伊川津貝塚 有髯土偶 54:床止めの物理学
愛知県田原市高松町を流れる汐川(しおかわ)に架った無名橋3から北岸を川下に向かって、さらにたどると、初めて車道の通っている中田橋が汐川に架っていました。ここはまだ高松町内です。
下記写真は汐川の上流側から撮影した中田橋で、中田橋は車道の通っている橋桁とその両側の歩道橋の橋桁が独立して設けられており、3本の橋桁が通っている。
さらに中田橋の上流側には水管橋も架っているが、中田橋も水管橋も金属部分は白いペイントで統一されている。
●中田橋の謎
中田橋の上流側の汐川の土手は北岸(下記写真左手)のみ、30m以内だが傾斜が45度くらい付けられ、上部が広げられている。
そのためにこの部分の堤防は下記衛星写真のように、ここまで約5m巾だったのが約12m巾に広がっている。
水面巾も、それにともなって広がっている。
このことは以下の衛星写真で見下ろすと一目瞭然だ。
中田橋を見ると、橋長は車道が約7m、歩道橋が約12mとなっている。
橋の長さが車道と歩道で異なっているのは、中田橋が元は現在の車道部分しか無くて、交通量が増えてから歩道と歩道橋が追加された可能性が見て取れる。
すでにできていた車道部分を広げて歩道を追加するには車道部分も12mに長く変更、つまりほぼ全面的に造り直す必要が生じるので、歩道橋を別に架けて追加したものと推測できる。
ここで謎なのは、なぜ川幅を橋の手前で広げる必要があったのかだ。
川幅が広がっているのは橋の上流側だけではなく下流側も同様になっている。
推測できるのは鉄砲水が起きた場合、直径50cm以上ある石が下流に転がってくることは普通にあるということだ。
直径50cm以上ある石が橋桁に当たれば、破損してしまう。
これを避けるため、あるいは増水による橋の一時的な水没を避けるために橋の前後の堤防内体積を増やすのが目的だと推測できる。
橋の上流側まで流れてきた水量は橋の手前から(12m/5m=)2.4倍に広がれば、単純計算では、水位は半分以下に低下させることができる計算になる。
そのために土手の傾斜を45度に増やすことで堤防幅を増やし、鉄砲水の大水量に対応しようとしているのだと推測できる。
ついでだが、ここまで汐川を見てきたところでは、巨木が汐川に流れ込むような場所は無かった。
直径50cm以上ある石に相当するものが汐川に流れ込んでくるとしたら、上流で破損した橋や護岸の石材、汐川に流れ込んだ建造物などが考えられる。
●床止めの役割
橋の前後で川幅を広げる対応は鉄砲水などの特殊な事情に対応するためだが、そのために普段の河床が対応しなければならない事態が生じる場合がある。
それが、中田橋の下流30m以内に設けられた床止めだ。
床止めというのは河床に人為的に設けられる段差のことだ。
平常では中田橋前後で人為的に広げられた水路の水流が再び通常の川幅に戻されると、その分、水流の速度がUPする。
実際には汐川は中田橋の上流側では約5m巾標準だったのが、下流側では約9m巾が標準に変化しているが、それでも川幅は約12m巾から約9m巾へと、75%に縮小され、その分水速はUPしてしまう。
その水速を川下の河床を上げて傾斜をゆるくすることで1旦落ち着かせるのが床止めの役割だ。
だからこの床止めでは止められた水が下流側に落ち、水しぶきが上がっている。
なぜ、水流が速いと問題なのか。
水流が速いと河床の土砂を少しづつ、あるいは鉄砲水のさいには大きく削られてしまう。
護岸の土台になっている河床が大きく削られれば、護岸は不安定になり、崩れてしまう恐れが出てくる。
護岸の崩壊は堤防の決壊につながるのだ。
中田橋上流側歩道橋上から上流側を見下ろしたのが下記写真。
途中から中田橋に向かって、堤防上部に45度傾斜のコンクリートブロックが並んでいるのが確認できる。
中田橋上流側歩道橋上から下流側に並んでいる中田橋車道を見たのが以下の写真。
中田橋車道の欄干と斗束(とづか:柱)は完全に赤錆で覆われ、白いペイントは剥落しており、ガードレールも白いペイントを透して赤錆が浮き出ている。
下流側の歩道橋上から下流側の汐川を眺望したのが下記写真。
