セックスはコスパが悪いがリスカは実にいい

糞なタイトルでお送りします。

私には自傷癖がある。

はじめてのリストカットは中学生の頃。高校生の頃は過食嘔吐。どちらもあまり理由は覚えておらず、ふと初めていつの間にか終わっていた。今でも吐き癖はあるものの常習的には行っていない。自傷の細かい話をすれば、セルフ首絞めや、シャーペンの先で腕をじりじり引っかいたり、知らない人とむやみやたらにセックスしたり、ちょこちょこ色んなものに手を出す。ちなみにまだODには手を出していない。よく耐えたぞ自分偉い。

一方、去年に再発したカッティングの方は常習的で継続的に行っており、いまだ止めれずにいる。おそらく、カッティングなどの自傷行為は一度始めてしまうと一生止められないものだと思う。やらない期間はただの中断期間であって、なんなら嵐の前の静けさにすぎないかもしれない。10年やっていないからって、11年目もやらないかどうかはわからない。だから死ぬまでやめれないものだと私は思っている。そのうえ再度始めるとハマりやすい。依存性みたいものがある。

首を自分で絞めた時はふらふらしてきてぼんやりした気持ちいい感じ。人に絞めてもらったときは被虐指向が満たされる快感と死に近づく快感。シャーペンやボールペンで腕をじりじり痛めつけた時は単にイライラが収まる。吐いた時は暴飲暴食の罪悪感が少し減って安心するのと、一気に心がすさんですっからかんのぎざぎざになった虚しさによるマゾ的快感。切った時は痛覚を感じることで心理的苦痛が一掃されるのと血が出れば出るほどなぜかすっきりする。吐いた時同様、さらに心が荒むボロッボロになる感覚もマゾヒズム的に快感に昇華できる。ボロボロに廃れる、心がさらに空虚になって荒むのが快感なんてへんな話だが。ぱっくり割れている皮膚の表面を見て恍惚にひたったり、血を舐めてみたくなったり血を肉体に広げてみたくなったりもする。お風呂の床を血だらけにすることで何か悦びみたいなもんを感じたりもする。あえてお湯をかけることで血行を良くしてもっと血を出そうとしてみたりもする。傷口が浅くてぱっくりいかなかったり、血が少なかった時は、もっと深くたくさん切らなくちゃと思ったりもする。

常習的なもので依存傾向にあるので、別に気分が沈んでいなくてもなんとなく暇なので切ってみたり、暇という思考の間に切りたいという欲望が入ってきて逃げられなくなったり、発作的に何か気分の波みたいなものが大津波でやってきていつのまにかざくざくにしていたりもする。

昼間にテンションが高い日ほど、かえって反動で夜に沈んだり、ふと瞬間に波がきたり、逆に一日中何もせずにぼうっとしている日ほど波もなくぼんやり過ごせたりする。

痛みを少しは感じたり、切る前に一瞬怖いなと恐怖を抱いたりすることもあれば、いつの間にか切っていてとめれなくなっていたり、痛みを全く感じないときもある。

太ももを5本切るだけで収まるときもあれば、手の甲と腕と肩と太もも今ある切り跡全箇所をいつの間にか切っているときもある。それでも第二波がやってきたりもする。一日に一回で済むときもあれば、何回も行う時もある。切ったことが記憶にないときもある。

カッティングはいい。実に安価だし、なによりも自己完結である。私みたいな他人を自分の人生を入れることを拒み、自分で自分の機嫌をすべてとって、あたかも安定的で自立しているかのように他人に見られたい人間にとっては、カッティングは静かにできる自己解決手段である。確かに深く切りすぎると傷跡ががっつり残るし、見える位置を切ると他人にどうこう思われたりもするが。しかし、残った傷跡見て安心したりすることもある。傷跡が残ることで生き延びれたりもする。自分だけがそのストーリーを知っている勇敢に戦った証拠でもある。

一方、セックスはくそだ。自傷行為としてコスパが悪すぎる。しかもキモイ過ぎて余計に死にたくなることもある。というか、セックスに限らず、カッティングだってすっきりせずに余計に希死念慮が増すこともあるが、増幅する病みや虚しさの質がセックスの場合だと悪すぎる。私みたいな自立心まんまんの他人に干渉されたくない人間がすると、いくら最終的には自傷として昇華できたとしても、いくらマゾだからといっても、やはり自分で自分を傷つけるのと、見知らぬ糞愚民に汚されるのではわけが違う。それでも、他人の粘膜を気持ち悪いと思えるだけまだ普通の感覚が残っている証拠、ハードルが低すぎるが、今の私であればそこですら肯定してあげたい。

自分で切った時と吐いた時は、質のいい病み感情だが、知らない人とのキモセックスはまじで質の胸糞悪い闇というかくそだ。それでも、とことん沈んだり、早まって自暴自棄ると、セクアポをとる。死にたいで覆われてる私を被虐癖が満たされることで生き延びさせてくれたりもする。なんなら、行為中、軽く離脱しているレベル。

てな感じで、私はくそなので、起きた直後は今日とちょい鬱モードかななんて思いながら布団にひれ伏していたが、2時ごろから家族と会話しながらポテトを食べているとここ数日間切っていないもう元気になったし病院に行く必要もない私は超はっぴーなんて家の中をスキップしていたが、これを書いている今、腕と肩と手の甲、計6本切っている。この後にセクアポもある。大金払って来月には二重になるというのに、レーシックのお金まで出してくれると親が言っているにも関わず、留学もオンラインでできるかもしれないのに、親同伴の通院を拒み、治療費だけ出してくれればそれでいいほっといてくれと言い、こうやってまた切っている。

とはいえ、うつトンネルから抜ける方法は、自分を好きなることだとnoteに書いてあったので、そんなこんなでなんだかんだ今日もnoteを書いている自分はえらいので、昼には起きてご飯も食べてこうやってパソコンに向かっている自分を褒めてあげよう。結局はそうやって、なんやかんやで生きていくしかないのだから。

本日もお付き合い頂きありがとうございました。ほんとは、頓服を飲みたがらない自分について書こうかなとnoteを開けたのですが、書いているうちに長くなってそこまでいけませんでした~。ではまた~!

私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。