の高い方には、そっと裏の戸口からお招きして、本物を提供することもございます。それも格安ときたもんだ

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          リアル侍ジャイアンツ

          2022年、野球漫画の第一人者である水島新司氏が亡くなられた。もう2年にもなる。月日が経つのは、実に早い。 水島先生は実在選手を漫画に登場させた最後の漫画家かも知れません。なにせ今の野球漫画は架空のプロ球団や大リーグチーム、そこに所属する架空の選手を描くものばかりです。でも、昭和の人にとっては、やはり実在の選手と混在して主人公が活躍する野球漫画が、胸アツでした。「巨人の星」「侍ジャイアンツ」などは、読売巨人軍V9の頃を用いたもので、王さんや長嶋さんなどスター選手も多く、川上哲

          リアル侍ジャイアンツ

          「悪代官様、御成りあそばせ」第2話

          第2話 悪代官様、びふぉ~あふたぁ  近頃お江戸に流行るもの。屋敷や長屋の改築、古い家屋を再利用して付加価値をつけ生まれ変わらせるのだそうで、昨今の流行は八王子方面出身の大道芸人の仕業らしい。長屋から旗本屋敷に至るまで、とにかく想い出の品物ごと新しく造り替える商売ってのは本当に目新しい。粋を自負する江戸っ子が飛びつくのも道理ってやつで。  悪代官様も当節の流行には、なんだか乗り気のご様子です。  で、悪代官様。  これをうまいこと儲けに使えないものかと、またぞろ悪い考えを巡

          「悪代官様、御成りあそばせ」第2話

          満洲 最新エピソードの舞台

          現在のエピソードは、虚と実の狭間を舞台にしております。 主要人物は学生、これらは全てフィクション。しかし教授陣は実在の人物が多く含まれます。この学校の名前は、建国大学。旧満洲新京に実在した、満洲の国立大学。1945年8月の満洲国崩壊による閉学まで、入学の倍率は高く秀才が門をくぐり、学びの徒となった学生を9期まで受け入れた。 満洲国スローガンと同じく、「建国大学令」によると、この大学の建学目的は 「学問の蘊奥を究め、身を以て之を実践し、道義世界建設の先覚的指導者たるの人材を養成

          満洲 最新エピソードの舞台

          「悪代官様、御成りあそばせ」第1話

          あらすじ 江戸の時代の、どのあたりかは定かではござりません。時代考証だのと何なのと、堅苦しい話はやめておきましょう。 江戸八百八町のどこかにおりますのが、悪代官様。名前なんて、野暮なことは聞かないで下さい。今日もどこかで、また悪いことを考えて、悪徳商人とつるんで、あんなことやこんなことをやっているんです。毎回、あんなこと、そんなこと。古典的な悪代官のすべてを赤裸々に、コミカルに……どうです、気になりませんか? それでは悪代官様と一緒に、黄金色の饅頭を片手に、いざ江戸ライフへ

          「悪代官様、御成りあそばせ」第1話

          千人同心 散文小径私見

          noteとは別に、マイルドな切り口の、「千人同心がゆく」への私見を、ブログ「散文小径」に綴りました。 気がついたら、何か書き置きして下さいね~。

          千人同心 散文小径私見

          千人同心がゆく 一人反省会

          令和改元と同時にスタートした西多摩新聞連載作品「千人同心がゆく」。 平成18年に同紙で連載された作品「聖女の道標」に差し替えられて陽の目を観なかった塩漬け作品でした。令和という新しい歴史の始まりとともにお声をいただき、再度、西多摩新聞に発表の機をいただいた。 「えっ、違うペンネームにしちゃうのですか?夢酔藤山という作家のファンが多いのですよ」 最初、令和薫という第二ペンネームに抵抗された。西多摩新聞社としては、夢酔藤山という名前に寄る想いもあったのだろう。当時の、自身が負って

          千人同心がゆく 一人反省会

          伝説の中に生きる畠山重忠

          義経ほどのスケールではないが、英傑と称される武将には多くの伝説が残されているものだ。 東京の西のはずれ、鎌倉街道と呼ばれた寂しい道の傍らにも、それはあった。 鎌倉へ向かうルートの途中、ここで一服したのでしょうね。

          伝説の中に生きる畠山重忠

          歴史研究第719号

          歴史研究第719号……郵便で届きました~ヤッタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! あらためて新選組と千人同心の関係性を、しみじみと感じてございます。 明確な線引きをせず、境界線でどちらにも向く視線を持つことのできた唯一の人物が、井上松五郎。源三郎の兄です。 掲載誌にも記しましたが、大事なことなので、ここにも書く。 でも、源さんは相当な腕前だった!そのことは、本誌から汲み取って欲しい。 少なくとも天然理心流免許を持つ新選組隊士は、多くないからね。 夢酔が、令和薫を名乗り改元の

          歴史研究第719号

          東海道と国道1号線

          「国道」という言葉が使われたのは、明治9年(1876)。 現在は国道1号線である、旧東海道。 バイパスにより既設から外れて、かつての旧街道は、場所によっては観光地にもなり商店街になり、場合によっては閑静な住宅地の路地にも等しくなっている。 ちなみに国道1号で最も寂しい区間は「鈴鹿峠」らしい現在の国道1号線は、総距離約758.8km。距離ランキングでもっとも長い国道ランキング2位とのこと。なお、1位は旧奥州街道の国道4号。 元気なうちに日本橋から三条大橋まで旅をしてみたいも

          東海道と国道1号線

          お江戸日本橋

          こんな歌を、聴いたことないかな? お江戸日本橋 七ツ立ち 初のぼり 行列そろえて あれわいさのさ コチャ高輪 夜明けて 提灯消す (コチャエー コチャエー)   恋の品川 女郎衆に 袖ひかれ 乗りかけ お馬の 鈴が森 コチャ大森細工の松茸を (コチャエー コチャエー)   六郷渡れば川崎の 万年屋 鶴と亀との よね饅頭 コチャ 神奈川急いで 程ヶ谷へ   馬入渡りて平塚の 女郎衆は 大磯小磯の 客をひく コチャ小田原評議で あつくなる   登る箱根の お関所で ちよいとまく

          お江戸日本橋

          門前とは富岡八幡宮のことなりか

          門前仲町。 都内墨東でもすっかり洗練された雰囲気より、てやんでぃべらんめぃな空気を令和に残す暮らしやすそうな場所。この地名、由縁はある。富岡八幡宮別当寺の永代寺の門前町として17世紀半ばから町屋が形成されたとされる。 富岡八幡宮。 寛永4年(1627)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時、永代島と呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされる。創建当初は 「永代嶋八幡宮」 と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。江戸最大の八幡宮である。 江

          門前とは富岡八幡宮のことなりか

          アルファポリスにて新作「小河内ムーンライト」スタート ライト小説です

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