他人様の言葉を拝借

読んだ記事の中で、印象に残った言葉をそのまま拝借させて頂いてます。
これからも貯めさせて頂きます。






このように親から離れられない子どもは、
親への安心感が十分ではないことが多いです。

個人差があるので、簡単に安心する子も
なかなか安心出来ない子もいます。

どんな子に対しても親がやらなければ
ならないことは同じで、子どもの言うことを
もっともっと聞いてあげるということです。

愛情を感じられないと、子どもは欲求不満に
なり、暴力や退行(赤ちゃん返り)などの問題
行動を起こすようになります。

また親からの安心感が無くなってしまうと、
主体性や自主性が萎んでしまうのです。


親からしてみれば、問題行動を起こす子どもが
悪いと思うかもしれませんが、お互いがそのよう
なスタンスだと、悪循環になるばかりです。

行動を変えるのは、いつも必ず大人からです。

用意するものは、隠せるモノであれば何でも大丈夫です。小さな人形、ペットボトルのふた、ハンカチ何でも結構です。

それを親と子どもが順番に隠して、一緒に探し出すという遊びです。

「家の中ではだだっ子、外ではいい子」という子どもは家庭での安心感を持っていて、それを持ち歩くようにして外で我慢できたり、社会に適合できたりしています。

「家の中ではいい子、外ではワガママ」という子どもは、親の顔色を伺いながら育ってしまった子どもです。そういう子はたいてい、弱いものをいじめたり、乱暴だったり、極端に甘えたりします。家庭での安心感が足りず、外で安心感を求めているんですね。

しかし、この甘えさせてあげた方が早く自立できる、十分に反抗させてあげた方が自立できるということを知ってからは子どもと接する時の心構えができました。

その内の第二で、じぶんに自信がつき出す
から「イヤ」「反抗」「両親のいうことを
きかず、その反対のことをする」
とある。

その証拠に反抗期(の記憶)が無い私は
じぶんに自信が無いなぁと感じたし、
反抗期は成長過程に必要だと思った。

つまり、子どもを無理やり「話を聞くモード」にしようとしているのだ。

しかし、これはプロ教師の業ではない。

プロ教師であれば、自然と「話を聞きたくなる」ようにしなければならない。

話術を鍛える。

視覚的資料を映えるものにする。

集中して聞かないと「損をする」ことを感じさせる。

そんな、「話を聞きたくなる教師」になることが必要だ。

落ち着きがないように見えたり、暴力的、物の扱いが乱暴にみえたりするときには、情緒の問題の他に「固有覚」の育ちも注目してみる必要があります

なかなか目が合わない子や、
一人の空間が好きで
人を寄せ付けずに遊びたがる子は
共同注意の発達が遅れがちになります。

「他人が引いた線を、訳もわからずなぞってはいけません。
自分が理屈をわかってやるものが人と同じなら、それはそれで良いけれど、他の人がやっているからと言って闇雲にマネをしてはダメ。
これは人が生きる道も同じ。
自分の人生は自分で線を引かなきゃダメなのよ。」

&

その園長先生は100歳を迎えるまで長生きされ、東日本大震災が起きたあの日から2週間後に亡くなられました。ニュースを見て心を痛めていた先生は、亡くなる前に周りの方に、

「閻魔さまに日本のことを頼んでくるよ」

とおっしゃったそうです。

https://note.com/kaerumarketing/n/n20802d9da9c2

レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキーという心理学者がいる。

彼は、幼児期の子どもの言葉の発達における

「外言」 「自己中心的言語」 「内言」の相互関係を研究している。


子どもに習得される言葉は、まず、「話し言葉」の形態をとりながら、

周囲の人々とのコミュニケーショ ン手段として発達するという。

この話し言葉は「外言」とよばれ、他者に向けたことばである。

また、内化された言葉は「内言」とよばれ、自分に向けたことばである。

その機能は、

自分自身に話しかけることによって

自分の行動を支配・調節することにある。


確かに、私たち大人も日々の生活の中で、自分で自分に心の中で多くの言葉をかけている。

「ああ、あれ忘れないようにしなきゃ」

「今日は、よく頑張ったわぁ。明日のために早く寝よ」等。

内言たる、心の声によって私たちの思考は行われ、行動決定されている。


で、興味深いのは、

幼児期後半には、この外言の内化がはじまるということ

そして, 内言の発達の過程においては、

見かけは外言だが、その機能や構造は外言とは異なる

独自の言葉つまり「自己中心的言語」が存在するという。


この「自己中心的言語」と言われるものが、

つまりは、「独り言」。


3歳を過ぎたあたりから、我が子の「独り言」を聞いたお母さんも多いのでは?

これは、外言の内部化が始まった証である。

幼児が自由遊びのときにちょっと難しい課題を扱おうとすると独り言が増加したり、

小学生が計算するときに独り言を言ったり・・・

「独り言」は3歳くらいから始まり、7歳くらいで消滅していくという。

つまり、3歳くらいから、自己中心性が生まれ、自分の世界を人間は持ち始める。

その後、7歳にかけて自己中心に物事を捉え、思考しながらも、

7歳以降は自己中心性を次第に克服し、社会性を発達させるということである。

ということは、

0歳~3歳  外言の獲得

3歳~    獲得した外言による内言の始まり。以降、外言をベースに内言が構成される。

ということになる。


つまり、人間は外言により内言を作り上げる。

その外言を3歳までに教えることが親の役目であり、

親によって培われた言葉が、のちに、

自分の内的世界(=心)を作り上げてゆく。

いかに、外言、周りから育まれた言葉が、その子の精神の世界に影響を及ぼすかを示している。

初めまして。岡田真奈です。先日『日独勤労青年交流事業』という文部科学省主催の国際交流プログラムに参加してドイツに行ってきました。
航空券代のみでドイツに2週間滞在できて、観光と研修ができちゃう。35歳までのワーカーなら誰にでもチャンスがあるのに知名度が異常に低い。このプログラムの魅力をたくさんの人に知ってもらえるように、これから体験談を書いていきます。

ほんならトランプは必ずしも大統領にふさわしいか?
ふさわしいものが必ずふさわしい場所にあるとは限らない


YouTube 有隣堂しか知らない世界

神奈川に多数の店舗を構える書店、「有隣堂」のYouTubeチャンネルが「有隣堂しか知らない世界」である。毎度書店の裏側や変わった文房具を紹介するチャンネルなのだが、その中で作家の中山七里先生に24時間密着する動画があった。

中山七里先生といえば、『さよならドビュッシー』や『護られなかった者たちへ』など、数多くの作品を世に送り出している大作家さんだ。そんな中山先生がどんな1日を過ごしているのか、ノーカットで見れる貴重な映像である。

サムネイルのタイムテーブルから不穏な空気が漂っているのが、おわかりいただけるだろうか。ネタバレしてしまうと、中山先生は1日17時間執筆していたのである。サラリーマンの1日の勤務時間が平均8時間なので、2日分の仕事を1日でこなしていることになる。

有隣堂マスコットキャラのブッコローは、食事もとらず書き続ける中山先生がすごすぎて引いていた。そんなブッコローをよそに、中山先生は「このルーティンで1週間やれば原稿を落とさずに済む」と言う。それもそのはずで、中山先生は月刊の連載を8本持っている。原稿用紙50枚を3日で完成させねばならないのだから、死ぬ気で書くしかない。

この動画を見て、プロの作家さんがこのペースで書いてるのに、素人の私が毎日書かなきゃ絶対に追いつけない、と思った。もちろんプロだからこその執筆速度であるし、小説とエッセイというジャンルの違いはあるけれど、文章は書けば書くほどくうまくなると思う。

