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【昭和歌謡名曲集61】精霊流し グレープ(さだまさし)

いよいよ書かねばなるまい。さだまさし、である。
まさしのことは正直書きたくない。恐ろしいのである。まさしではない。まさしを攻撃する人たちが恐ろしい。「関白宣言」と「防人の歌」は、ことに鬼門である。好きだと言ったら、どう攻撃されるかわからない。だから言っておく。好きでもきらいでもない。
ここでまず取り上げるのは「檸檬」である。聖橋から放るやつである。上京して私も放ろうとしたが、人通りが多く咎められそうなので、やめた。
「檸檬」と言えば梶井基次郎である。丸善に檸檬を置いてくる日本の名作である。だが、残念ながら私は読んでも面白くなかった。作者22歳の作品だという。
梶井には「桜の下には」という、やたら有名な奴もある。5ページくらいしかない。「屍体が埋まっている」のだそうだ。なんか思いつきみたいで、やはり私は面白くなかった。
それで、どんな繊細な奴かと梶井の顔写真を見てたまげた。まるでゴリラーマンだった。梶井はその容姿を深く恥じ、なんとか肺病になってやつれたいと、毎晩、川べりに行って胸を叩いた。そうして肺病になりますように肺病になりますように、と願っていたら見事肺病になって死んでしまった。悲しい話だろ、と大学の先輩が教えてくれた。本当か嘘か知らない。
だから、私は「檸檬」と聞いたら、まさしの顔を思い出すようにしている。その方が納得いく。
イメージと違うと言えば、「精霊流し」もそうである。亡き恋人の霊を慰撫するべく、精霊船を川に流す。しめやかな、物悲しい、静謐とした行事だと信じていた。
それがある日、長崎の「精霊流し」の映像をニュースで見た。とんだお祭り騒ぎで、賑やかなこと、この上もない。爆竹は鳴るわ、鐘をチンチン叩くわ、精霊船はやたら飾り立ててあるわ、龍まででてクネクネ踊るわ。
しかし、その後、周りがドンジャカうるさいければうるさいほど、やかましければやかましいほど、陽気であればあるほど、逆に悲しみは募るのではないかと思い直した。そう考えて作られたなら、「精霊流し」は名曲である。

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