苦しみを肯定する
変化こそ唯一の永遠である、明治の美術家、岡倉天心の言葉。 私レベルまで話を落とすと、「変化すること」に幸せを見いだす自分。単調な生活が続くとまるで運から見放された感覚になる。変化がないことへの苦痛。幸せじゃないわけでもないけど。10年後とかに、平穏な幸せの存在に気づくパターン?
父は口で叱るより手で殴った。父が頭に手をやるだけで殴れると勘違いし避けた。自分は殴られてよかったからと体罰教員は少からず考える。今は子が親に殴れることは殆どなく殴れても苦痛だけが残りよかったとは思わない。体罰はダメだが悪事をするとき顔が浮かび止めさせてくれるような恐い存在は大切。
自分を掘り下げるという作業は、思いの外、苦痛を伴う。ここまでしないといけないのか、何のためにここにきたのか。もっと軽い気持ちで来たはずなんだけどな。何かの流れで、過去の自分と向き合うことに。 これもまた、ひとつの巡り合わせと考えて、受け止めながらやってみようか。いいことあるかな😵