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17歳でデモクラティックスクールを運営するNPO法人の代表に。子ども時代の自分が望んでいた“居場所”をつくる

「学校に通っているかどうかに関係なく、子どもたちが自信をもって生きられるようになってほしい」

そう語るのは、小学校5年生のときに学校に行かない選択をして、母親とともに子どもの居場所づくりを始めた長村知愛さん。周囲の大人のサポートを得ながら大阪府南河内郡でデモクラティックスクール「ASOVIVA!(あそびば)」を立ち上げ、17歳でNPO法人ASOVIVAの代表となりました。

今年20歳を迎える知愛さんに、スクール立ち上げまでの経緯と代表として大切にしていることを聞きました。

※デモクラティックスクール:カリキュラムやテストはなく、大人と子どもが対等な立場で民主的に運営するスクールの総称。子どもは何をして過ごすかをすべて自分で決める。

自分は学校に行けないダメな子。周囲の人の支えで、罪悪感が少しずつ減った

—— 知愛さんは、15歳のときにスクールを立ち上げたのですよね。それまでの生い立ちがとても気になります。幼少期はどんな子どもだったのでしょうか。

幼稚園に入園してから2週間後には、「もう辞めるって先生に言うといて!」というような子どもでした。小学校に入学してからも「学校の先生は、知愛のことを操り人形にする」と言って行き渋り、大泣きすることはよくありました。でも、母にさとされて何とか通い続けたんです。そして、小学校5年生になったとき、再び学校に行けなくなりました。

いじめられていたわけではないし、勉強についていけなかったわけでもない。周囲に私を責める人は、1人もいませんでした。それなのに学校に行けない自分に対して、「落ちこぼれのダメな子」だと思っていました。「お父さん、お母さん、ほんまにごめんなさい」と号泣することもありましたね。そんな状況が2年半ほど続きました。

—— その2年半は、どのように過ごしていましたか。

母がカウンセリングに連れて行ってくれたり、私と対話する時間を取ってくれたりしました。その中で、自分の特性を理解していきました。

HSPの傾向が強くて、自分の感情を出すことよりもその場の状況に合わせて行動することを優先しがちだとわかったんです。だから、必要以上に疲れてしまうことがあると。自分を理解できるようになってからは、それまで感じていた生きづらさが徐々になくなっていきました

1年ほどたった頃に、母が子どもたちの居場所をつくるサークル活動を始めてくれました。私が社会とつながれる場をつくってくれたんです。多いときは、10人くらいの友達と一緒に過ごしました。

※HSP(Highly Sensitive Person):視覚や聴覚などの感覚が敏感で、刺激を受けやすい特性を生まれつき持っている人のこと。

14歳でスクール立ち上げメンバーに加わり、15歳で共同代表に

—— なぜそこからスクールを設立しようと?

近くにフリースクールがなかったので、母がスクールを設立しようと動いてくれました。それから、サークル活動に参加している子どもの保護者や地域の方を含めて、スクール設立の準備会が立ち上がったんです。

当時の私はメンバーには入っていなくて、母からミーティングの様子を聞いていました。ただ、なかなか設立に向けた準備が進まない現実を目の当たりにして、正直イライラしていたんです。「私はこんなにスクールの設立を待っているのに、なんで早くつくってくれないの?」と。

でも、あるとき気づいたんです。「私、文句を言っているだけで何もしていない」と。それで、準備会のメンバーに入れてもらうことにしました。私の中で、つくりたいスクールのイメージがあったことも大きかったですね。

—— なるほど。大人たちが立ち上げたスクール設立の準備会に、知愛さんが加わったのですね。どのような経緯で知愛さんが代表になったのでしょうか?

法人化することが決まったとき、「代表は知愛ちゃんでしょう!」とメンバーの方々が言ってくれたんです。学校に行かない選択をした当事者は私しかいなかったので、適任ではないかと。たしかに当事者である私が代表を務めることには意味があると思いました。

でも、話し合いをしていた当時、私は14歳。「周りの大人たちは、本当は私がいいとは思っていないけど、話題集めのためにそう言っているんじゃないの?」と思うこともありました。もちろんそんなことはないのですが、自信のなさからそんなことが頭をよぎってしまったんです。

最終的に、共同代表というかたちで複数の人で代表を務めることなりました。そして、私が自信を持てるようになったタイミングで、1人で代表をやることを約束しました。それから2年がたった2021年7月、17歳でNPO法人ASOVIVAの代表理事になりました。

代表は1人だけど、気持ちは1人じゃない。多くの人の応援で今がある

—— 1人で代表を務めると決めたとき、怖さはなかったのでしょうか?