中山先生までとは言わないまでも、もっと全力で書こう、と決意を新たにした。

自分は道端の花だ。


それは有益な情報が載っているというだけではなく、読み手にあの頃の情景を思い出させてくれたり、自分の生き方や働く上での基礎を作り上げるサポートをしてくれたり、未来に向かうための道標的な役割を担ってくれたりするようなものなのだと思います。内容が大切というよりも、自分との結びつきが大切な気がします。
 ありきたりな表現かもしれませんが、「自分の心に響く本」といった言葉で表しても良いかもしれません。知識を得るための本ではなく、一緒に生きる(生きてきた)パートナーのようなものになっている本です。


映画の本質の見抜き方


監督が最も表現したいものを
見つけるには、

冒頭、
一番最初のワンカットを熟視することです。

私が師匠と仰ぐ山野博史先生から
教えてもらったことになりますが、
「物事の始まりは何より大事ですよ」と。

小説の1行目、漫画の1コマ目、
音楽の1小節目、講義の一言目。

演劇が始まって最初に起こることや
美術館で最初に目に入るもの、
料理のフルコースの1品目まで、
大事なものは最初に持ってくるものです。

映画においては、
現実から虚構へ足を踏み入れるとき、
そこに何を置くのか。
物語全体がある程度、定義される。

ワンカット目がそのまま、
本質に直結していることもあれば、
その片鱗を仄めかしていることもあります。

冒頭ワンカットをうっすら頭の隅に置きつつ
展開される物語のなかに
ゆるやかな繋がりを見出しいく。

そうしておぼろげに浮かび上がってくる本質を
にやにやしながら愛でる。

私の映画の楽しみ方です。

あなたが映画に関わらず、
何か表現や作品を楽しむときの
ご参考になれれば幸いです。

では具体的にどんな楽しみ方をしているのか?
名作映画で見ていきましょう。

参考;各レベルに必要な単語数
A1 500
A2 1100
B1 1800
B2 4000
C1 表現語集 6000 理解語集 20000(いわゆるペラペラには1万語)

1ヶ月に600語覚えればよいので、1日20単語。
集中コースでこれくらいの量です。
こう考えると、「私にもできるかも!」と思いませんか?

私は、洋楽を半世紀以上、聞き続けて来ましたが、歌詞を日本語に翻訳することは、まったく何の意味もないと確信しています。英語は、翻訳すべきものではなく、英語のまま、理解すべきなんです。
 翻訳機というのは、まったくもって、不要不急の無用の長物だと私は、思っています。AI翻訳の文化が、これだけ盛りあがっているのは、つまり、ビジネス上の都合だろうと、勝手に想像しています。

みんなと喋るようになってから、明らかにドイツ語は伸びました。これは自信を持って言えます。今まで聞き取れなかったのが聞き取るようになったり、話せなかった複雑な文が話せるようになる喜びはハンパないものでした!

ベストセラー小説の傾向はいくつか紹介されていますが、概括すると私たちは読みやすく、感情を揺さぶられる物語を好んでいるということでした。

この本を読んで真っ先に思い出したのは去年受け持った子。

 「先生死ね」

 と言ってきたあの子。

 「人を傷つけるのが気持ち良い」

 「幼稚園くらいの頃からそう思うようになった」

 そう言っていたあの子。

 このような子たちに対して、一体教師はどれほどのことができるのでしょう。

「穴を埋める為の文章を提供してるだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」

『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹 講談社 1988

・もっとも効率の良い勉強方法は、see one、do one、teach one、であること。これは外国語の時だけでなく母国語でもおそらく同様だが、ドイツはこの考え方が浸透しているため、聞いて恥ずかしい事はないし、教え教わることが日常的に行われている。

久保が言っている事は面白いし、ダイヤモンドの比喩は優れた比喩だと思う。確かに、ダイヤモンドが価値があるという事と、自分がダイヤモンドが好きだという事、その判別がつかない人というのは多い。彼らは、流行っているから好きなのか、好きなものがたまたま流行っているのか、判別しようとしない。

日本:幸せ=お金を遣って得るもの。
だから売上を上げるためにお店はどこも遅くまで営業するし、働く側は労働時間が増える。利用する側はお金さえあれば欲しいものがいつでも簡単に手に入る。だからお金が欲しい。そしてお金がないと楽しめなくなる。だからお金を得るためにまた働く。

2002年製作の「ジーン・ケリー:ダンサーの肖像」"Anatomy of Dancer"(Blu-rayの特典映像)という、約1時間半の上出来のドキュメンタリーを見ると、フレッド・アステアのエレガンスな踊りと比較して「労働者の踊り」と揶揄されるジーン・ケリーの踊り方は、重心を低くするので余計に力強く、その上半身の筋肉もあり、より男性的に見えるのがわかる。ひょっとしたら、ケリーのバレエへの傾倒は、じつはソフィスティケイティッドなアステアに対抗したものだったのかも知れない。

中でも以下のようなものを見ると、自分は毎回「うーん…」となる。

あの絶景を見るために🚙で行ったんだよ❗🤪

……いや何が気になるって、文字で「」って既に言ってるのに、「🚙」という絵文字を更に追加しているところだ。

そう、カッコいい男のイメージは「ワイルドでギラギラ、熱い」から、「ユーモラスで軽い、熱くならない」へ・・・そんな時代の空気を反映して、ルパン三世は巧みに緑ジャケから赤ジャケへのリニューアルをしてゆき、その軽さで新たな人気を獲得していったんです。

&

007の「強さと弱さ」…それが表の顔と裏の顔みたいな二面性として演じられるのではなく、この2つの顔が「行動と反応」としてほぼ同時に演じられる。

・・・このあたりが非常に21世紀的というか、現代的な演技なんです。これはショーン・コネリーやロジャー・ムーアの演技とは全く違う。
たとえば『アイアンマン』でロバート・ダウニー・Jr.もそんな感じに、スーパーヒーローであると同時にひとりの傷つきやすい人間であるトニー・スタークを演じていましたよね。

&

だいたいこのモノに価値が無くなった社会に於いてモノを盗むってどういうこと?それとも盗むものはモノじゃないのかな?・・・あともしかしてルパン一世やルパン二世に対するコンプレックスとかを持ってたりするのかなw?・・・そういう超人間くさいどうしようもない部分を持ってるルパンがいいですよね。『007 スカイフォール』みたいに。

そしてブラピは「自分が何者か」を一切演じない。演技で、動作や表情で説明しない。自然体でただ周囲を「見て」いるんです。
泣くディカプリオを見ている。大口叩くブルース・リーを見ている。奇妙なヒッピー連中を見ている。可愛らしいプッシーキャットを見ている。盲目のスパーン老人を見ている。暴漢3人組を見ている(「これは夢か?」w)。そして暴漢を襲う犬を見ている。
そう、彼はずーっと人や状況を見ているんです。でニヤニヤしたり困ったりしている・・・その心の動きを見てわれわれ観客は彼に共感して彼のことが少しづつ好きになる。そしてクリフ・ブースとはどういう人物なのか?をゆっくりと察してゆきます。

そう、ブラピが今回演じた「見る演技」とは意図的な行動や表情ではなく「自然なリアクションで観客にキャラクターを認識させる」という仕組みで機能する演技法なのです。・・・でも、ようするにコレ我々が現実世界で、はじめて会った人のことを徐々に理解してゆく過程とまったく同じなんですよね(笑)。

今思えば自分は声優になりたかったのではなく、認められたかったのだと思います

&

とにかく順番がきたから自分のセリフを言う、というレベルの芝居をしていました。感情が伴わないのです。今でも感情を動かしながらセリフを正確に言うことは課題です。

本来、セリフがあって感情が動くのではなく
感情があって言いたいからセリフが生まれる
のです。

&

・役者としてニュートラルな身体を手に入れなさい。
・まずは一つ自分の軸となる強みを作りなさい。
・役者とは職業ではなく生き方である。
・舞台に上がったら考えるな、没頭しろ。舞台に上がるまでは役と向き合い、考え続けろ。
・同じ台本でも解釈、表現は無数にある。
・相手に言葉を届け、相手の言葉を受け取れ。

「家でとにかく脚本を読み込んで演技プランを考えまくりなさい。でも本番ではそれを全部捨ててまっさらで演じること。」(これ最初に言ったのは誰なんでしょうね?)

