見出し画像

伊川津貝塚 有髯土偶 41:白髭=徐福

愛知県北名古屋市法成寺の八剱社(はっけんしゃ)から北々西1.9km以内に位置する岩倉市北島町の白髭神社(しろひげじんじゃ)に向かいました。

愛知県岩倉市北島町 白髭神社
岩倉市北島町 白髭神社
北島町 白髭神社

北島町の白髭神社は鰻の寝床のように南北に長い社地を持った神社で、社頭は南側にあり、何々西を向いていた。

愛知県岩倉市北島町 白髭神社 社頭

北島町 白髭神社の社地は社頭のある南側と東側の全面が一般道の路地に面している。
その南と東の角地に面した社号標には「村社 白髭神社」と刻まれていた。
鳥居は社頭前の道路から10m以上引っ込んだ場所にあり、社頭にはこの地域の他の神社のように石門が設けられていた。
神社の石門が単なるこの地域の風習だとしても、元には神仏習合があると思われる。
この白髭神社の社頭は幅が狭く、社地は一般道より1段高いだけなので、何もしなければ、社頭が神社としての風格が低くなる。
そのために工夫がされていた。たった1段登るための1mほどの長さのスロープが石畳で設けられ、そのスロープは30cmほどの高さの親柱を持っていたのだ。

岩倉市北島町 白髭神社 社頭 スロープ

たったこれだけのことで、風格が上がるのは、高級クラブの建物の入り口に黒大理石の石段を設けるのと手法は同じで、石が使用されていることによる。
ただ、白髭神社の登り口に関しては山車などの車を出し入れする実用的な用途があるようで、石に傷跡が見える。
とにかくこの神社は社頭に立っただけで、社主は石工じゃないかと思もわせるほどの石の洪水だった。
石の多用された神社は、檜の多用された住宅に比肩するイメージがある。
愛車を社頭脇に駐めて、石のスロープを上がって表参道に入り、石門の間を抜けて玉垣内に入ると、石鳥居の手前に何か石製品が横たわっていた。

北島町 白髭神社 表参道 石橋

表参道の両側には無数の常夜灯が並び、玉垣の役割を兼ねている。
表参道を横切る正体不明な石製品の奥には石鳥居、石造の蕃塀、瓦葺の拝殿、社叢が連なっている。

謎の石製品は横から眺めると、長さ1.5m以内の太鼓橋であることが判った。

北島町 白髭神社 表参道 石橋

これまで遭遇して来た太鼓橋の中で最短ギネス級の石橋だった。
橋の下に水は流れていないのだが、水路の痕跡があり、かつての水路にあったと思われる河原石だけが残っている。

石橋を渡ると数メートル先に、この石橋に比して実に普通な石造明神鳥居が設置されていた。

北島町 白髭神社 表参道 鳥居

鳥居をくぐり抜けると、10mあまり先に石造の蕃塀が設けられていた。

北島町 白髭神社 表参道 蕃塀

この蕃塀、2点を除いて装飾の浮き彫りの無いものだった。
2点のうち1点はもっとも下の3分割された羽目板のそれぞれの分割に凸彫で同じ枠取りがしてあること。
この枠取りは、この枠の中に文(もん:模様や図版)を浮き彫りするための枠なのだが、肝心の図版類は省略されている。
もう一つは屋根のすぐ下の欄間の中央にバチ(ギターのピックに当たる三味線の器具)型の束柱が設けてあり、意味不明の稲魂のようなマークが線刻されているのみだった。
この稲魂のようなマークは拝殿前で意味が解明された。

蕃塀を迂回すると15m以内先に瓦葺入母屋造棟入で吹きっぱなしの拝殿が立ち上がっていた。

北島町 白髭神社 拝殿

拝殿の前には参道の左手に石造蝋燭立、中央に割った石を組んだ受台を持つ鉄製の灯明篭、左右対になった常夜灯、狛犬が連なって設置されている。
拝殿の周囲は玉垣で囲われ、正面には連子格子の鉄の扉を持つ門が設けられていた。

