山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本…

山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本列島の起伏を体感しながら、フィールド・ワークし続けたい… 〈既訪問地=★本州・四国全域 ★離島11島 ★鹿児島→長崎 ★門司→博多〉

マガジン

  • 中条遺跡 土偶A

    愛知県刈谷市重原本町の中条遺跡から出土した土偶Aを基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 本刈谷貝塚 土偶

    愛知県刈谷市天王町の本刈谷貝塚から出土した土偶を基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 私のシンクロニシティー

    シンクロニシティーを感じることのよくある私の実体験です。

最近の記事

  • 固定された記事

伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

愛知県内の個人的な土偶調査は豊田市で終了と思い、すでに岐阜県にも手を広げ始めたところ、愛知県内の田原市でも土偶が出土している情報にぶつかったため、田原市を巡ることにしました。田原市から出土した土偶で頭部、あるいは体部がほぼ完全な土偶で開示されている土偶は「有髯土偶(ゆうぜんどぐう)」と呼ばれている土偶1点のみのようです。ただし、愛知県内で展示されている、その有髯土偶はレプリカで、実物は東京大学に収蔵されています。 昨年の9月下旬、有髯土偶の展示されているという田原市渥美郷土

    • 伊川津貝塚 有髯土偶 54:床止めの物理学

      愛知県田原市高松町を流れる汐川(しおかわ)に架った無名橋3から北岸を川下に向かって、さらにたどると、初めて車道の通っている中田橋が汐川に架っていました。ここはまだ高松町内です。 下記写真は汐川の上流側から撮影した中田橋で、中田橋は車道の通っている橋桁とその両側の歩道橋の橋桁が独立して設けられており、3本の橋桁が通っている。 さらに中田橋の上流側には水管橋も架っているが、中田橋も水管橋も金属部分は白いペイントで統一されている。 ●中田橋の謎 中田橋の上流側の汐川の土手は

      • 伊川津貝塚 有髯土偶 53:橋の記憶

        愛知県田原市高松町を流れている汐川(しおかわ)北岸を川下に向かって、さらにたどりました。 汐川から分岐している大久保川から180mあまり下ると、汐川上流から2基目の橋に出ました。 それはコンクリートでたたかれた橋面の側端部に高さ40cmほどの地覆(じふく)をつけただけのプレーンな橋だった。 橋巾2.5m、橋長6mほどで軽四輪が楽に渡れる橋だが、橋の両岸のつなぎ目に雑草が繁殖していて、車が通っている形跡はない。 地覆が付いていることで、橋の構造は強化され、雨水の導水の役にた

        • 伊川津貝塚 有髯土偶 52:若鳥集合

          愛知県田原市大久保町で汐川(しおかわ)を下流に向かいました。 汐川が90度折れて以降3番目の暗渠上から上流側を振り返ると、すぐ先に集水枡が設けられ、集水枡上流側と集水枡以降(下記写真手前)で、水流に変化が見えた。 集水枡上流側は水の流れがあって、水深が浅く、集水枡より下流(上記写真手前)は水深が少し深くなり、水に流れが見えない。 おそらく、集水枡上流側は水底の傾斜が大きく、集水枡下流側では水底が平なのだろう。 二つの傾斜をつなぐために集水枡が設けられているようだ。 この撮

        • 固定された記事

        伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

        マガジン

        • 中条遺跡 土偶A
          35本
        • 本刈谷貝塚 土偶
          28本
        • 私のシンクロニシティー
          2本

        記事

          伊川津貝塚 有髯土偶 51:推肥発酵装置

          愛知県田原市野田町に位置する水源貯水池から流れ出した汐川(しおかわ)は用水路として北西の大久保町田畑地にまっすぐ流れ、280m以内で右折し、南東にまっすぐ向かっていました。 汐川の右折部分には、やはり集水枡が設置され、上流方向を見ると、汐川水源貯水池の北岸と西岸の山裾に建てられた長い田原牛飼育厩舎が複数棟見えている。 ここから見ると、途中の農道沿いからは雑草に覆われてよく見えなかった汐川の水路は水源貯水池北岸堤防上を通っている農道のすぐ下からよく見える。 ここから一つ上流