つまりブルース・リーの「Don't think! Feel.」は「全部捨てて現場に臨みなさい」というこのアドバイスと同じ意味だったんです。そう考えると面白いですね。

板の上に立っていて感じるのは、目。目の奥底には人の感情というものが露骨に出ると思っていて、「演技」をしている目というのは、それっぽい「目」をしている。「表現」をしている目というのは、騙されそうになるくらい本気で訴えかけてくる。経験からそんな風に感じている。

その同僚が一年後に退職し、保育士以外の仕事に就いたとき、胸を撫で下ろしたことを覚えています。

先日、事務所の整理をしないといけない事情があり、当時の記録のファイルを開く機会がありました。
パラパラとめくる程度でしたが、改めて彼女の書いた記録(保育日誌)を読んで、その観点がとても偏っていたことに気付きました

曰く、靴下が履けない、シャワーを嫌がる、誰かを引っかいた、トラブルを起こした、午睡が短い、好き嫌いがある…。

「保育士が求めること」に達していない部分の羅列で、これを見て、ああ、彼女はチェックリストに沿って子どもを日々評価していたんだな、と感じました。
子どもが何かができなかったり集団生活や活動が思うようにいかなかったりすることを、子どもだけの問題として捉え、評価することが保育士の仕事ならば、こんなに楽なことはありません。

何があっても、「やる気がなかった」「集中力がなかった」「家庭で甘やかしているから」で終わりです。

発達月齢に照らして不得意なことがあれば、スモールステップで援助したり、活動がうまくいかなければ次は集中できる仕掛けを考えたり。
計画通りいかなかったのであれば、計画自体か、進め方に問題があったと考え、次に活かす。必要なのはあくまで「自己評価」です。


退職が多い理由

なんで保育士の退職者が多いのかという理由を調べてみると。

1・残業が多い

私は正直保育士の仕事をやってる知り合いはいないから実態はわかってないが
SEという世界で長くやってきたから
「残業が多い」「人間関係問題」の辛みはなんとなくわかる。

保育園イベントの整理や子供達の指導の整理とかそういうところだろうか。

2・子供の命を預かるという問題があまりにも大きい

子供に何かあると裁判沙汰にすら発展する。
保育士がストレスで問題を起こさなくても、
親が一方的に何か言ってくる可能性もある。
モンスターペアレントみたいなのもいるんですよね?

まぁ子供が好きじゃなきゃやってけないなと。

3・子供と遊ぶ行事、業務が過酷

単純に体力的にきつそう。20、30人の子供を一人で対応するとなると。
学校の教師とか、実はすごかったんだな。

4・人間関係に問題

同姓の人が多く、いがみ合いになりやすい。SEもそうで、男性比率が高く、
押すことばかりで引くことがないやり取りが多い。

そもそも子供を預けているということ自体が問題といえばそうで。
両親が共働きをしている、その両親が帰ってくるのが遅い、

かと言って共働きを辞めたら生活資金が回らない、、
そんな現状が容易にうかがえる。

終わりに


私が知るSEの世界はITという刻々と技術が変わっていく、
人間の体調のように唐突におかしくなるシステムに対処しないとならないので

頭脳的にも知性に加え柔軟性、応用力が求められる。

その結果「まともな人間はやめていき、
めんどくさい性格の人間しか残らなくなる」。

どの業種を見ても過酷な面が挙げられるし、
できることなら機械が取って代わったほうがいい。

しかし保育士に関しては機械が代わりを務めるのは難しいと思います。
人とのやりとりに関しては、どうしても人でないとさじ加減が難しい。

この問題をどうにかするためにどうするといえば、
共働きを減らす仕組みが必要かもしれない。

結局、子供が一番接する大人は誰かって言ったら、

保育士でなく、その子供の両親なので。

今回のように何も情報がない中で、ここまで1枚の絵をじっくり見て、さらに感じたことを他者と共有したのは初めてでした。これを「対話型鑑賞」と言うそう。

https://100mon.jp/q/846


人間は精神が拡がるときと、
とじこもるときが必ずある。
強烈にとじこもりがちな人ほど
逆にひろがるときがくる。

---------------------------------------

人間にとって成功とはいったいなんだろう。
結局のところ、自分の夢に向かって
自分がどれだけ挑んだか、
努力したかどうか、
ではないだろうか。

---------------------------------------

孤独であって、
充実している、
そういうのが人間だ。

ではほめずにどうすれば相手に受容されるのか?
それは
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・

勇気づけることです。

ブログに書いている先生関連の記事は、とても人気です。
気持ちがほっこりするとよく言われます。

特に読まれたお二人の先生の話をまとめました😊

絶対否定しない先生


私がいつも見ていて思ったのは、たまこ先生、優しいのはもちろんなんですが、否定しないんです。

この漫画で言うと、

①コマ目、とにかく褒める

②コマ目、無理なことも全否定せずに柔らかい言い方で断る

③コマ目、違う提案をする。お手伝い要員で子供を頼りにする。

その結果、テルテルは惚れてしまう…という感じです!!笑

https://note.com/ayukotalow/n/n8591c667258a

♦︎子供の能力の発達の順

視覚や聴覚(0歳〜)
運動(3歳〜5歳)
語学(8歳〜10歳)
コミュニケーション(10歳〜思春期)
と、子どもの能力の発達の順には
あまり一貫性がないように見えます。

でも、脳の成長という切り口で見ると、
そこにはある法則があるそうです。

脳の発達は、脳の後ろから前に向かって
起こるのです。

最後に発達するのが「前頭葉」です
その中でも前頭前野という
高次認知機能を担う部分は
最後に発達することが分かっています。

高次認知機能とは》
考えたり、判断したり、計画したり、
決定したり、洞察したり、
コミュニケーションをとったりすることです。

その中には
「やりたくないことをガマンしてやる」
「禁止されたことをしない
というようなことも入ってきます。

この前頭前野は10代にかけても
まだ発達が続いています。
ということは小学生までは
高次認知機能は十分に
育っていないということ。

前頭前野が発達してくると
「思いやり」「気づかい」を介した
より高度な人間関係を築けるようになる。

小さい子どもは、虫の足をもいだり、
蟻の巣を埋めたりと、大人から見れば
残酷と思えることを平気でしますが、
そういった生物に対する接し方を
急速に学んでいくのも、この時期の特徴。

脳の中で最後に発達する前頭前野ですが
萎縮し始めるのが一番早い。
(認知症、人とのコミュニケーション、
物事の判断、記憶に支障をきたす)


人間がイキイキと生きるために必要な
高次認知機能を担う「前頭葉」は
脳の前のほうにあります。

発達のピークも遅く、中学生になっても
まだまだ成長し続ける部分です。

環境による影響が大きい部分で
遺伝の要素は半分ぐらいです。

学校の勉強や将来の仕事などを考えた時
その出来不出来にもっとも関わるのは
この「前頭葉」の部分です。
この部分の脳が十分に発達することが
子供の自己実現につながるのです。


つまり脳は
後ろからつくられて、前から壊れていく。

︎♦︎親がしてあげられる大事なこと

親にははっきりとした役割が
あることがわかります。
それは「好奇心の種をまく」こと。

そして子供の伸びやすい時期を見つけて
「背中を押してあげる」ことです。
親に伸ばしてもらった「好奇心」は
子供にとっては財産です。
生涯にわたってその人生を
サポートしてくれるでしょう。

