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#読書

立体人間と平面人間

立体人間と平面人間

 今回の記事は、「立体、平面、空白(薄っぺらいもの・05)」と「「タブロー、テーブル、タブラ(『檸檬』を読む・02)」」の続きです。

◆立体と平面 自分には立体の時と平面の時があるような気がします。正確に言えば、自分を立体として意識している時と平面として意識している時があるのです。

 入浴中なんかは自分が立体だとつくづく感じます。なにしろ自分の体を自分の手を使って洗っているのです。自分の手の皮

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音読不能文について

音読不能文について

「音読・黙読・速読」という連載(全三回)をしました。このシリーズをした理由の一つは「音読不能文」の存在を訴えたかったからです。

・「音読・黙読・速読(その1)」
・「音読・黙読・速読(その2)」
・「音読・黙読・速読(その3)」

音読不能文
 音読がしにくい文章から音読が不可能な文章までをひっくるめて、私は「音読不能文」と勝手に呼んでいるのですが、次のようなものをイメージしています。

・セン

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音読・黙読・速読(その1)

音読・黙読・速読(その1)

 今回から三回に分けて「音読・黙読・速読」という連載をします。

黙読しやすい文章
 漢字が適度に使われている文章は黙読しやすい気がします。読むというよりも、見て瞬間的に意味を取るのに漢字が適しているのは、もともとが象形文字だったからでしょうか。

 形を音に変換してその意味を理解するのではなく、形で直接意味が理解される回路が頭の中にできているように思えます。

 フォトリーディングという言葉を聞

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「読む」と「書く」のアンバランス(薄っぺらいもの・07)

「読む」と「書く」のアンバランス(薄っぺらいもの・07)


◆第一話
 文章を書くのは料理を作るのに似ています。天才と呼ばれる人は別なのでしょうが、私なんかはずいぶん苦心して文章を書いています。

 勢いに任せて殴り書きする癖があるにしても、文章を書くのには手間と時間がかかるのです。

 料理も手間隙かけてせっかく作ったのに、ぺろりと平らげられる場合があります。あっけないですが、作ったほうとしてはうれしいものです。

 書くのに時間と労力を要するのに、さ

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書物の夢 夢の書物

書物の夢 夢の書物

 文字からなる文章を読むという作業は、文字の形の具象的な側面(個人差のある筆跡)を取捨して、文字の形の抽象的な面(同一の複製であること)を読み取っていると言えるでしょう。取捨選択がおこなわれているという意味です。具象(具体・個性)を切り捨て、抽象性を選んでいるのです。 

 言葉は       魔法
 言葉は      魔法
 言葉は     魔法
 言葉は     魔法
 言葉は    魔法

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音読・黙読・速読(その3)

音読・黙読・速読(その3)

 シリーズ「音読・黙読・速読」の最終回です。

・「音読・黙読・速読(その1)」
・「音読・黙読・速読(その2)」

◆センテンスが長くて読みにくくて音読しにくいけど素晴らしい文章
 まず、前回に取りあげた文章を再び引用します。なお、あえてお読みになるには及びません。ざっと目をとおすだけでかまいません。

(Ⅰ)

(Ⅱ)

*節のある竹のような文章

 上で見た、井上究一郎訳によるマルセル・プル

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細部を読む(『檸檬』を読む・03)

細部を読む(『檸檬』を読む・03)

 今回は梶井基次郎の『檸檬』の細部で、私にとって特に気になる部分を読みます。あえて細部に目を注ぐために、段落ごと、またはページごとに読んでいきます。

「『檸檬』を読む」という連載のこれまでの回で書いたことと重複する記述もありますが、今回は無理に全体的にまとめようとしない断片的な読みです。

・「共鳴、共振、呼応(薄っぺらいもの・06)」:対象作品『愛撫』
・「出す、出さない、ほのめかす(『檸檬』

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言葉は嗜好品(言葉は魔法・03)

言葉は嗜好品(言葉は魔法・03)

 言葉と文字は人にとって最強の嗜好品かもしれません。なにしろ、さまざまな嗜好品をつかって言葉と文字を呼びだそうとするのですから。

書くときに必要な物
 書くときのルーティーンみたいなものが、誰にもある気がします。

 まず、これがないと文章を書く気になれないという物、つまり書くときの必需品ついての話から始めましょう。

 文房具にこだわる人は多いですね。愛用している筆記具はいとおしいもので、他

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織物のような文章

織物のような文章

【※この記事には川端康成作『雪国』の結末についての記述があります。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】

縮む時間の流れる文章

 川端康成作『雪国』の終章の前半である、縮(ちぢみ)について書かれた部分には――「縮」だから「縮む」というわけではありませんが――縮む時間が流れています。

 この小説では、縮織は縮(ちぢみ)と書かれていますが、縮は産物であり製品です。

 たとえば、ある

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小説が書かれる時間、小説が読まれる時間(小説の鑑賞・06)

小説が書かれる時間、小説が読まれる時間(小説の鑑賞・06)

「小説が書かれる時間」と「小説が読まれる時間」には「ずれ」があります。さらには「小説に書かれている時間」とのあいだにも、「ずれ」があります。

 時間は一直線に進行していると感じられますが、そのなかに生きる人間にとって、時間は「ずれ」だらけ。人は時間の「ずれ」のパッチワークのなかで生きているのではないでしょうか。

小説は料理に似ている
 小説は料理に似ています。つくるのには時間も労力もかかるのに

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くり返すというよりも、くり返してしまう

くり返すというよりも、くり返してしまう

 創作と読書と夢に耽っているとき、人は似た場所にいる。自分以外の何かに身をまかせている、または身をゆだねているという点が似ている。

 そこ(創作、読書、夢)で、人は自分にとって気持ちのいいことをくり返す。気持ちがいいからくり返す。というより、くり返してしまう。

 創作であれば、その「くり返してしまう」が作家のスタイルになり、読書であれば、そのこだわりが読み手の癖になる。夢はその人の生き方と重な

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まばらにまだらに『杳子』を読む(08)

まばらにまだらに『杳子』を読む(08)


見て見て
『杳子』の「一」を読んでいると、目につくことがあります。くり返されているし、反復されているのです。

 たとえば「見」「目」「感」という文字が頻出します。驚くほど多いのです。まるで「見て見て」と言っているように感じられるほどです。

 そう感じたら、ちゃんと見てやらなければなりません。言葉は健気だし、いとおしいものです。

     *

「見」「目」「感」を見ていて気がつくことがあり

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