見出し画像

本能寺の変1582 お知らせ №15 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

     お知らせ      №15 

はじめに ←目次 ←  

加筆・修正

  いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
  さて、表記の件につき、下記の通り、内容の一部を加筆・修正いた
  しましたのでお知らせいたします。

重要 ◎目次小 第13話 

4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 5/7 

はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 ←重要 ◎目次小 ← 
→重要 ◎目次小 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 
→重要 ◎目次小 ①第1~5話 ②第6~10話 ③第11~15話 ④第16~20話
見えてきたもの 目次 
*「◎」は、重要ヶ所◎マークです。 
 10① ◎ 10② ✓ 11 ◎ 12 ◎ 13 ◎ 14 ◎ 15 ◎  
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。 

◎第13話  第13話 

 信長の人物像 年齢 合理主義者
 信長の性格  
猜疑心が強い 誇り高い男
 光秀の人物像 年齢 後継者 出来る男 洞察力 信長を知悉
 光秀の性格  猜疑心が強い
 光秀の苦悩  老い 嫡男光慶 粛清の怖れ 明智の危機
        残された時間

  
◎信長は、合理主義者である。 
  ◎光秀は、出来る男。
  ◎信盛は、光秀と真逆の人物だった。
  ◎武将としても。                 『信長公記』 
  ◎所領の扱いについても。             『信長公記』
  ◎与力・家臣の扱いについても。          『信長公記』
  ◎信長は、光秀を見習えと言っている。
  ◎これが、信盛の生き方だった。          『信長公記』
  ◎信長は、それを見ていた。
  ◎信長は、猜疑心の強い男。
  ◎信盛は、油断した。
  ◎三方ヶ原の合戦。                『信長公記』
  ◎信盛は、逃げた。                『信長公記』
  ◎信長は、信盛に疑念を抱いた。
  ◎信長は、誇り高い男。
  ◎信長は、面目を潰された。            『信長公記』
  ◎光秀は、苦悩していた。
  ◎光秀は、洞察力に優れていた。
  ◎光秀は、五十九 ± 四歳。
  ◎信長は、四十九歳。
  ◎二人の間には、大きな年齢差があった。
  ◎光秀は、猜疑心が強い。
  ◎光秀は、信長を信用していない。
  ◎後継者光慶は、あまりにも若すぎた。
  ◎光秀は、信長より、確実に、先に死ぬ、・・・・・。
  ◎未熟な光慶を一人残して、・・・・・。
  ◎光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。
  ◎役に立たねば捨てられる。
  ◎光秀は、粛清を怖れていた。
  ◎「天下布武」が成った後。
  ◎その時、自分は生きているのだろうか、・・・・・。
  ◎残された時間は、あまりにも短い。
  ◎光秀は、不安だった。
  ◎明智の将来は、暗い。
  ◎明智に、危機が迫っていた。
  ◎ならば、・・・・・。



  以上。
  今後とも、よろしくお願いたします。
                              20240115

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!

この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?