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絵を描かないアートスクールで、自分を知る。他者を知る。【神戸六甲】

絵を描かないアートスクールがあるんだけど、行ってみない?

そう知人に誘われて、神戸市灘区にあるアートスクールにお邪魔してきました。

“アート”と聞くと、筆やクレヨン、色鉛筆など何かしらの筆記具を持って絵を描くことを想像します。ところがこのアートスクールでは、名前の通り、絵を描かない。

では、一体何をするの?

そんな疑問を持ったまま、当日を迎えました。

場所は、阪急六甲駅から1分ほど歩いたところにある小さなビルの一室。中に入ると、広々とした空間の手前にふかふかのクッション。そして、奥には大きなシンボルツリーが。周りにはさまざまな書籍や作品が並んでいます。

コワーキング・ラボ =コイネー」より


出迎えてくれたのは、アートスクール「コイネー」代表の中村征士さん。通称、パパンダさん。22年間、電通に勤めたのちに独立しアートスクールを設立されたという、まさにアート&デザインのスペシャリストです。

その日、アートのワークショップに参加したのは大人5人。

最初は1枚1枚に性格や特性を表す言葉が書かれたカードを使って、自己紹介。それぞれが自分を表すカードを1〜3枚選んで、なぜそのカードを選んだのかを話していきます。

私が選んだのは、「深く考える」と書かれたカード。普段から日記を書いたり自分の気持ちや思考に目を向けることが好きなので、このカードを選びました。

パパンダさんのブログより

自己紹介が終わると、いよいよ絵を描かないアートの始まりです。

絵を描かないと聞いて、「じゃあ何かを創るのかな?」と思っていたのですが、これも違いました。最初から最後まで、モノを創作することはありませんでした。

使ったのは、言葉。

この記事では、ワークショップで行った2つのゲームのうちの1つをご紹介します。ちなみに、ゲームといっても勝ち負けはありません。

対話しながら1つの作品を鑑賞する

大きな画面に映し出された1枚の絵。

深い青色の空に輝く月といくつかの星。中央にはライオンのような動物と横たわった女性が描かれています。私にとっては、初めて見る絵でした。

パパンダさんはこの絵についての情報は何も伝えず、私たちに「この作品の中で、どんなことが起きているでしょうか?」と言います。

よーく見て、私が思ったのは「どんな気候なんだろう?」というところ。動物の立て髪がなびいているように見えたので少し風が吹いているようだけど、女性の髪の毛や服はその風を感じていないみたい。暖かい気候で、少し涼しげな風が吹いているのかな?と思いきや、遠くに描かれた山な白くて、雪山のようにも見える。一体、どんな気候で、どんな場所なのだろう?

そんなことを考えていました。他の方の気づきを聞くことでも、さらにいろんなことを感じ、考えます。

「女性が、ライオンに食べられそう」
「月が笑っているみたい」
「旅の途中?」
「持ち物が多いけど、どうやって運んだんだろう?」
「女性の左手がないように見える」 
などなど

いろんな気づきが飛び交う中で、自分とは全く違う視点で絵を見ている人がいることにも驚きます。

それぞれの意見に対して、パパンダさんは、「どんなところからそう思いましたか?」と、さらに作品をじっと見たくなる問いを投げかけてくれました。


そんな対話の時間を十分にとった後に、パパンダさんからこの絵についての解説が。どうやら、アンリ・ルソーの絵画作品『眠るジプシー女』だったそう。

マンドリンを弾きながら放浪する黒人女が傍らに壷を置き、疲れ果てて深い眠りについている。1匹のライオンがさまよって来て彼女を見つけるが、食い付かない。月明かりの効果でとても詩的な雰囲気になっている。そしてこの情景はまったく不毛な砂漠で起きているのだ。ジプシーは中近東風の衣装を身に着けている。

Wikipedia」より

ワークショップに参加した感想

普段、絵画を目にする場面は何かの本や美術館であったりします。そこでは絵をじっくり見るよりも、なぜか絵画のタイトルや描かれた年代、作家の名前や解説に目が向いていたような気がします。

今回のように何も情報がない中で、ここまで1枚の絵をじっくり見て、さらに感じたことを他者と共有したのは初めてでした。これを「対話型鑑賞」と言うそう。


年齢を重ねるにつれて、論理的であることや効率的であることが重視される場面が増えてきたと思います。それらは大切なことではあるけれど、自分の生きている世界がそればかりで埋め尽くされてしまうと、どこか窮屈さを感じるようになります。

対話型鑑賞は、正解や不正解に関係なく、ただ自分の感じたままを共有できる場所です。実際に私たちが発言するときに、パパンダさんは「正解はないので、感じたことを自由に言ってみてください」と繰り返し伝えてくれていました。

自分の意見は正しいだろうか?
何か的外れなことを言っていないだろうか?
つまらない意見だと思われないだろうか?

そんなことは一切考えることなく、自由に発言できることの豊かさを感じる時間。それと同時に、他者との違いを感じる時間でもありました。

たった1枚の同じ絵であっても、その見え方や感じ方は違う。

誰かの発言を聞いて、「私も同じことを感じたな」と思うこともあれば、「そこには全く気づかなかった」「私は違う見方をしたな」と思うこともありました。

私たち一人ひとりは、違う人間である。そうだと分かっていても、日常生活の中で見える他者との違いを受け入れられなくて、時に対立してしまったり、自分を責めてしまうことがあります。けれど、正解のない対話型鑑賞であれば、違いを感じたときに対立することはまずありませんし、1人だけ違う気づきを言っても「自分がおかしいんじゃないか」と感じることもありません。

私たちが生きる世界でも、他者と同じもの見ている場面は多くあります。でもきっと、見え方や感じ方は見ている人の数だけある。それをアートを通じて体験できることで、暮らしの中でも、自分や他者に少し優しくなれるような気がしました。


パパンダさんの著書『子どもがやりたいことを100%受け止めて、創造性や個性を伸ばすアート教育入門』には、こんなことが書かれていました。

あらゆる世代が混ざっているのが、社会の姿ですよね。社会に出れば、ちょっと頼りない年長者がいて、自分より決断力や行動力がある若い人がいます。そこが面白いのです。だから、私は老若男女が入り乱れてアートを媒介にコミュニケーションが起こる場を、街のあちこちにつくるのが夢なのです。



絵を描かないアートスクール「コイネー」には、大人でも子どもでも参加できます。詳しくは、こちらのホームページをご覧ください。


最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。