          伊川津貝塚 有髯土偶 51:推肥発酵装置

          伊川津貝塚 有髯土偶 50:3つの水源

          渥美半島(愛知県田原市)最長の河川である汐川(しおかわ)を水源から河口までたどることにしました。昨年の9月下旬から10月上旬のことでした。 『愛知県』(2015年7月14日) “二級河川汐川水系河川整備基本方針” には汐川に関して以下のようにある。 おそらく、水源の「赤羽根町」というのは「汐川の水源」ではなく、「汐川流域の水源」という意味だと思われ、GoogleMapで汐川を辿ると、赤羽根町の北東側の野田町までしか表示が無く、実際の現場に行ってみたが、地図表記の先には私有

          伊川津貝塚 有髯土偶 50:3つの水源

          伊川津貝塚 有髯土偶 49:南朝陵

          愛知県一宮市の時之島八幡社から時之島八幡社の北側を東西に通っている路地の向かい側にある墓地に向かいました。そこには地図には「(西陣南帝)熊野宮信雅王御瑩墓」と表記されている陵があったからです。この陵が伊川津貝塚と本刈谷貝塚を結ぶレイライン上の愛知県内最北の施設です。この熊野宮信雅王御瑩墓(ごえいぼ)は一般の墓地の南側に大きなスペースを取って、ほかの墓群とは区切られた場所となっていました。「瑩墓」とは一定の区切られた敷地を持つ墓の意味です。 下記写真は東から西に向かって撮影し

          伊川津貝塚 有髯土偶 49:南朝陵

          伊川津貝塚 有髯土偶 48:Wの八幡社

          愛知県一宮市丹陽町の金刀比羅社(ことひらしゃ)から北北西2.6km以内に位置する一宮市北小渕の八幡社旧跡に向かいました。 八幡社旧跡は畑地と太陽電池施設が並行して並んでいる農道脇(下記写真左端)にあった。 緑の葉の茂る畑地の中に農道から太陽電池施設(上記写真畑地の向こう側)に向かって雑草の茂った少し畑地より高くなった土手が延びており、農道からの入り口には潅木が茂り、土手の先端部は少し、高くなっている。 下記衛星写真は農作物も雑草も無くなっている季節の八幡社旧蹟の写真だ。

          伊川津貝塚 有髯土偶 48:Wの八幡社

          伊川津貝塚 有髯土偶 47:イザナギ〜役小角

          愛知県岩倉市北島町の岩倉市自然生態園から北北西1.2kmあまりに位置する一宮市丹陽町の金刀比羅社(ことひらしゃ)に向かいました。 金刀比羅社の社頭は北東〜南西に延びる路地の北側に面し、「金刀比羅社」と刻まれた社号標が路地沿いに設置され、社頭には対になった背の高いクロームメッキされた4本の幟柱が青空に向かっていた。 参道に敷石などはなく、赤土の上に細かな砂利の敷かれた境内が奥に延びており、社頭から10m以内に石鳥居が設置され、その正面奥に瓦葺の社殿が見えていた。 その社殿の

          伊川津貝塚 有髯土偶 47:イザナギ〜役小角

          伊川津貝塚 有髯土偶 46:シン・ドングリ

          愛知県岩倉市北島町の岩倉市自然生態園内の西側には南北に連なるとんぼ池があって、その池の西岸を辿っていました。 とんぼ池は橋や池がボトルネックになった部分で4ヶ所に分かれていますが、その北から2番目の部分と最北の部分の間にあるボトルネックの北側でアメリカザリガニと遭遇した。 アメリカザリガニは人の動きに敏感で、すぐに物陰に隠れようとするので、撮影が難しい。 そのすぐ北側では水中からトノサマガエルが頭だけ出していた。 アメリカザリガニとトノサマガエルは直前の記事で紹介した

          伊川津貝塚 有髯土偶 46:シン・ドングリ

          伊川津貝塚 有髯土偶 45:ヒンドゥーと中近東のハイブリッド

          愛知県岩倉市北島町の岩倉市自然生態園内に祀られた津島社の境内社と思われる社に向かって西に延びる脇参道があり、そこには地面にセミが地表に出て来た時の抜け穴が無数に空いていました。その脇参道の先には社が見えていました。 その社には脇参道の途中から飛び石の参道が延び、社の足元には拝石が置かれていた。 脇参道の左手(南側)には空堀があり、その淵には脇参道が崩れないよう縁石が設けられていた。 脇参道の右手(北側)には空堀は無く、乾燥した落ち葉の積もった森がある。 南側の空堀は幅の