正直、めちゃくちゃ怖かったです。もし何か問題が起こったら、自分の人生は終わると思っていました。子どもを預かることの責任は、それくらい大きいと感じていたんです。元々いろんなリスクを考えてしまう性格なので、「こんなことが起こったらどうしよう?」とあれこれ考えていました。

そのときに支えてくれたのも、母でした。当時はかっこつけたい気持ちがあったのか、他のメンバーの方には本心を言えなかったんです。

恐怖心を母に話したら、「怖いことを考えたらたくさんあるかもしれないけど、そうなったときのために理事がおるんやで。代表は責任をとる一面もあるけど、その法人の顔になるってことやん。法人の顔になるなら、知愛がふさわしいと思ってるよ」と。

そして、こう続けるんです。「知愛はどう思うの?知愛が代表をやらないなら、私がやるわ」って。そう言われて、「何くそ!ほんならやったるわ!」と思いました(笑)母は、私の性格をよくわかっていたんです。

—— 実際に代表になってみて、変化したことはありますか?

やっぱり共同代表の頃は、周囲の人に甘えていた部分があったなと思います。当時はもちろん一生懸命やっていたけど、今思うとどこか他人事だったかもしれません。それに加えて経験のなさも自覚していたので、なかなか自信を持てなかったんだと思います。

今は、まったく怖くないと言ったら嘘になるけど、楽しさの方が勝っています。「自分がASOVIVA!を背負っているんだ」という責任感と、「私ならきっとなんとかできる」という自信の両方が、楽しさの中に含まれているような感じです。舵取りをしている今の自分が好きなんですよね。

そして、周りの人への感謝の気持ちも大きくなりました。代表を務めるようになってから、こんなに多くの人に助けられてきたのだと感じる場面が増えたんです。

「知愛ちゃん、すごい!」「知愛ちゃん、頑張ってるね!」と言われるたびに、「私がすごいわけでも、私が頑張っているわけでもない」と心から思います。たくさんの人がスクールを愛してくれて、支えてくれているから、子どもたちが元気に楽しく過ごせている。立ち上げメンバーとしてこれまで関わってくれた方も、ずっと応援してくれています。

大切にしているのは、落ち着いて対話を重ねること

—— これまで大変なこともあったと思います。そんなときは、どのような心持ちで課題と向き合ってきたのでしょうか?

人と対話をすることの難しさを感じる場面は何度もありました。大人は、子ども以上に知識や経験がありますし、価値観も定まっていることが多いですよね。だからこそ、衝突してしまうこともあります。

そんなときは、何か思うことがあっても、落ち着いて話せるタイミングで相手に伝えるようにしています。感情的になっても、いいことはないですからね。

—— たしかに、違う価値観を持った大人同士が対話をすることの難しさはありますよね。なぜ、落ち着いて話すことを大切にしようと?

実は、15歳のときに大失敗をしてしまったんです。スクール立ち上げの準備を進めていた時期に出会った教育関係者の方を強い口調で問い詰めてしまったことがありました。

その方は、「スクールに通ってきた子どもたちが社会に出るときはどうするんですか?」という質問を投げかけてくれました。今の私だったらその問いを落ち着いて受け止めることができますが、当時の私は感情的になってしまったんです。

理由は、小学校5年生から学校に行っていない自分に対して、「あなたはこのままどうやって社会に出ていくの?」と責められているように感じてしまったから。

その日の帰り道、その方への申し訳なさと、感情的になってしまった自分が情けない気持ちが混ざり合って大号泣しました。自分の自信のなさから相手を責め立てるなんてダサいなって。

今も対話をする中でいろんな感情が込み上げてくることはありますが、まずは相手の話に耳を傾けること。そして、自分が冷静でいることを大切にしています。

子ども時代の私がほしいと願っていた“居場所”を守り、育て続けたい

—— 子どもたちは、ASOVIVA!で過ごす中でどう変化していると感じますか?

