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『フランチェスコ・トッティ自伝「キャプテン魂」』

『フランチェスコ・トッティ自伝「キャプテン魂」』トッティ、コンドー著、沖山ナオミ訳、東邦出版

 ASローマが優勝した00/01シーズン当時、セリエAは間違いなく世界最高のリーグでした。悲願だった98年のフランスワールドカップ出場から02年の日韓W杯を控え、日本でも欧州サッカーブームが巻き起こっていた中でしたんで、眠い目をこすりながら一生懸命スカパーで見ていましたよ。

 その中でもトッティはイタリアだけでなく欧州全体でも最も人気と実力を兼ね備えた選手で、日本のヒーローだった中田英寿の同僚にして、同じポジションを争うライバルでした。週明けのスポーツ紙は中田が得点したら一面でしたし、カペッロが毎回、日本人メディアから「なんで中田が先発じゃないんですか」という質問にうんざり答えているような熱気がありました。04年のユーロ直前には『トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話』なんて本までも翻訳、出版されたほど(ちなみに訳者はその本も訳しています)。そんなトッティの自伝が出たので、本当に様々なことを思いだしながら一気読みしてしまいました。

 莫大な本の収益をバチカン市国の幼子イエス病院に寄付するというのをガゼッタあたりで読んだ時もトッティらしいと感じましたが、自分の育った街のクラブでリーグ優勝し、ワールドカップでも勝ち、そのクラブでキャリアを終えるという、選手たちがセレブになりすぎた現在、これからはあまり出ない選手なんだろうな、と。自分を笑い者にできる大らかさと、シャイな感じ、いささか古い考えが同居している感じも自然でいい。しかし、多少古い考え方でも頑なじゃないからメディア出身の奥さんが仕事を続けることも許すんだな、とか。

 中田がプレミアに去り、ユーヴェがスキャンダルで二部に落ちた後は、個人的にセリエAへの興味は薄くなり、スパレッティのゼロトップぐらいの時にはローマの試合を少し見たけど、トッティは本当に長い間やってたんだな、とも思いました。その後のリーガ二強時代、プレミアへのアジア資本充実、セリエAの衰弱とアメリカ資本の進出などの欧州サッカー現代史も学べました。

 トッティはアメリカ人にとってのジョー・ディマジオ、日本の長嶋みたいな存在なのかもしれませんね。トッティにはまだ、カネまみれになっていない幸せな感じも少しは残っていて、選手がそれほどセレブでもなかった良き時代の象徴なのかも。ファンの目にはいつも知り合いの少年のように見えるというか。

 とにかく00/01シーズンのセリエAにはユーヴェにデル・ピエロとジダン、インテルにはロナウド、パルマにすらブッフォン、カンナヴァーロ、テュラムがいて、ビッグチーム同士の対戦はW杯やユーロ並みの豪華さ。トッティの優勝回数は1回だけど、最高の選手たちが集まった中でのスクデット獲得は価値が高いのですが、日本のサッカーファンにとってもユベントスとの直接対決で0-2と負けていた中で中田英寿がみせた1ゴール1アシストの活躍は忘れられません。テレビで何回も「よっしゃぁ」と叫ぶ中田のバストショットのスローモーションが流れましたっけ。

 中田の活躍はトッティとの交代。キャプテンだった本人は不満だったでしょうが《これまで数多くの"奇跡の交代劇"があったが、この中田との交代は記憶する限りでは最も驚くべきものだった。79分、ヒデはゴール上部隅に見事なミドルシュートを決めたんだ。ローマは蘇った》と素直に礼賛するのがトッティらしい(p.127)。

 そしてホームでの優勝。終了前からファンがピッチに乱入して芝生を持ち去り、選手のユニフォームを引きちぎる騒ぎも《幸せは足し算するものではない》とあくまでファン思い(p.144)。ティフォージの過剰な愛情に接するたびに困惑するトッティですが、そういう時にも「彼らの愛に報いることができたのか」と自問する姿勢は凄い。優勝後のロッカールームで中田がみせた常人には理解しがたい行動は初めて読みました。ぜひ、本を手に取って確かめてみてください。

 レアルへの移籍を断ったのは、寂しくなったママンにプライベートジェットを手配するみたいなことはやりたくない、というのも印象的。練習の送り迎えでクルマを運転しながら勉強を教えてくれた母に、そんなセレブっぽいことはできない、というのはジーンときました(ライターが記者出身なので、淡々と書きすぎていて、そこは泣かし所だろと思ったけどw)。

 トッティは幸福な中流家庭で両親とも健在の中で育ち、まっとうな躾を受けていたから愛されたのかな、と。苛烈な育ち方したカッサーノとの比較をもってきたのは意図的じゃないかもしれないけど、両者の対比も見事。カッサーノは、その性格故に「実力の30%しかみせることができなかった」というのは実感なんだろうな。ズラタンとバロテッリは同じ代理人なんだから口を慎めぐらい教えたらいいのにみたいなのところも笑えました。

 試合描写など冗長な部分も感じましたが、それでも「あの時代」を思い出しました。『トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話』が実は描いていたのは、英語の侵食であり、EUという屋上屋の行政組織に対する居心地の悪さであり、南北格差だと今でも思うのですが、ついにASローマもセンシ一族からアメリカ資本に渡り、トッティはクラブから追い出されてしまいました。だから、この本はまだ、ヨーロッパのサッカーにおカネだけではない本当の「夢」があった頃の記憶の断片なのかもしれません。

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