子供に興味をもたせたければ
親が率先してやってみる。

今の環境で、
その子にしてあげられることを考える。
親は、努力はしても無理はしない。

この姿勢がより子どもをのびのびと
育てる秘訣だと思います。

好奇心を持った子どもは親を超えて
どんどんと才能を開花させていく。
多くの才能は後天的に育まれるものだそうです。

はい、さすがに全部は厳しいので(⇦言い訳)、「そこそこ知られているかな〜?」と私が思った以上の曲から''地味によく出てきそう''なワードを抜き出して、ランキングを作りました。
(これでもかなり×××多い…💦)

漏れとかあったらすみません🙇‍♀️

【楽曲リスト】(全楽曲より61曲抜粋)
◎「チェリー」◎「ロビンソン」
◎「空も飛べるはず」◎「楓」
◎「優しいあの子」◎「見っけ」
◎「歌ウサギ」◎「君が思い出になる前に」
◎「涙がキラリ☆」◎「魔法のコトバ」
◎「ハチミツ」 ◎「醒めない」
◎「1987→」◎「ヒバリのこころ」
◎「みなと」◎「春の歌」◎「青い車」
◎「スカーレット」◎「渚」◎「正夢」
◎「小さな生き物」◎「若葉」
◎「恋する凡人」◎「つぐみ」◎「シロクマ」
◎「スターゲイザー」◎「8823」
◎「フェイクファー」◎「スピカ」
◎「群青」◎「さらさら」◎「君は太陽」◎「愛のことば」◎「ホタル」 ◎「運命の人」
◎「裸のままで」◎「夢じゃない」
◎「猫になりたい」◎「ヒビスクス」
◎「流れ星」◎「メモリーズ・カスタム」◎「ルキンフォー」◎「みそか」
◎「スパイダー」◎「遥か」◎「夏の魔物」◎「ヤマブキ」 ◎「夕焼け」◎「ババロア」 ◎「ありがとさん」◎「はぐれ狼」
◎「僕はきっと旅に出る」◎「潮騒ちゃん」◎「雪風」◎「えにし」◎「不思議」 ◎「YM71D」◎「初夏の日」◎「けもの道」◎「P」◎「ナサケモノ」

【ランキング

1位はまあ納得の結果でしたが、意外と「幼い」「愚か」が低い順位でしたね〜。🤔
(全楽曲で調べれば結果は多少前後するでしょうが……)

続いては''対立する言葉''の対決です。

【番外編】
①神様vs悪魔
◎「悪魔」⇨2個該当
○「チェリー」(悪魔のふりして)
○「はぐれ狼」(美しい悪魔を待つ)
◎「神様」「神」⇨6個該当
○「空も飛べるはず」(神様の影を恐れて) ○「愛のことば」(神様達が見える)
○「運命の人」(自力で見つけよう神様)(神様…君となら…)
○「裸のままで」(地下道に響く神の声を) ○「流れ星」(流れ星 流れ星 本当の神様が)
○「僕はきっと旅に出る」(神様じゃなく)
➡️「神様」の勝利!!
②犬vs猫
◎「猫」⇨4個該当
○「みなと」(汚れてる野良猫にも)
○「猫になりたい」(猫になりたい)
○「夕焼け」(サカリのノラ猫みたいな)
○「ナサケモノ」(シベリア猫ハワイの猫)
◎「犬」⇨2個該当
○「1987→」(似たような犬が狼ぶって
○「えにし」(汚れ犬の漫遊記)
➡️「」の勝利!!

まあ、「猫」、多いですよね。スピッツなのに。(๑¯ω¯๑)

最後は他に多いワードを見てみましょう。

【他に多いワード】
「夢」「憧れ」「魔法」「世界」「運命」「ほし(地球・惑星・星)」
「ダメ」「小さい」「古い」「消える・失くす」「寂しい」「悲しい」「忘れる」「捨てる」「壊れる」「迷う」「重い」
「涙」「道」「花」 ……など

うん、納得できすぎる。(๑˃̵ᴗ˂̵)🤣
やはり''上''より''下''、''良い''より''悪い''……
''負''をイメージさせる言葉が多いですよね。

まとめです。⤵︎⤵︎⤵︎

①マイナスイメージのワードが多い
他にも…
「こぼれる」「落ちる」「崩れる」「切り裂く」「逆らう」「折れる」「裏切る」「役に立たない」「醜い」「疑う」
「絶望」「歪(いびつ)」「歪み(ひずみ)」「偽り・偽物」
「不安」「無様・不様」「堕落」「不幸」「クズ」「凡人」「端」「孤独」「臆病」「罠」「過ち」「憎悪」       ……など
*プラスイメージを否定の場合もあり
(「正しい」「まとも」+否定語など)
②普通ではなく少しズレた視点
他にも…「変」「妙」「不思議」「例外」「ズル」 ……など
③世界観が強大・広大
他にも…「獣」「輪廻」 ……など
④狭いスペースから外に出る描写が多い
他にも…「フタ」「ハコ・箱」「枠」「膜」「こじ開ける」「阻む」 ……など
⑤自分を偽っている,もしくは偽りの自分を剥がすような描写が多い
「飾る」「剥がれた塗装」   ……など

これだから、スピッツはやめられないんですよね〜!!
一生、聴ける。👂
飽きない。
スピッツを知らなかった人には、ぜひ、楽曲を聴いてみてほしいです。
そしてハマってほしい。

ではでは、この辺で✋
ありがとうございました😊😊

ガイド中、しきりに中谷さんが「人間の本質」という言葉を強調されていたのが残っている。

自分が優位に立ちたいと思うこと、都合の良い物差しで差別すること、得体の知れないものに恐怖を抱くこと、善人がいとも容易く無慈悲で冷酷な悪人になれること。様々な人間の「負」の本質が、うごめきあって生まれた産物が、まさにアウシュビッツで起こったことなのだと思う。

一方、生存者からお聞きになった話も併せて紹介くださったが、収容所内での思い出として「誰かとパンをこっそり分け合った」といった「共有 / シェア」にまつわるエピソードをよくお聞きになったと言う。一人よりも誰かと分かち合う方が、喜びが大きくなるのもまた、人間の本質であり、幸福の根源かもしれない、と。

気持ちの良い挨拶

&

・積極性・挑戦する気持ち

私のクラスに入っていたスーパー実習生は
絵本読みたいんですけど、時間あれば読ませてもらってもいいですか?」
「朝の会のピアノ弾きたいんですけど、弾かせてもらってもいいですか?」

ってどんどん挑戦してくれていて。

&

・謙虚な態度

何かやってもらったら「ありがとうございます」
「お忙しい中、お時間いただいてすみません」
「今大丈夫ですか?」「お手伝いしますか?」

ってゆう言葉が出てきてくれたら素晴らしい。

&

・たくさん質問してくれる

「こーゆー場面でこうゆうことがあって、こう思ったんですけど、その時の対応法を教えてください!」
「○○君がこうしてたので、こうしたんですけど、大丈夫でしょうか?」
「先生はこうしてましたが、どういう意図があってこうしたんですか?」

家族心理学において、世代間境界という概念があります。世代間境界とは祖父母世代、親世代、子ども世代というように、世代を分けている境界の事です。

問題がある家族に共通していることに、「世代間境界」があいまいであることがあります。

&

以下のコメントから分かるのは、母である広末さんと子ども達の結びつきが強く(これを家族心理学では、母子連合と言います)、父であるキャンドル・ジュンさんが、家庭内で孤立している様子がうかがえます。

また、祖母である母が、本来夫婦で決めるべき、結婚生活を続けるかどうかという話題に介入していることも分かります。

広末家においては、世代間境界がもろく、それゆえ、家庭内に問題が生じやすい状態なのです。

「本当は」という言葉の後に続けて話すと、その子はすがすがしい顔になります。同時に、まわりの子が理解を示してくれます。感情的なときはまったく響かないのに、真剣な顔になって話を聞き始めます。
 コミュニケーションの語源は、ラテン語の「communis」と言われています。共有する、分かち合うという意味です。人は他者と分かち合えたときに自己肯定感が上がるのです。

ところが、こんなにも似てきた夫婦であっても、いまだに似ない部分がある。
その中の一つで、いつも妻からお叱りをうけているのが、ガス問題だ(=お尻から出るあの嫌な臭いのする空気のこと。そして、仲睦まじいポカポカした話をここで台無しにするわたし)。

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面白かった。笑
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最先端の「ポテンシャル・モデル」とは?