最初は自分の個性を出すことよりも、協調性を大切にして動くような子が多いですね。ここでは自分を出して大丈夫なんだとわかってからは、みんな豹変します(笑)

ただ、「自由」を「なんでも好き勝手にしていい」と思って、自分がやりたいくないことを避ける子もいました。それだと当然、子ども同士が衝突してしまうことも。何度もミーティングを重ねる中で、「自由は結果も引き受けなければいけないこと」「みんなのことも考えないと、自由ではいられないこと」なども学んでいっていると感じます。

—— ASOVIVA!を卒業した子どもたちは、どのような進路を選んでいますか?

今は17歳の子が3人いて、来年の春にASOVIVA!を卒業する予定です。その子たちが私に次ぐ卒業生になります。建築やマッサージ、お菓子作りなどそれぞれ関心ごとがあるので、それを学べる学校に行ったり、働く道を選んだりと自分の進路を決めています。

—— 今年4月に、ASOVIVA!は開校4周年を迎えましたね。なにがここまで続けてこられた原動力になっているのでしょうか。

まずは「楽しいからやっている」というのが一番です。やってあげたいというより、私がやりたい気持ちが強いですね。それが、結果としてみんなのためにもなってくれていたら嬉しいなと思ってやっています。

もう一つは、ASOVIVA!に来ている子たちを裏切りたくないんです。子どもたちがいつでも帰って来れる場所として運営し続けて、いつ戻ってきても「おかえり」と言ってあげたい。そして、自分にも子どもたちにも、誇れるような大人でありたい。

ASOVIVA!がなくなることで子どもたちを悲しませたり、「結局、大人は自分たちを見捨てるんだ…」と失望させたくないんです。ASOVIVA!のような場所があることは、子ども時代の私自身の願いでもあったのかもしれません。

—— これから、ASOVIVA!をどんな場所にしていきたいですか。

子どもだけに必要な場所にはしたくないと思っていて。地域の人が遊びに来たり、散歩がてら入ってきたり。いろんな人が出入りすることで、みんなが助け合える場所になっていくといいなと思っています。学ぶことや働くこと、暮らすことがごちゃ混ぜになる中で、大人も子どもも「これがいい」と思うものを選び取っていけるといい

そのための一歩として、今年4月にASOVIVA!から徒歩5分ほどの場所に、コミュニティスペース「くつろぎ自由研究室」をオープンしました。子どもたちや地域の方の力を借りて半年以上かけて改装し、今はカフェを開いたり、地域の子どもたちが宿題をしに来たりしています。

—— 知愛さん自身の次のステップとしては、どのようなことを考えていますか?

発達心理学を学びたいなと思っていて、大学に進学することも視野に入れています。今まで自分の経験や感覚を頼りに一人ひとりの子どもと向き合ってきたけど、もう少し理論に基づいた見立てができるようになりたいと思っているんです。

そして、将来的には仲間と一緒に村をつくりたいなと。半分自給自足のような生活をして、その村の人だけではなく、いろんな人が行き来するような場所にしたいと思っています。そのために、今は人とのつながりをつくることも意識しています。

—— ASOVIVA!でやってきた活動が、さらに発展してくような感じがしますね。最後に、これからの自分に期待することを教えてください。

少しずつ経験を積んでいくと、これまでだったら「簡単にできるでしょ!」と思えていたことが怖くなってしまったり、リスクを考えすぎてしまっていると感じることがあります。その度に、「あぁ大人になってきちゃったな…」と思ったり(笑)

恐れに支配されずに、楽しいことやワクワクすることに挑んでいけるエネルギーを持ち続けたい。これからも周りの人を大切にしつつ、怖がらずに飛び込んでほしいですね。

—— 知愛さん、ありがとうございました!

長村 知愛
2003年生まれ、大阪出身の20歳。11歳で学校に行かない選択をし、母とともに居場所づくり活動を始める。15歳の春にNPO法人ASOVIVAを設立し、代表理事に就任。現在は大阪の河南町にて、築100年の古民家を使って不登校の子供たちが社会的な自立へと向かうためのスクール、デモクラティックスクールASOVIVA!を運営している。


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