          伊川津貝塚 有髯土偶 45:ヒンドゥーと中近東のハイブリッド

          伊川津貝塚 有髯土偶 44:武塔神も徐福

          愛知県岩倉市北島町の御嶽神社(おんたけじんじゃ)の北東70mあまりにある岩倉市自然生態園に向かいました。現在辿っているレイラインの岩倉市自然生態園を含めた北側の各所は昨年10月に撮影したのですが、その写真が丸ごと見当たらなくなってしまったため、先週、再度、熱暑の中、撮影してきたものです。10月に撮影できたのに8月だから撮影できなかったもの、8月だから撮影できたものが存在しました。 岩倉市自然生態園の南西側から自然生態園の南側に沿った路地に入っていくと、上記絵地図内に掲示され

          伊川津貝塚 有髯土偶 44:武塔神も徐福

          伊川津貝塚 有髯土偶 43:破壊神クニトコタチ

          愛知県岩倉市北島町の御嶽山(おんたけさん) 福寿講社から、道路の向かい側斜め北にある白髭神社の北側に面した御嶽神社に向かいました。白髭神社の脇に駐めた愛車はそのままです。 北島町 御嶽神社は塚に生い茂った社叢を玉垣が囲んでおり、さっき寄った御嶽山 福寿講社と同じ「講祖壽覚霊神」の幟が3本、ひるがえっていた。 玉垣には黒くペイントされた観音開きの鉄柵門(ヘッダー写真)が2ヶ所に設けられていたが、その右側の門の前には中央に手水桶が置かれ、手水桶の両側には対になった常夜灯、その

          伊川津貝塚 有髯土偶 43:破壊神クニトコタチ

          伊川津貝塚 有髯土偶 42:塩土老翁も徐福

          愛知県岩倉市北島町の白髭神社(しろひげじんじゃ)廻廊の西側には河原石で石垣を組んだ逆L字型の基壇は築かれ、複数の境内社と石碑が祀られていた。 下記写真が北島町 白髭神社の境内社群だが、写真右側が廻廊で、写真奥が本殿側。 逆L字型の短い棒の部分に南向きに祀られているのが1基の板碑。 そして、長い棒の部分奥から1基の石碑、2棟の連棟社、最も手前に境内社津島社が単体で祀られていた。 板碑には頭頂部に角丸の凹刻枠取りがあり、「國幣中社」(こくへいちゅうしゃ)とあるが、これは神社

          伊川津貝塚 有髯土偶 42:塩土老翁も徐福

          伊川津貝塚 有髯土偶 41:白髭=徐福

          愛知県北名古屋市法成寺の八剱社(はっけんしゃ)から北々西1.9km以内に位置する岩倉市北島町の白髭神社(しろひげじんじゃ)に向かいました。 北島町の白髭神社は鰻の寝床のように南北に長い社地を持った神社で、社頭は南側にあり、南々西を向いていた。 北島町 白髭神社の社地は社頭のある南側と東側の全面が一般道の路地に面している。 その南と東の角地に面した社号標には「村社 白髭神社」と刻まれていた。 鳥居は社頭前の道路から10m以上引っ込んだ場所にあり、社頭にはこの地域の他の神社の

          伊川津貝塚 有髯土偶 41:白髭=徐福

          伊川津貝塚 有髯土偶 40:神宮の荒魂

          愛知県北名古屋市西之保(にしのほう)の十所社から春日小牧線で直線距離で北々西ほぼ1.5kmに位置する北名古屋市法成寺の八剱社(はっけんしゃ)に向かいました。 八剱社は春日小牧線の西側に面していた。 社頭は南側にあって、社頭沿いには東西に延びる暗渠があり、表道路に面して「村社」を消し、「八剱社」と刻まれた社号標が設置されている。 異例なことに表道路から数メートル引っ込んだ場所に寺院スタイルの石門が設けられており、鳥居はさらに10mほど奥に設けられていた。 愛車を社頭脇に駐

          伊川津貝塚 有髯土偶 40:神宮の荒魂