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「他人が引いた線を、訳もわからずなぞってはいけません。」

 これは30年以上も前、幼稚園に勤めて1年目の新人だった時に、園長先生から言われた言葉です。

 秋になると運動会のリレーを練習をするため、幼稚園の庭が小さなトラックに早変わりしました。何も目印のないところに、毎朝先輩たちがラインカーでコースの白線を引くのです。

 ところがある朝、取り込み中の先輩に「ちょっと引いといて」とラインカーを渡されてしまったことがありました。

 引いといてと言われてもやったことがなく、どう白線を引いたら良いかわかりません。その上、前日の雨でいつもの線は消えかかっていたのです。仕方なくまだらな線を目で追い、たどたどしくラインカーでなぞってなんとか1周引き終わった時のこと。

「ちょっと、こっちにいらっしゃい!」
園長先生の声が降ってきました。

 園長先生は当時75歳。明治生まれの先生は、小柄なおばあちゃんなのにまるで武道の達人のごとく眼光鋭い方でした。

「うわーっ、叱られる」
心の中でゲンナリしながら駆け寄ると、園長先生はそのまま私を連れて園舎の2階に上がっていきました。

 2階の窓からは私が描いた白線が丸見え。俯瞰で見た自分の線は本当にガタガタでした。

「理屈がわかって線を引いていますか?」

 言い訳は一切通らない方なので、「いいえ、わからないです。すみません。」としか言えませんでした。
 すると、「ついてらっしゃい。」とスタスタと庭に出て、ラインの基本レクチャーが始まったのです。

 中心になる軸をどこに置き、そこから縦何メートル横何メートル、走るコースとなる内周は半径何メートル、外周の半径は…。具体的な数字とともに、
「直線を引く時は視線を遠く、曲線を引く時は手の力を抜いて押し出せば自然なカーブが描ける」とラインカーを扱うコツまで教えられました。

 ラインカーを持った私の後ろに、竹ぼうきを持った園長先生が仁王立ち。線が曲がっている、と何度も竹ぼうきで消されてやり直し。
 登園中の子どもたちもお母さんたちも、そして先輩たちも、私たちを遠巻きに見て一切声をかけてきません。というより皆近寄ろうともしませんでした。
きっと鬼気迫る雰囲気だったのでしょうね。描いては消され、描いては消され。長い長い1時間でした。

 ようやく、なんとかきれいな線を一人で引けるようになった時、園長先生が片手を腰に当て、もう片方の手で眼鏡のつるを持ち上げ、ぐるりと庭を見渡すと満足そうにうなづいてくれました。

「他人が引いた線を、訳もわからずなぞってはいけません。
自分が理屈をわかってやるものが人と同じなら、それはそれで良いけれど、他の人がやっているからと言って闇雲にマネをしてはダメ。
これは人が生きる道も同じ。
自分の人生は自分で線を引かなきゃダメなのよ。」

そう言って小さくウインクすると、園長先生はスタスタとどこかへ行ってしまいました。

 あれから長い年月がたちましたが、私は今でも白線引きが得意です。そしてラインカーを手にすると園長先生の言葉を思い出すのです。

 その園長先生は100歳を迎えるまで長生きされ、東日本大震災が起きたあの日から2週間後に亡くなられました。ニュースを見て心を痛めていた先生は、亡くなる前に周りの方に、

「閻魔さまに日本のことを頼んでくるよ」

とおっしゃったそうです。

かなわないなー。
自分には絶対言えない一言をさらりとおっしゃる園長先生。
ラインカーを見るたびに、せめて自分の道は自分で引ける人間であろうと思う日々です。



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