では、この「ポテンシャル」っていったいなんなんでしょうか?

 人の「伸びしろ」について、エゴンゼンダーが、ハーバード大学などとともに、長年科学的にリサーチし、2014年に初めて世界に公表したコンセプト。それがこれから解説する「器」を示す「ポテンシャル・モデル」だ。

小野壮彦『経営×人材の超プロが教える 人を選ぶ技術』より

なんと、その人のポテンシャルを測るための「ポテンシャル・モデル」なるものがすでにあったのです。

このモデルの開発を指揮したのは、アルゼンチンの著名コンサルタントであるクラウディオ・フェルナンデス・アラオスという方だそうです。

クラウディオは、人の器の大きさ、伸びしろは、「好奇心(Curiosity)」「洞察力(Insight)」、「共鳴力(Engagement)」、「胆力(Determination)」の4つの因子で測ることができると、ズバリ言い切っている。これが大量のサンプルを分析した、リサーチの結果だ。

小野壮彦『経営×人材の超プロが教える 人を選ぶ技術』より

人のポテンシャル、つまり「器」の大きさ、伸びしろを測る4つのポテンシャル因子は次の4つ。

◎好奇心
◎洞察力
◎共鳴力
◎胆力

「好奇心」がすべての要素の上位に立つ最重要項目で、そこに「洞察力」「共鳴力」「胆力」が加わり、さらに「好奇心」には「吸収」と「更新」、「洞察力」には「集める」と「繋げる」、「共鳴力」には「結ぶ」と「響く」、「胆力」には「腹決め」と「律する」というサブセットがそれぞれにあります。

 注意してもらいたいのは、これらは便宜上、日本人に通りが良い「○○力」という言葉をネーミング上の都合で使っているが、見るべきは能力ではなくて「エネルギー」だということ。対話からいろいろな情報を得ながら「この人からはこのエネルギーが強いな」と〝感じとって〟いく作業となる。
「感じる」などと書くとオカルトっぽくなるが、体感的には言葉のインフォメーションだけでなく、その人の顔つき、表情、体の動き、声のトーンなどからも情報を得る作業と言っていい。五感とまでは言わないが、二感か三感ぐらいは駆使して判断する必要がある。
(中略)
 ここで言う「エネルギー」とは、本人からすると無意識で、時に無自覚に、自然と湧き起こる「熱量」のようなものだという理解がポイントとなる。四六時中、それらが燃えているのでは疲れてしまうだろう。しかし、スイッチが入ったらグワーッと盛り上がってくる。そうした種類のエネルギーという理解でよい。

小野壮彦『経営×人材の超プロが教える 人を選ぶ技術』より

なかなかこのレベルになると深みにハマりそうですね。その人の「能力」ではなく、「エネルギー」を見るのがポイントというわけです。

そこにこそ、ポテンシャルを見出すカギがある、と。

本書ではこれらの各ポテンシャル因子の分析、さらには各サブセットの詳細を解説しています。

そして、結論としてこう結ばれています。

 好奇心、洞察力、共鳴力、胆力の4モデルごとに相手を掘り下げて、全体のエネルギーレベルを統合し評価すると、器の大きさが測れる。
 その人の「ポテンシャル=伸びしろ」が見えてくるのである。
 繰り返しになるが、上層階部分は、化粧も後づけも可能である。
 たとえ知識や経験、スキルがなく、また、変革志向や成果志向、戦略志向などの発芽がまだ弱くても、そこはかとなく感じさせる大きなポテンシャルや、その人を強く突き動かす何かの存在をその人に感じたならば、個人としては積極的に付き合うべきだし、組織としては積極的に採用すべきなのだ。

小野壮彦『経営×人材の超プロが教える 人を選ぶ技術』より

記事によると、ある時、フィンランド人の友人と電話していてなにげなく相づちを打っていると「相づち多すぎじゃない?」「話している途中で声がすると、何か話したいのかと思って待っちゃう」「正直、相づちの度にジャマされてる気持ちになる」と指摘されたとのこと。

 やはりそうだったのか。国や民族、文化によって相づちのうち方も違うのか。確かに日本人同士のやり取りでは相づちが多い傾向にあるように思えます。記事にも、日本人同士の会話で相づちが少ないと「聞いてる?」とか「もしもし?」と確認されること多い、といった話が出ています。一方で、やはり個人差の面があるような気もします。


最近、『お金のいらない国』という本を読みました。

この本に出てくる国では、“お金” というものが存在しないのです。

“お金” があることが当たり前な国で生活している主人公は、この国にきてびっくり。

そして主人公は、“お金のいらない国” の住人との会話を重ねるなかで、

こんなことを言われます。


* * *

「 あなたの今されている仕事が、
本当に価値のあるものかどうかを判断する、
簡単な方法を教えましょう。

仮に、社会からお金というものがなくなり、
その仕事によって報酬を得られないとしても、
自分がその仕事をすべきだと思うかどうか
です。 」

* * *

by “お金のいらない国” の住人

好きだった仕事を辞め、寝たい時に寝られず、よくわからないけど泣かれ、こんなのきいてない!こんなはずじゃなかった!の連続の中で「こんなに全部を諦めてこの子のためにやってるのに、いつか『うるせぇくそババア!!』って言われる」と思ったら本当にやってられなかった。
みんなそうだと思うけど、生んでみて初めてわかることがいっぱいあります。
それなのに命を預かっているプレッシャー、削られていく体力。
読めば読むほど全部が全部違うことを言ってるように思える育児書、子どもの悪口を言ってるようにすら聞こえてくるママ同士の謙遜合戦。
「なんで泣くの!なんで泣き止まないの!!」と思ったある日、ふと思いました。
「なんで泣くのか」が自分でわかってたら、この子は泣いてないだろうということ。
本人にわからないのに、私がわかるわけなくない??

イライラするのは、なんとかしてあげたいのに何もできないからで、「できることがない」「打つ手がない」からイライラするなら、できることを増やせばいい。

「あなたのせいで私はやりたいことを我慢した」って親に言われるとか、重荷以外のなにものでもない。
子どもからしたらそんなの知らないよ、って話です。
「とても大変でしたけど、あなたのおかげで手に職がつきました」と言えるならWin-winなんじゃないの?と思いついたのは我ながら名案だったと思います。

「学校に通っているかどうかに関係なく、子どもたちが自信をもって生きられるようになってほしい」

そう語るのは、小学校5年生のときに学校に行かない選択をして、母親とともに子どもの居場所づくりを始めた長村知愛さん。周囲の大人のサポートを得ながら大阪府南河内郡でデモクラティックスクール「ASOVIVA!(あそびば)」を立ち上げ、17歳でNPO法人ASOVIVAの代表となりました。

今年20歳を迎える知愛さんに、スクール立ち上げまでの経緯と代表として大切にしていることを聞きました。

例えば、人殺しを書くにあたって、実際に人を殺す必要はない。ただ、自分の中に人殺しと同じ精神がある事は認めなければならない。そういう悪が自分の中にあると認めなければならない。現代の文学がつまらないのは、みんながいい子だから、と言い換える事もできるのではないかと思います。自分の中に悪を認めていない。彼らは正しい意見ばかり言っています。犯罪者を更生させる方法については、社会的観点から立派な事は言いますが、彼ら自身の中に犯罪者の芽があるとは考えても見ない。この「他人事」が文学をやせ細らせているのではないかと思います」

