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中条遺跡 土偶A

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愛知県刈谷市重原本町の中条遺跡から出土した土偶Aを基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。
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記事一覧

中条遺跡 土偶A 1

愛知県刈谷市の中条遺跡(なかじょういせき)からも興味を惹かれる土偶が出土していました。この…

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中条遺跡 土偶A 2:天冠を被った蛇神

このページでは愛知県刈谷市の中条遺跡(なかじょういせき)から出土した土偶Aと弁財天との繋が…

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中条遺跡 土偶A 3:遺跡と井戸

このページでは愛知県刈谷市の中条遺跡(なかじょういせき)の場所と環境を紹介します。 中条遺…

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中条遺跡 土偶A 4:三ッ井戸

このページから愛知県刈谷市の中条遺跡(なかじょういせき)の位置する重原(しげはら)に存在する…

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中条遺跡 土偶A 5:一色町の龍蛇神

このページでは重原(しげはら)の三ッ井戸のうちの一つ、慕井戸(したいど)の存在したという愛知…

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中条遺跡 土偶A 6:空海石仏

刈谷市内でもう1ヶ所、弘法大師の関わったと思われる井戸を見つけたので、そこに向かったので…

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中条遺跡 土偶A 7:井戸と龍

刈谷市の西福寺に寄ったことから、目的地の井戸弘法が西福寺の前身の寺院の奥の院であることを知り、井戸弘法に向かうことになりました。 大位山 西福寺(さいふくじ)の東50m以内に位置する井戸弘法は井戸山泉龍寺(いどさんせんりゅうじ)の通称です。 井戸弘法の前に出ると、江島神社(江ノ島)の鳥居と瑞心門を習合したような ド派手な山門が目の前に立ち上がっていた。 寺号標には「三弘法発祥の地 井戸山泉龍寺」とある。 「三弘法」とは弘法大師が自ら彫像した三体の弘法大師像のことらしい

中条遺跡 土偶A 8:長篠川

中条遺跡(なかじょういせき)のある刈谷市重原本町(しげはらほんまち)5丁目は東の町境に長篠川…

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中条遺跡 土偶A 9:猿渡川

長篠川に続いて、長篠川の流れ込んでいる猿渡川(さわたりがわ)を河口まで辿ってみました。 縄…

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中条遺跡 土偶A 10:水源

このページでは中条遺跡(なかじょういせき)のある刈谷市重原本町(しげはらほんまち)5丁目に水…

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中条遺跡 土偶A 11:河口へ

このページでは中条遺跡(なかじょういせき)のある刈谷市重原本町(しげはらほんまち)5丁目から…

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中条遺跡 土偶A 12:メタリックな小人神

ここからは刈谷市重原本町(しげはらほんまち)5丁目に存在する中条遺跡(なかじょういせき)周辺…

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中条遺跡 土偶A 13:EM液の恩田川

このページでは天子神社貝塚(あまこじんじゃかいづか)と同じ刈谷市小山町(おやまちょう)6丁目…

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中条遺跡 土偶A 14:保存された縄文海岸

このページでは刈谷市小山町に存在する刈谷市内最古の貝塚である八ッ﨑貝塚を紹介します。 結果的に恩田川をたどる形になったが、天子神社貝塚(あまこじんじゃかいづか)の東北東260m以内に位置する八ッ﨑貝塚に向かった。 八ッ﨑貝塚は下記写真のように、八ッ﨑公園内の一角に丘陵の形で存在していた。 八ッ﨑公園は敷地がほぼ田の字型に4等分され、地面が東急ハンズ渋谷店のようなスキップフロアの形をとっている。 その最も上位にあるのが八ッ﨑貝塚で、しかも八ッ﨑貝塚のフロアだけが飛び抜けて