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2023年2月の記事一覧
大江健三郎の一つの出口にあたる作品を読み、私の出口は入り口かもしれないと思ふ。
大江健三郎27歳の長編作品「叫び声」を読んだ。これは、以前いだいた本からだ。大江健三郎が描く青春の鬱屈は、こうなるかと考えた。
その心の叫び声を表現するのに、こういう物語になるのかと感じていた。「生は性」であると最近聞いて納得していたが、こんなに近くて遠い「生は性」が、間違いなく存在していて、それが確かに青春だったなと感じながら、自分の想像を簡単に越える表現力と、それを描く世界観が面白くて悔しい
彼に傷付けられながら、授けた仕事と価値の人生訓。
会社の後輩と片道90分ほどかかる場所へ向かう事になった。彼は、私をnoteに誘った男だ。彼は、車の鍵を私に渡すとこう言った。
「コニシさん。自分、車30分以上運転すると疲れちゃうんで、運転してもらっていいですか?」
彼は私が疲れる事を、その事実はまるで存在しないかのように、一瞬の澱みもなく言いきった。
私は、鍵を受け取るという選択をせざるを得なかった。
横須賀に向かう車は、湘南海岸を右手に
向田邦子からの菊池寛。「嫌ですよね」から考える「人」となり。
人は自分が思考するほど、人や自分の事など気にもしていない。
これはたぶん私の言葉だ。
私の言葉だろうが、それが何だろうが、誰も別に気にしていないだろう。だがそこに、第三者の目が入ると、心に生まれてくるのは、それを確かな物にしようとする自尊心や虚栄心だ。
人間は、厄介だ。
自己の完結で済まない承認欲求や、人との比較から本来しなくてよい筈の嫉妬をしたりする。
私は、自分の思考の裏側を考えるの
その物語には、裏がある。この道を名付ける義務が私に在る。
私は、先日とても良い出会いをした。それは言うなれば文学中年男子が望む出会い方としては、とても物語的な出会いだったと思う。
だがしかし、私という者の本質はいったいどこにあるのかを、問わねばならないのだ。
実録~40男の不惑編~
そう、実は私は約束の5時間前に横浜に着いていた。なぜ5時間前か。それは5という素数が好きだから。という好きな素数を伝え合う、どこかの素敵な記事のやり取りに嫉妬したワケで
純然たる下心から影響を受けやすい私は、秒で小津安二郎の「東京物語」を観賞した。
日常を切り取る。簡単に使用するが実際は変化を感じ取る事が必要だ。
時間が一定の方向で流れている時に、物事の変化にはまるで気付かないように人は鈍感になる。
日常を切り取り、そこに残してくれた作品に触れて自分を感じる事がある私の本質はどこに存在するのかと考える。
文字に触れる事で、自分の心の変化を敏感に感じる現在は、自然と自分に必要な情報を得るアンテナの感度が優れている状態であると思いたい。これ
僕の海と真偽がわからない目元の女性。村上筋肉倶楽部~奪取DASHダッシュ編~
僕が、ぎっくり腰になってからというもの僕の世界は、少しぎっくりしているようだった。それに気付いていたが気付いていないフリもしていた。僕は、僕の世界を取り戻さなければならない。
村上筋肉倶楽部~奪取DASHダッシュ編~
僕は、片道1時間かけて訪れたこの世界でいう商談に僅か5秒。水筒の蓋を開けて口に含んで味を感じる間もないほどの時間で断られた。
それに費やした時間は、合計すれば半日程だ。
僕の中
高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」の疾走に思いっきり声を掛けた。
読書を巡る旅の途中に、出会うべく出会うような、出会いの本があったりする。それは僕がそう思って生きているのだからそうなのだ。
自分の人生に彩りをつけるのは自分でありたい。noteにおいてそういう出会い方は初めてで、即読んだ。
noteは、どうやって僕の好みの記事を見つけてくれているのか。この記事にすぐに惹き込まれた。本当にありがたい。
それは、高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」について海
出会う本と、その役割について森絵都から考えることになった私は、自分の役割を問う
たまに、読んでみて欲しいと言われる本を紹介されるようになった。
こういう事は、今まで全くなかった。近くに1人も読書を好きだと話す人も居なく、読書に興味を持っている友人も居なかったからだ。
今のように、SNSなどで頻繁に本と出会えたり、その人の感想を読むことで「その人」の人となりが分かるのも面白いと感じる。
なるべく読んでみて欲しいという、そのリクエストには応えたい。それは、本が好きだし自分が
ぎっくり腰が連れてきた、僕と部長と大工のマッスルワールド。村上筋肉倶楽部の歴史編
これは、僕の記憶に寄るところが大きい。半年振りのぎっくり腰は、僕に記憶の旅をさせるには充分の時間だった。休息を僕に望むのか、破壊からの創造を望むのか、それを決めるのも僕でしかない。
村上筋肉倶楽部~創設編~
村上春樹が新作を出すというニュースが世界を駆け巡った。僕は、ハルキストでも村上主義者でもないことを、靴下を履けない痛さを紛らわすために考えていた。
僕は、ジムにいる少しタイプの女性の事を