下流側も北岸(上記写真左手)だけ、上部に傾斜をつけたコンクリートブロックが張られている。
ちょっと判りにくいが、水面の途中が乱れている部分があり、床止めが設けられているのが分かる。
100mあまり下流の最奥には白い汐川橋が架っているのが見える。
汐川橋に向かうと、欄干が平でガードレールを張った純白の汐川橋前に出た。
野生感の強かった中田橋上流側と違い、都市部郊外の雰囲気になってきた。
ただ、汐川橋上から上流側を見下ろすと、汐川堤防部分の野生感はあまり変わらなかった。
川巾は約9mに広がり、水量は明らかに豊かになっている。
上流奥に見える床止めは中田橋から見て想像していたよりも落差が大きい。
床止めの落差が大きいと小魚が上流に遡れなくなってしまうが、汐川は今でも全国ワースト10には入っている可能性の高い悪水なので、いずれにせよ、生物は生息していないだろうが。
汐川橋上から下流川を見下ろすと、上流側から護岸のコンクリートブロックが平滑ではなく、意図的に川の中央に向かって凸凹に並べられているのが分かる。
これも水流の速度を落とす意図があるのではないかと思われる。
これは汐川橋の上流側からすでに始まっている処理だ。
汐川橋から下流90m以内に架っている橋に向かっていると、南岸にムクゲの花が百花繚乱になっていた。
ムクゲはアオイ科フヨウ属の落葉樹なので、同じアオイ科フヨウ属のハイビスカス、フヨウ、タチアオイとも花の雰囲気が似ている。
ムクゲの古名「ハチス」は蓮の「ハチス(蜂巣)」と同名だ。
『男はつらいよ』の主題歌歌詞だが、これは葛飾柴又の帝釈天という寺が歌詞に出てくるので、蓮の方のハチスだ。
ムクゲの花期は夏から秋となっている。
『植物の百科事典』には以下のようにある。
次の橋は荒れていた。
この橋の路面は荒れ、一部が焼けているように見え、両側の地覆(じふく)からは丸い柱が2本だけ対になって立っているのだが、ボキっと破壊された姿で根元だけ残っている。
この橋の上で大型トラック同士が衝突事故を起こし、炎上した現場のようになっている。
ちなみにサスペンス系のTVドラマではよく自動車が炎上爆発するが、呑み屋で刑事が重要事件に関する捜査の話をするのと同じで、ありえないフィクションだという。
ただし、中国製や韓国製のバッテリーを搭載したEVが炎上するのはフィクションではないようだ。
我が家の隣に無駄に大きなテスラに、いつも一人で乗ってる若者がいるが、我が家は火災保険に入ってるから大丈夫か。
それはともかく、2本しかない柱の意味するものは何も思いつかない。
ちなみにこの橋の両岸に何があるのか気になって調べてみたところ、南岸にはマンモス団地、畜産農地、園芸農地が存在した。
大型トラックがここを行き来するとしたらマンモス団地と関係する引越しくらいしか思いつかない
ところで、この無名橋4(仮名)は上記写真の橋の右手(上流側)半分が高松町、左手半分が大草町(おおくさちょう)で、橋が町境となっている。
事故現場から高松町側を見下ろすと、汐川の様子はほとんど変化が無い。
一方、下流側の大草町側を見下ろすと、河床に3ヶ所の床止めがあるのが確認できた。
護岸の凸凹といい、汐川はこれまでで最大の傾斜地に差しかかっているようだ。
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汐川に限って、今のところ心配は無いのですが、床止めの落差が大きい場合、魚類や両生類が上流に遡れるようにするために、魚が遡上するための通路である魚道(ぎょどう)が設けられる場合があります。魚道を必要とする代表的な生物が、泳ぐ力が強くないアユやハゼ、カニ、オオサンシオウウオなどで、大きな落差は登れません。アユは産卵のために川を降るので、産卵後は川上に戻る必要があります。オオサンシオウウオは台風などによる洪水で下流に流されてしまう場合があるのですが、帰巣本能があるので、元の場所に戻るために魚道が必要になるのです。
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