北島町 白髭神社 拝殿 神門

石に混じって尾張特有の鉄が現れた。
この鉄の扉には金色にペイントされた奇妙なマークが左右の扉に付いており、鉄櫛の上部先端部にも1本づつ、シシカバブの最後の一口が残っているかのように並んでいる。
コレは一体!?
それに拝殿の軒下にも意味不明の木枠が取り付けてあった。
取り付け角度が参拝者に向けてあるので、祭の際に図版のようなものを掲示するための取り付け枠だろうか。
そして、拝殿内には巨大な賽銭箱が置かれているのだが、門が閉まっていたので、入場は遠慮した。

しかし、賽銭箱の中央に大きく表示された謎のマークを見て、初めてこれがこの神社の神紋であることに気づいた。

北島町 白髭神社 拝殿 賽銭箱 神紋

「白髭」の「白」を鈴を意識して紋化した神紋であることが判った。
実に神紋らしくない紋なので、上記蕃塀の束柱の線刻も、鉄門の装飾も神紋とは思わなかったのだ。

拝殿の東側は一般道に面しているので、西側に迂回して祭文殿前で参拝しようと思ったのだが、銅板葺の祭文殿前は玉垣で閉じられていたので、玉垣脇で参拝した。

北島町 白髭神社 祭文殿

この神社に関する情報は社名以外は不詳のようだが、総本社は近江(滋賀県)最古の大社を標榜する白髭神社で、祭神は猿田彦命、神紋は左三つ巴となっており、北島町 白髭神社の神紋はこの神社特有のもののようだ。

●白髭・白衣で結ばれる猿田彦命とモーゼ
猿田彦命の正体を徐福と考えれば、猿田彦命の先導した天孫族が秦国の民であったことは容易に推測できる。
そして、猿田彦命の先導する秦国の民の姿は、旧約聖書『出エジプト記』でモーゼ(風態が猿田彦の絵画と重なる)に先導された古代イスラエルの民と重なる。
もしかすると、秦氏の民が日本列島に渡来したのは余裕があってやって来たのではなく、優秀な技能者たちが滅ぶ秦国を予感しての国外脱出だった可能性もあるのではないか。
米国アリゾナ州でナバホ族の祭りを見学した際にも、「出エジプト」のイベントは行われていた。
体をゼブラカラーに塗った道化師(猿田彦と重なる)が体に白粉を塗って樹木の枝葉や鳥の羽根を装飾したナバホ族を一列に先導して祭りの行われた大広場を永遠に(?)練り歩いていた。
その広場の中央奥には道祖神、あるいは地蔵菩薩のような巨大な石造物が祀られていた。
こうした同型のイベントはお隣にはヘモス(モーゼだよね)が先導した古朝鮮族(実際には縄文人であって、現代韓国民とは無関係だろうね)の神話として伝わっている。
こうした神話を地球上の各地に残した可能性のある民族といえば縄文人しか思い当たらないのだ。

それはさておき、近江 白髭神社の資料によれば、白髭神社の分霊(白髭神社の別名社も含む)が多く祀られている都道府県上位5は以下である。

・静岡県 64社
・岐阜県 62社
・埼玉県 33社
愛知県 11社
・東京都 10社

『近江最古の大社 白髭神社』公式ウェブサイト
http://shirahigejinja.com/goyuisyo/御分霊社/

以下本殿の写真は一般道に出て撮影したものだが、銅板葺神明造で、鰹木は6本、千木は内削ぎで、いずれも男神猿田彦命ではなく、猿田彦命が先導した天孫族の長、女神アマテラスを示唆しているように見えた。

北島町 白髭神社 本殿

(この項続く)

◼️◼️◼️◼️
アリゾナ州にはネイティブ・アメリカンの聖地セドナが存在します。セドナは日本の、ややインテリジェンスの高いイメージの芸能人が訪れては、さも意味ありげにテントサウナを行ったりして「人生が変わったかもしれない」をしますが、観光案内のネイティブ系アメリカ人も心得たもので、キセルで煙草をくゆらすなど、シャーマン風な振る舞いを行なって撮影に協力してくれるようですが、純粋なネイティブ・アメリカンはすでに存在していないようです。四国八十八ヶ所霊場vsセドナ霊場、来訪者の目的は似ているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?