こんにちは👋春夏秋冬是好日で投稿していたN.です。 私は赤ちゃんのときから身体や皮膚が柔らかくて、いつも“ペタ~ン”“ダル~ン”としていたらしい。 ある日、私は抱っこしてほしくて“バンザイ態勢”で待機中の腕を父が引っ張った。その時に“カクっ”。 これが私のファースト脱臼 病院で母は先生に「うちの子骨がありません😭😭」 父は「この子、両手の長さが違うんです😫😫」 先生は 両親の話を聞きながら、私の肩をつかんで「ちょっと痛いよ」と“グッ”
こんにちは👋noteの書き方勉強中のN.です。 “人生初の手術はカオスだった#1#2”は現在投稿中です!良かったら覗いて見て下さい。 手術は、わずか20分程で終わりました。 手術台に乗るまでには、2日弱かかったのにね😂 目覚めたときには 真っ白な天井が見えた。 すると母がぬぅっと顔の前に現れた! 母の第一は、 「大丈夫?良く頑張ったね」「もう痛みはない?」 …なぁんてね😉 そういう言葉では全くなくて… 「あなたの盲腸ね
こんにちは。 春夏秋冬是好日で投稿していたN.です。 今日は皆さんもよくご存知。そう、懐かしの “金八先生”のお話 あれだけ全うなことを全力で言うのは、かなりのエネルギーが必要に思う。 有名な「人という字は、人と人が支え合うと書くんだ❗」 言われてみれば確かにそうだ。…で? にはならない。全員泣きながら納得。 金八先生の成せる業である。 少しも照れたり迷ったりせずに、あれほど真っ直ぐ言い切るから心に届く。 最近SNSの中で、久しぶり
母に電話をすると「大丈夫だからね。すぐに行くからね!」と言って切れた。 たまたま19◯◯年に発生した大地震の影響で、道路は寸断されていたため通行止め。 山道を迂回しながら2時間以上かけてやっと到着。 病室に顔をだすと、小さいベッドで点滴につながれている私を見て、“ここではダメだ!”と母は直感したらしく、病院に勤めていた姉に電話をして状況を説明。 母は院長に「すぐにその病院を退院すること。 お金だけ払って、病院側に何言われても“とにかく退院する”とだけ言いなさい」と
こんにちは。 今までも~春夏秋冬是好日~の大見出しで公開していました。まだまだ note記事の書き方勉強中です! 私が教師として赴任したところは、へき地2級(#8にて公開中)だった。 大きな市街地にでるまでは、山をいくつか越えて行く。時間で言えば、2時間弱かかっていた。 ある日、いつものように寝ていたとき …ん?お腹痛い気が…? まぁ大丈夫かなと思い、胃薬をのんでもう一度眠りについた。 ……ん?やっぱり痛い! 痛い痛い💥💥かなり痛い! は冷や汗
~イオンフィナンシャルカード詐欺❗~ 話があちこちいって、すみません💦 でもやはりこれは書きたい❗ “イオンフィナンシャルカードのご利用明細” とメールが来た。昨日と今日の話。 昨日の使用場所は ファミリーマート 金額は66000円 今日はセコマで92000円 もちろんカードも持っていないし、ご存知の通り入院中なもんで買い物にも行く訳がない。 それでも“不正利用?”とか焦って、一応姉に連絡してみた。 「あぁ、それ詐欺!」 と、一笑された。 それで
~話し合い~ 教師になって、3年目の頃。仕事にも少しずつ慣れて、生徒とも良好な関係が築けていると思っていた。 その時の三年生がなかなかヤンチャで、どの授業にも出ないで更衣室にこもるようになっていた。 教室に残っているのは、6人ほど。 更衣室のドアの内側から鍵を取り付けて、まるで個人の部屋のように飾り付けていた。 これ以上は勝手にさせられないから 「今週末には更衣室を もとの状態にもどすから、中にあるものは全部捨てるから。それが嫌なら持って帰れ!」
~七夕の日のサプライズ🎋~ 今日は七夕の日🎋。 突然ですが、実は私は今指定難病のエーラスダンロス症候群という病気で、もう随分長く入院生活を送っています。 この話はまだまだ先にしようと思っていたのですが、今日の出来事をどうしても書きたくて…。 そのためには、今の現状を話す必要があるなぁ~と思って書きました。 でも今日は病気のことでは全然ありません(またいつか話すと思います)。 最近はコロナも少し落ち着き、面会が可能になって来ました。 今日は高校時代の友
