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3年間声優養成所に通った今思うこと

どうも夢波サロンメンバーのダルス(@dulls0129)です。

このnoteは声優を目指そうか悩んでいる人、養成所に通おうか悩んでいる人に特に読んでもらいたいです。乱文ではありますがお付き合いいただければ幸いです。

途中で著者なりの演技論が出てきます。それらはあくまでも多数ある考え方の一つであることをご了承ください。


自分は3年前の4月、2017年の4月から2020年3月まで某大手声優養成所に通いました。
養成所に通うまで一切演技の経験がありませんでしたが、それでも声優になりたい気持ちを捨てきれず、養成所に通うことを決めました。

同時にそれまで勤めていた会社を辞めてフリーターになりました。
気づけばもう27歳です。一般的なキャリアで言えばほぼ無価値と言っていいでしょう。
そんな自分が今思うことを記事にしていこうと思うのでお付き合いいただければ幸いです。


2016年11月
社会人だった自分は家と職場をただひたすらに往復するだけの日々を過ごしていました。楽しみといえば家に帰って録画したアニメを見るか時々奮発して美味しいものを食べることくらいでした。

ある程度仕事に慣れてきたこともあって日々がいたずらに過ぎていくだけでした。
そんなとき声優養成所のCMを見て、ふと「声優になりたい」と思いました。
先ほども書きましたが一切演技経験は無いです。
早速資料請求をして、プロフィールを提出し、入所オーディションを受けて、無事合格、養成所に通えることになり「声優志望」として歩み始めます。


1年目

「養成所に通ったらアニメやラジオで耳にしている声優さんたちみたいに素敵な声が出せるようになるんだろうなー!」

そんな期待を密かに抱きながらレッスンに臨みました。

ストレッチ、発声、滑舌、台本の読み方など基礎の訓練から始まりました。
元々人前で話す機会があったのでそこそこ滑舌は良かったです。
セリフを覚えるのも比較的早い方で外郎売も暗唱できるようになりました。

ですが、レッスンを通じて何かが劇的に変わることはありませんでした。

何事も最初は嬉々として取り組むのですが、慣れてくると熱が冷めてきてしまう自分の悪い癖が一念発起して挑んだお芝居でも現れだしたのです。

初心者向けのクラスということもあり、クラスメイトの中では割とできている方だ、という自覚が助長して一層中途半端になっていきます。
声優という熾烈な競争社会においてまだ底辺の底辺であるというのに。


今思えば自分は声優になりたかったのではなく、認められたかったのだと思います

華やかな世界に惹かれたただのオタクだったのです。

周囲と比較し、俺はこいつらよりはマシだ。

そんな自己肯定をして安心していました。


言葉にはしないものの声優を目指すきっかけが
「チヤホヤされたい」「あの有名声優と共演したい」「いい声って言われたからなれる気がする!」
という理由の人は少なくないと思います。僕はそうでした。
ですが声優は芸能人である前に「役者」である、「表現者」であるということを忘れないでほしいです。

役者であるということは自分らしさを削り役に入っていく。
表現者であるということはその人らしさを滲み出していく。

そんな相反するようなことをプロの方々はやっているのです。

お前はできるようになったのか?と言われれば、3年かけた今でもその答えは「まだできない」です。
第一線で活躍している方々が謙遜して言うそれとは次元の違う「できない」です。

各所で言われているように、安易に声優を志すことはやめた方がいいと本気で思います。


1年目の年度末にレッスン内で3ヶ月ほどかけて劇をやりました。
そこで有難いことに主役をやらせていただくことになりました。クラスを3グループに分けての発表だったので実際には主役が3人いたのですが、それでも嬉しかったです。
経験が浅い自分にとってその役はセリフが多くほぼ出ずっぱりで、舞台袖で台本を見て確認する、なんてこともできず苦戦しました。

おそらく当時の芝居を今見たら恥ずかしくて見ていられないと思います。
それでも、人生初の主役を経験できたのは有難かったことこの上ありません。

とにかく順番がきたから自分のセリフを言う、というレベルの芝居をしていました。感情が伴わないのです。今でも感情を動かしながらセリフを正確に言うことは課題です。

本来、セリフがあって感情が動くのではなく
感情があって言いたいからセリフが生まれる
のです。

ですが台本は先にセリフが決まっています。一字一句違わずに演じることが求められます。勝手に変えるのは作者に対する冒涜であり役ではなく役者の都合です。

そんな教えもあって1年目は感情が動かせず、正確にセリフを言うことや辻褄が合うようにこなすことで精一杯でした。

もしこれから芝居に挑戦するか迷っている人がいたら感情を伴う芝居が必要だということを覚えておいてほしいです。

そうして大きな手応えを感じることなく1年目が終わりました。

2年目

どうにか進級考査に合格し、養成所のクラスはステップアップ出来ました。
2年目はクラスメイトのレベルがとても高かったです。実力が元々高い人や成長が著しい人、一つ秀でたものを持っている人、目立たないけど繊細な表現が上手い人、発音がとても綺麗な人、即興が得意な人、身体の使い方が上手い人、独特な存在感がある人などなど。。。

何より講師の方がとても教え上手・盛り上げ上手だったので、かなり熱の高い1年を過ごしました。感謝してもしきれない、人生で一番尊敬出来る人といっても過言ではありません。

とにかく1回1回のレッスンがとても刺激的でした。毎回濃い内容でいてハイペースで進んでいく。環境の重要性、そして挑戦なくして成長なしということを思い知らされました。