&

※ 本インタビューはフィクションです。文学論を直接書くのが面倒だったので偽インタビュー形式にしました。

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だろうなと思った。笑

使ってる言葉や文体、内容が自分にとっての読み物としてマッチしてるから、ついつい読んでしまう。

空港の話も、文中に「日垣妙子」って名前を出すのは、これだけ頭の良い人ならしないだろうと予測がつく。だけど、自分のことを書きたいという欲求は誰でも持っているので、もしかしたら、小説ではなくて、本当に本人の話かもしれない。笑

まぁ、フィクションとノンフィクションが50:50って感じか?笑

夕日の風景が、自分にとっては、森の幼稚園で子ども達が自由に遊んでる姿だから、結構この話には共感できた。

フィクションか、ノンフィクションかと考える前に、その一点において、私には価値があるモノなので、その下巣の勘繰りは蛇足だと自分の中で思うことにした。笑

「あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気がいっぱいすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ」


【氣】の漢字は何故【気】に変えられたのでしょうか?
日本の言葉には、言霊が宿るといわれ(言葉には魂や氣持ちが宿っている)世界で一番波動が高い言葉は日本語なのだそうです。

勿論、「 氣 」という漢字も言霊があります。旧文字との違いは【米】と 【〆】

氣の中の【米】という字は末広がり、八方位に広がるという意味
『エネルギー』の広がりを意味し【気】の方は【〆】は〆(しめる)エネルギーを封じ込めるという事になります。

つまり、言葉のエネルギーを封じこめる為に、旧文字をすべて変えたのです。

優勝後のロッカールームで中田がみせた常人には理解しがたい行動は初めて読みました。ぜひ、本を手に取って確かめてみてください。

https://www.google.com/amp/s/www.soccer-king.jp/news/media/wsk-news/20141112/2496


本読んでたのか…笑

新人のころよく「目指している先輩は?」というなんとも愚問も愚問、大愚問を投げかけられた。個性で勝負のこの世界、誰かを目指してどうすんねん。誰も目指せていないところを目指し、誰も立ったことのないところに立つ。それが芸人ではないのか。

たけしさんの会見で一言 お笑いに代役などないワイ!


🎼💃🕺
A-boodle-oo beep beep baum, baum, baum
A-boodle-oo beep beep baum, baum, baum
A-boodle-oo beep beep baum, baum, baum

You give me a glow
You give me a lift
Oh, where did you go
To get such a gift?
君が踊ると僕の心も躍る
なんだかワクワクしてたまらないんだ
ねえ 一体どこでそんなに素晴らしい才能を手に入れたの?

Oh, where did you learn to dance?
Oh, what grace What tecnique!
君はどこで踊りを教わったんだろう?
ああ なんて優雅!なんて美しいんだ!

I went to my ballet class
For five times a week
バレエの教室に通ってたわ、週に5回もね

Miss LeRoy, your movements have me so completely floored
ミス・レロイ、僕は君の動きにすっかり魅了されてしまったんだ
(Call me Judy)
「ジュディでいいわ」

Judy, you deserve an anatomy award
ジュディ、君には解剖学賞だね
(Huh?)
「えぇ何て?」

Where did you learn to twirl so superlatively?
You're gettin' me all agog
With your choraography
When you tap so
I am absolutely in a trance
どこでそんなに見事なターンを覚えたの?
君の その振り付けで もうメロメロさ
そんな風にタップを踏まれた日には
僕はトランス状態になっちゃうね

Say, you could be a big star
if you had the chance
Little lady
Where, oh, where, oh, where did you learn to dance?
チャンスを掴んだら 君は大スター間違いなしだろうな
ねえ かわいいお嬢さん、
君は踊り方を一体どこで教わったんだい?

🎼💃🕺🏻
Ho-o-ow did you get your shoes so enthusiastic?
I-I-I-I seem to flip when you trip the light fantastic
教えておくれよ、その情熱的な足さばきはどんな風にやってるの?
まったく、君が軽やかに踊ったら僕はきっと正気を失ってしまうよ

Would you state that you and I be patron of Ballet?
貴方 私のバレエのパトロンになれるかしら?

Quite so, and might I say,
That I dig your tour jeté!
もちろん!
そんで僕は 「君のトゥール・ジュテの虜になった」って言うだろうね

Crazy man!
あらまあ!

Whe-e-e-e-ere did you get that quake and quiver?
なあ 教えておくれよ、その素敵な動きはどこでできるようになったの?

It was wa-a-a-ay down upon the Swanee Riverそうねえ、スワニー河のほとりかしら

I like your poise, that is, I mean, I'm keen about your stance
君のポーズのとり方はすごく素敵だね
上手く言えないけど、目が釘付けさ

Say, you could be the epitome of romance What am I saying?
Where, oh, where, oh, where did you learn to dance?
もしかしたら君はロマンスの象徴そのものにだってなれるかもしれないぞ......いや待て、何言ってるんだ僕?
でも 教えておくれよ、 君は一体どこで踊り方を教わったんだい?

🎼💃🕺
Where, oh, where, oh, where did you learn to-How you do twists
How you do turns
その体のひねり方も ターンの仕方も
どこで習ったのか気になって仕方ないんだ

You'd better take care, or the carpet'll burn
気をつけないと、君が踊ればカーペットだって燃え上がりそうさ

Where, oh, where, oh, where did you learn to dance?
さあ 教えておくれよ、
そんな素敵な踊り方を 君は一体どこで教わったんだい?

お話をお聞きできる「保育者」「保育に関わる仕事をしている方」を探しています。
あなたご自身や、あなたが知っている保育者の方でもOKです。
いきなり取材というとお互いに構えてしまうかもしれないので、
まずは、
「こんな人いますよ」「こんな活動をしているんですよ」
といった情報提供からでもかまいません。
下記より、お気軽にご連絡ください。

たった2つの質問だけで、その人の本質を見極めることができます。

まず1つ目の質問。

あなたはどちらかと言うとHOT(情熱的)な人ですか?
それともCOOL(冷静に考える)な人ですか?

2つ目の質問は

あなたはどちらかと言うとDRY(合理的な判断を優先する人)ですか?
それともWET(人の情を優先する人)ですか?

HOTでDRYと答えた人は勇(勇気、勇猛)の魂の強い人。

達成本位で生きているから、思ったらすぐに行動します。

【恋愛】は男女問わず肉食系が多いはずです。
相手の心を射止めるまでは、積極的にアタックしていきます。
(その後に問題はありますが・・・笑)