~初任給~ 私が赴任した所は、“へき地2級”だった。 この等級は、赴任地の便利差?によって決まってくる。 へき地の等級は4級まである。 私のいた2級は… ①駅がある。 ②郵便局がある。 ③自動販売機がある。 ④交番がある。 ⑤診療所がある。 だいたい、このような条件が必要になる。 へき地4級ともなると、もうそれは山の中で、①~⑤までのものが何ひとつない場所で、学校も小中合同になる。 それでも車で中心地までは30~40分くらいで着くから、あまり不便ではな
~小さな光を見つけた話~ 新任教師には“新人研修”がある。 同じ地域の研修もあれば、市内中の新人教師が集まる研修。 地域の大きな工場研修や2泊3日で、ボーイスカウトのような経験もする。 スキー研修もあった。 これだけ聞くと楽しそうじゃないか!と思うかもしれないが、決して楽しいばかりではない。 例えば真夏のボーイスカウトの研修では、いくつかのグループが決められて2泊3日を過ごすのだ。 テントをはったり、朝晩のご飯は与えられた食材で決めていく。 そして最終日には、ポ
~教師としての仕事と真心ごはん~ 同じように新任としてそれぞれの学校に着任した先生たちがいた。 それぞれに悩みがあった。へき地というプライバシーもないような場所で、いつも見張られているような感覚に陥る。 そんな悩みなどを新任の研修会で話し合ったり、授業の進め方やテストの作り方を相談したりしていくうちに、少しずつ距離が縮まっていった。へき地校では、一人で2~3教科持たなければならない。ちなみに私は、“社会科”“家庭科”“音楽科”と3教科も担当していた。どの先生も、国語と
~教員生活Part.3~ 春休みや夏休みなど長期休業のときは教員も休みだと思われているかもしれないが、それは違う。 春休みは異動があれば引き継ぎはもちろん、次年度の様々な行事などの職員会議。担任や副担任として所属する学年の会議。 長期間休んでいる生徒宅への訪問など、とにかく忙しい。 夏休みや冬休みも、研修や出張。そして部活。 夏休みは特に、この部活が中心になる。毎日の練習に練習試合。コンクールに様々な大会。 3年生になると、補習なども行う。 もちろん休むときは年休
~教員生活Part2~ 引っ越し当日の夜、新任の教員たちが必ず行う登竜門があった。 私も例外ではない。 引っ越ししたばかりの住宅に、◯◯旅館と書かれたバンが止まった。 玄関を出ると、いわゆるはっぴを着た“番頭さん”みたいの人が、「赴任おめでとございます。」 「はぁ…あ、ありがとうございます」 「顔合わせの親睦会があります。是非ともいらして下さい。」 “……あやしい?” “……行った方がいい?” 少し恐怖を感じながら、言われるままに車に乗った。 着いたのは1
~教員生活Part1~ 私は私立の音大(短大)に通っていた。卒業後の進路は… 1.4大に編入する。 2.留学していた学校に編 編入する。 3.合格していた教員になる。 4.音楽教室に就職する。 5.自分で音楽教室を開く。 この5択だった。その中から消去法で選んだのが“教師”だった。 なめてるよね。 今考えると恐ろしい。 そして新任校も決まり、3月28日には引き継ぎに来るように赴任する学校の教頭から電話が来た。 私はまだ車の免許を持ってい
~仲間と留学生活~ 姉妹校への留学は、試験を受けて合格した8人と引率教授1人と行った。 留学準備の最終確認をしてるときに、最後に教授が「あなたがリーダーね」と笑顔でとんでもないことを言って来た。 『何で私?!』 『えーーっ!』 と、パニックに…😱 でも教授はパニくってる間に笑顔で去って行った…。 話したことがない人もいて、「リーダーなんて絶対イーヤーだぁぁぁっ」と思っているうちに、出発の日になった。 成田空港に集合することになっていて、前にふと「スーツケース重いよ
~良きこと 悪きこと~ 私は今になって“友達のありがたさ”を実感している。今までもありがたいとは思っていたけれど、よりそう思うようになった。 小学生のときは友達がいっぱいいた。少なくとも、私はそう思っていたのだけれど、中学に入学してからは一変した。だいたい小学校から中学校は同じ顔ぶれだけど、何故か全くわからないまま突然無視をされるようになった。 最初は学級の中だけ。そのうちどんどんエスカレートして、全学級の子たちからも同じようになった。 上靴が毎日なくなっていた