具体的にどういうレッスンだったかというと
台本を渡されて即時演じる日があってその次のレッスンでは台本を覚えて発表。という流れが大半を占めていました。とにかくセリフを入れて作品を理解して演出を考えて良いものを作らなければなりませんから毎日必死でした。

1年目のように周囲を見下すような余裕はありません。
むしろ自分は落ちこぼれの方で自身の強みがわからず苦しみました。精神的に参った時期もありました。
ですがレッスンは絶対に行くぞ!という負けず嫌いな部分が出て食らいついていました。1回休むだけでもかなり置いていかれる内容の濃さもありますが、なんだかんだで楽しかったのです。クラスメイトから盗めるものは盗み、自分の糧にしたいという貪欲さがありました。その分周囲の成長に焦って気持ちが沈むこともしばしばありましたが笑

そんな濃いレッスンで多くの大切な考え方を学びました。

・役者としてニュートラルな身体を手に入れなさい。
・まずは一つ自分の軸となる強みを作りなさい。
・役者とは職業ではなく生き方である。
・舞台に上がったら考えるな、没頭しろ。舞台に上がるまでは役と向き合い、考え続けろ。
・同じ台本でも解釈、表現は無数にある。
・相手に言葉を届け、相手の言葉を受け取れ。

今思えば当たり前のようなこともありますがそれすら出来ていなかったのです。


そしてとある台本をやったときに講師の方に「邪魔をせず引き立てているものの存在感がある」と褒めてもらったときはものすごく嬉しかったのを今でも覚えています。

直後調子に乗ってしまいその後表現が崩れてしまったんですけどね笑

その経験を経て主役ではなく脇役として勝負する方が向いているのかもしれないと気づくことができました。余談ですがこれは僕の人間的な気質が影響していて、献身的な面があり人を支える方が得意なのだと思っています。

脇役だと思って生きている人(キャラクター)は早々いないのでまだまだ掴みきれていないのですが、全く強みがわからなかった段階からすれば大発見です。


それから、自分はどういう印象を与える人間なのだろう?と視野が広がるようになり、自身の容姿や思考・思想といった部分を客観的に捉える意識を持つようになりました。
この頃から演じることが楽しいと思えるようになってきました。

役に入った感覚を得られたとき物凄い達成感があり、そのとき自分として考えるのではなくその役として考えることが出来たのです。1回うまくいったからといって何回もその役に入れるようにならなかったのが悔しいところです。


自分はアニメは沢山見てきたけどドラマや映画はあまり見てきておらず、それらを見る際もただ一視聴者として見ていました。〇〇さんの演技がすごい!とかこのセリフがすごくいい!とか分析して見ることをしてきませんでした。

自らが演じる側になって「面白い」という曖昧で抽象的なものの追求する必要を感じ、自分は何を面白いと感じ何をつまらないと感じるのかを分析・言語化することを意識しながら映画をひたすらに観るようになりました。

同じ作品を見て面白いと思う人もいればつまらないと思う人もいる。これは仕方のないことです。ですが、ある一定以下のものは誰が見てもつまらないものになります。なのでつまらないものを見る時はどうしたら面白くなるのかを考えながら見て、面白いものは何故面白いと感じたのかを分析しました。

この取り組みを通じて自身の芝居をある程度客観的に見ることが出来るようになると同時に、どのように改善すれば面白くなるかのアイデアが生まれるようになりました。そのアイデアが百発百中で面白いものではないのですが、何となく「これは面白くなるだろうな」「これは悪くないけどそこまで効果的じゃないな」というのがわかるようになったのです。

そうした発想力というものが役者には必要で、読解力と組み合わせることで表現力になっていくのだと思います

3年目

進級考査で個性を上手く出せずに終わった自分は進級できなかったものの養成所に通い続ける選択をしました。
しかしそれを初回のレッスンで後悔することになります。

自分が通った養成所は講師が1年固定なのですが、講師が止むを得ない事情で休みの場合は他の講師がレッスンを行います。これは1年目にも2年目にもありました。

初回レッスンで1年間の担当講師と初めて会うのですが、その方が2年目の際に一度代講で来てくださった方でした。なぜ後悔したかというと、その方のレッスンがこれ以上ないほどつまらなかったからです。

あれは代講だったからつまらなかっただけかもしれない。。。
その可能性にかけてレッスンに臨みました。ですが、その希望は早々に打ち砕かれました。指導は長所を伸ばすものではなく短所を引き上げるもの中心。それぞれ生徒に適切なアドバイスを与えるわけではなく全体のボトムアップを図るような指摘ばかり。
進級ができずに留年した自分は演技経験2年目のレベルに合わせた指導を受けることになります。

やる気さえあればそこから学べることもあったのだとは思うのですが講師の方への偏見も相まって身が入りませんでした。
そうして得るものが少ない1年を過ごすこととなりました。強いて言えば養成所のレッスンだけやっていてもダメだということを強く思わせてくれたことは感謝です。


これ以上3年目のことを書いても愚痴っぽくなってしまうので割愛しますが、3年間声優養成所に通って思うことは

・指導者と共演者(環境)のレベルは重要である
・試行錯誤していく力がなければ成長できない
・声優養成所は事務所所属への権利を得るには良いが演技を磨くのに最適な場ではない

きっとこれは演技だけではなくて社会で生きていく上でも重要になってくることだと思います。

声優事務所のオーディションには年齢制限がある場合があり、満21歳までと非常に厳しい制限のところもあります。

それでも自分は演技を続けます!夢を諦めません!

役者とは職業ではなく生き方なのだと学んだから

テキスト:ダルス
編集:ぼっけもん

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