【人生】には達成感を求めています。
だから常にチャレンジすることが大好きなはず。

【好きなタイプ】は同じ夢に向かって歩む人。
または自分の夢を応援してくれる人。

【好きな相手にわかってほしいこと】は、自分が夢に向かって頑張っていること。

【好きな相手にして欲しいこと】は
夢を応援する言葉が欲しい、愛情を表現して欲しいと願っています。

HOTでWETと答えた人は

愛の魂の強い人。
愛し愛されること、つまり相愛こそが愛だと想っているから、

【恋愛観】は心と心が共感すること、繋がることをを優先します。

【人生】には愛し愛されること
自分が必要とされることを求めています。

【恋愛】は肉食系というより、愛して欲しい系。
わたしのことわかって欲しい、わかってあげたい。
くっつくのも好きなはず。笑

【好きになりやすいタイプ】は、自分を一番に思いやって、大事にしてくれる人。

【好きな人にわかってほしいこと】は、
あなたのために、一生懸命尽くしていること。

【好きな相手にしてほしいこと】は
自分の気持ちを受け取って欲しい、愛情をたくさん表現して欲しいと願っています。

COOLでDRYと答えた人は

智の魂の強い人。
知識の知でもあります。

【恋愛観】は自分のセンスに合う人。
似たような趣味を持つ人。
相手に対してのこだわりもたくさんあります。

【人生観】は興味本位で生きていますから、
自分の好きなこと、興味あることを何より優先します。

【好きなタイプ】は、センスの良い人。
感情の交流をあまり重要視してないので、自分の美意識にあった人を選びます。

【好きな人にわかってほしいこと】は、
自分のこだわりや、知識や能力。

【好きな人にしてほしいこと】は、自分の興味に対する理解。
会話も感情的な会話は苦手で、パートナーにも論理的にわかるように話して欲しいと願っています。

COOLでWETと答えた人は

親(調和)の魂の強い人。

【人生観】は調和本位生きていますから、人生にも調和と平和、
安定を願っています。

【好きなタイプ】は、仲良くできる人。
熱々の恋より、長く続く友達の延長上のような恋を求めています。

【好きな人にわかってほしいこと】は、
皆のために目立たないところで頑張っていること。

【好きな人にしてほしいこと】は、友達や仲間、家族を大切にして欲しい。感情的にならずに、冷静に話して欲しいと願っています。

ある国際アンケートで仲のいい友人の数を聞いてみたら、日本の学校に在学している人では平均9.6人もいた。これは先進7か国のなかでも、しかもフルタイム労働者、アルバイトなど様々な立場の人の場合と比べても、飛びぬけて多い数字だった。
 ちなみに「学校に通う意義」を聞くと、「友だちとの友情をはぐくむ」が日本では群を抜いて世界一多かった。他の国で多かったのは「知識を身につける」だったのに(※1)。

人の脳の中も同じです。感情優位で被害者意識が強いと、理性で制御できない状態(子供脳>大人脳)になります。冷静さが失われ、適切な行動ができないのは、脳内でのヒエラルキーが崩れ、ぐちゃぐちゃ、ということ。つまり脳内の統制が取れない(感情に振り回される)ので、現実に問題が起こりやすくなります。また、パフォーマンスも下がるため、能力も伸びません。

どうしてそうなるかというと、幼少期に親に対して抱いた「〜された」「〜してほしかった」「〜してもらえない」といった恨みが、感情を司る大脳辺縁系(子供脳)に記憶され、親を悪者(=親を下げる)として捉えるからです。本来は「親が上で子どもである自分は下」であるとするヒエラルキーが、思考パターンとして「自分が上、親が下」と逆で定着したために、脳内でのヒエラルキーが逆転してしまったのです。

エスカレーターに乗っても歩きなさい。自分を機械に任せたら終わりです。

「教える=先生」というイメージから、上の立場の人や先に知っている人が知識やものの道理、スキルなどを「伝える」、ということをお考えになる方が多いと思います。
私は、これまで子どもに伝える時や、講座などでお母様にお伝えするときは、「相手の頭の中でイメージを共有できること」を目指してきました。
イメージが共有できれば、とるべき行動やほしい結果のズレは小さくて済み、お互いの不満やストレスも小さくて済むからです。


中高年男性になると、急に「おやじギャグ」を言いたくなります。
これは前頭葉が低下し始めた証拠になります。
小学生が脳の発育途中で「言葉遊び」が面白くなってくる状態と同じと言えます。

「マズローの欲求5段階説」とは、心理学者アブラハム・マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定した上で、人間の欲求を5段階に理論化したものです。人間には5段階の「欲求」があり、1つ下の欲求が満たされると次の欲求を満たそうとする基本的な心理的行動を表しています。その中でも、人間の最も高次の欲求として「自己実現の欲求」が挙げられています。自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求を指します。桜木先生の言う“上を目指したい本能”とは、「自己実現の欲求」と言い換えることもできますよね。

&

桜木先生が子供の好奇心を刺激するために行っていること。それは、「興味・関心と学習意欲との結び付け」です。「興味・関心と学習意欲の結び付け」とは、子どもの内面から沸き起こる興味・関心と、学問を結びつけ、子どもの学習意欲を高めるということです。「興味・関心と学習意欲の結び付け」をしているシーンはいくつか見られました。その中でも最もわかりやすく現れたのが、「虫が大好きな男子学生に、その虫の研究論文を渡したシーン」にありました。虫の大好きな男子学生は、その論文を読むために、英語を調べ、文章を読み解いていきました。また、説明には数学も使われていましたから、おまけに数学まで勉強をしていました。英語で書かれた論文を渡すことによって、英語を習得するだけではなく、数学の勉強、読解力の向上にもつながったということがわかります。これは極端ではありますが、子どもの「興味・関心と学習意欲を結びつけた」典型的な例といえます。

振り返ると、尊敬を集める先生というのは総じて「確固たる自信がある」んですよね。自信のない先生は最初にサヨナラな感じ。もちろんただ自信があるだけじゃなく、質問にも的確に答えてくれる、言っていることが分かりやすい、といった相応の実力も備えていなければ尊敬まではいかないと思います。

スラヴォイ・ジジェクによれば、リベラルで寛容な父親は、頭の固い権威主義的な父親よりも強く子供を支配することができる。日曜の午後、子供に祖母の家に行かせたいとする。後者は「お前は黙っておばあちゃんの家に行って大人しくしていなさい」と命令する。この場合、子供は父親の命令に反発することも可能だ。しかし前者は次のように言う。「お前はおばあちゃんの家に行っても行かなくてもよい。しかしお前はおばあちゃんがどれだけお前を愛しているかよく知っているね?」賢い子供であれば、祖母の家を必ず訪れるだけでなく、それは自分の意志で選好した結果だと思い込まされるのだ。

個人的な定義であるが、アウトサイダーと言うのは、ただの外れものと言うわけではなく、世界の境界ぎりぎりに立つ人、また、火口の淵に立って居るような人と考えている。

普通の人々なら帰ってこられなくなりそうな、外れてしまいそうな場で立って居られるような、そのような人なのである。

境界線上で踏みとどまるのが最も楽しく、最も意欲がわく。

あくまで世界の中で立って居ながら、内側に属しているわけではない人、そのような人がアウトサイダーである。

境目を歩いている者。

アウトサイダーは、既存の秩序を破壊する気はないが、その中にいる人々では見えないものが見える。

人々が当たり前すぎて気づかないものに気づき、人々とは違うルートを使って物事を解決する。

インサイドにいる人たちとは、求めているものも価値観も違う。

仁義や筋を通さないワガママや主張は、時代、業界を問わず許されません。なぜなら、仕事は自分一人ではできません。まわりの人たちのお力添えがあって、成り立つものなのですから。
 どこか驕りがあったとき、人は次第に離れていきます。つまり、仕事ができなくなります。どんなに偉くなっても、どんなに売れても、どんなに今、調子が良くても、驕りは禁物です。

別の項目でもお伝えしましたが、まわりの言うことに耳を傾けない人間は伸びません。これから新しいことを目指そう、やろうとする人は、いろんなものを吸収しなくちゃいけません。経験者のアドバイスに耳を傾けられない人間は、いずれ限界がくるものです。だから、育つかどうかは、まず素直さが第一条件だと思います。

&

イチローには一本の芯があったんです。
 芯がないうちは、頭を柔らかくして、つまり、素直になって、いろんなものを吸収したほうがいいでしょう。素直さがあるかどうかが、育つかどうかの境界線と言っていいと思います。

何故「心底気にいる重要なもの」を彼女は手に入れられなかったのか?

人目を機にし過ぎているのだ。
臆病な自尊心を傷つけられることを恐れる彼女は、他者と接する時も「普通の自分」であろうとする。カラオケの時もセックスの時でさえ、普通を基準にする。

本当の自分を見せて相手を不機嫌にし、孤立するよりも平穏を選び「いい子」でいようとしていた。周りを見下し、本当の自分を隠して切り札があると思っていた。

&

いい子にしていれば、周りが自分に合わせてくれると思っていたけど、気づづけば自分だけが周りと比べて進んでいなかったこと。

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本当は、普通の世界も魅力的な空間なんてカテゴライズもない。普通の恋愛、普通の男性なんてのも全て彼女が作り出した概念、思い込み、夢の世界だ。

彼女が誤ったカテゴライズを捨て、等身大の自分と現実を再度見つめ直して、自分が幸せに思える生き方を考えられたらと思う。



好きなことを仕事にするというのは必ずしも職業選択の唯一のパラメーターではなく、自分が何に情熱を感じるか、何が自分を喜ばせ、自己の成長を促すかを見つけ、それを職業生活に結びつけることで自分にあった職業やロールを見つけることが可能なんじゃないかと思います。

&

あなたが何かを深く愛していて、そのことを追求する過程で必要な全てのスキルや課題にも取り組むことができるのであれば、それは仕事にするに値します。だからこそ、豆腐を売ることを愛し、さらにその商業的な側面を理解し、そこに全力を注げる人は、その仕事を続けることができたり、人より上達が早かったりがあるのかなと思ってます

この物語の登場人物を救うのは、才能を超え、理屈を超え、常識を覆す存在。ヒーローの登場なのだ。

そう、この二人の優秀な先生は、子どもの状況に合わせて、指導内容の重点を変えていたのです。私は、私に合う方法で指導を続けていましたが、この二人の先生は、子どもの状況に合わせて自分を変えて指導していたのです。だからこそ、O先生はクラスの雰囲気に比重を置き、N先生は学力定着に注力していたのです。

つまり、O先生もN先生も、子どもの満足度云々よりも、「目の前の子どもたちにすべきことは何か?」を考えたうえで、教育をしていたのです。

この子たちはベテランの先生に持ってもらっていれば、もっと伸びたのかもしれない。自分が担任したばっかりに、伸びるはずの力が伸びずに終わっている。辛い。悔しい。

教育論は、「教師が」「親が」と、指導する側を主語にして組み立てるとまずい気がする。「子どもは」いま、どんな状況にあり、どんな思いを持ち、どんな様子でいるのか。子どもを観察し、汲み取れるものから仮説を紡ぎ出すことしか、教師や親はできないのではないか。

「厳しく」「愛情深く」「放任」の3類型の教育論は、子どもを観ず、指導する側の振る舞いばかり見ているという点で、問題ありかな、と思う。子どもの様子によっては、厳しく見える接し方が必要なこともあるし、優しく接するほうがよいときもあるし、そっとしておいたほうがよいことも。


そして、そういう時は大概、正しさと正しさの争いになってしまっていて、目の前の子どもにとってどうすることが良さそうか、という、本来一番大切にすべきものが、見逃されてしまう場合も多い。

A) 業務独占資格: 弁護士、公認会計士、司法書士のように、有資格者以外が携わることを禁じられている業務を独占的に行うことができる資格。
B) 名称独占資格: 栄養士、保育士など、有資格者以外はその名称を名乗ることを認められていない資格。
※教員免許については業務独占資格である。

そんな彼らの卓球を、ペコの特別な才能が粉砕していく。その瞬間、ライバル達は、自分自身の才能について腹の底から納得し、受け入れる。ここで彼らが感じたのは、敗北感ではなく、開放感だったのだろう。

しかし、描いているのは才能の輝きと残酷さだけではない。「自分より大きな才能の前に挫折することになろうとも、真剣に取り組んだ末の挫折であれば、それを受け入れることができるし、人間として大きく成長することができるのだ」という、対象喪失の光景を、愛すべきライバル達を通じて鮮烈に描いているのである。

幼児期は学びの種を置く時期

[学校に行く意味]

学校に行くのは、自分がどういう人間かということを知るために行くもの!

[勉強する意味]

勉強は自分の夢を叶えるためにするもの

子どもは「経験」によって育つ。

ものと関わる経験、いじくる経験、
人と関わる経験、ぶつかる経験、
出会う経験、失う経験、
うまくいく経験、うまくいかない経験。

さまざまな経験を通して、
子どもは育っていく。

とすると、保育者の仕事とは、
「経験をデザインすること」
と言っても過言ではないと思っている。

「自主性」とは、
やるべきことが決まっている状態で、
率先して行動しようとする姿勢のこと。

一方で、「主体性」とは、
何をすべきか決められてないことを
自分の意思で決断し行動しようとする姿勢だ。

マチャードが偉大な詩人になったのは、人生の不可逆性を受け入れ、それが悲しみに包まれていると「知った」からであって、しかしそれを知る事は彼の人生の目的ではなかった。あったのは愛する人と一緒にいたいという事。この現実が終わる所から詩が、芸術が始まる。

整理すると、芸術の有用性とは、現実内部の有用性が終わった後から効力を発揮するという事です。現実の内部、実際に幸福で満ち足りた人からすれば、芸術は色褪せた現実に過ぎない。

 だからガクトが凋落する事があっても、知人は驚いたりしないだろう。「秀でた所があったからあのポジションにいたはずなのに、どうして駄目になってしまったんだろう?」などと考えたりしないだろう。そもそもガクトが一体何において秀でていたのか、そもそも社会において秀でるとどういう事か、とは考えないからこそ、先のような思考が出てくるのだろう。 ガクトが消えても別の人が必ず出てくるから、今度はその人を「何か秀でた所があるからあのポジションにいる」と思えばいいだけだ。信仰対象は、入れ替わり可能だ。

批判というのは、創造の半面であり、いわゆる「建設的破壊」というやつで、本気で何かをしようとする人には必要なものだ。

成長というのは、何かに対して伸びていく事である。しかし伸びていく先がなければ、成長しようがない。

作家の羽田圭介は、新人賞に原稿を送るにあたって、新人賞作品を三年分読み返し、傾向と対策を練ったらしい。これは現在の状況で作家を目指すにあたって、正当な努力と言える。しかし、文学という大きな道を考えるのなら、古典を読み、教養を深めるべきだった。だが、今の作家に深い教養を持った作家はどの程度いるだろうか。

立川談志もレフンも、二人共私は好きだが、彼らはうんうんと子供のように悩んでいる。何故か、彼らの姿勢は子供っぽいのである。それは彼らが大人の忘れた情熱を持っているからだが、同時に、自分の世界に極度に没入している為だ。彼らは自分の世界に入り込み、ああでもないこうでもないとくよくよ悩む。だが、外側の観客に対しては尊大な、傲慢とも言える態度を見せる。

絵というものが自然から発するのではなく、人工的な技術から発する。文学で言えば、様々な人間の諸相に驚いた詩人が、この世界を言葉で書き留めたいと願う。そこに詩が、物語が、作品が生まれる。これと比べて、現代の我々は新人賞を通る事を念頭に文章を書き始める。あるいは大衆に対する「受け」を狙って書き始める。芸術というものの、そもそもの動機が変わってきている。

人間が、人間の外に絶対的な存在(神)を求めるのをやめた日から、人間が神の座に昇った。そこで人間は途方に暮れた。次に何をすればいいかわからなくなった。人間は、「何をすべきか」、人間とは「何であるか」を考えるのをやめた。ただ、自分達にとって心地よいものだけを追求する事にした。人生の全体が何であるかを決定づけるという仕事は、もうやらなくても良い。ただできる限り死を先延ばしにして、人生を楽しむ事。それを人々は自分達の哲学とした。正確には、非哲学としての哲学とした。

魅力がないのは、何事にも深く入り込まないからだ。フラットな平面を浮かんでいて、精神の浅瀬に留まっているからだ。言い換えれば狂気的な部分が全くない。そこで、彼らはただ漠然と常識とか、多数者が肯定しているものを肯定している。ある作品が流行すれば自分もその作品を見て、わかったような、楽しんだような気になってみるが、本当に自分が好きなのかどうかはわからない。自分の中にあるものに確信を持てないので、常にまわりを見てキョロキョロとしている。

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