自#971「源氏物語の現代語訳は、何種類も出てますが、正直言って、意味ないです。谷崎潤一郎は、自分自身の古典の勉強のために、源氏物語の現代語訳を拵えたんだろうと想像しています」

           「たかやん自由ノート971」

 AI翻訳の記事を、新聞で見ました。ドイツ発のDeepLが、AI翻訳のパイオニアのようです。DeepLの本社は、ライン川の岸辺ので威容を誇るケルン大聖堂から、さほど遠くない場所にあります。
 DeepLは、2023年7月現在、31言語に対応しています。翻訳したい文章に、スマホをかざせば、書かれている文字は、瞬時に別の言語に切り替わります。
 滋賀県県立高校の英語教師のTさんは、生徒の作文の宿題に、まだ教えない単語やフレーズが並んでいるのを見て、「あら、こんな用語知ってるの?」と、大袈裟に驚いてみせます。そうすると、AI翻訳を使用した生徒たちは、バツの悪そうな様子を見せます。が、実はこれは5年前の話しです。5年くらい前には、もう普通にAIは翻訳できていたんです。5年後の今のレベルは、より一層、高みに到達していて、もう、人間には、語学は必要ないという地点に到達していると想像できます。
 AI翻訳は、現在、「ニューラル機械翻訳」を使用しています。これは、原文を数値に変換して、それに近い数字の単語やフレーズを計算して選び出し、それを訳文に変換します。
 ドイツ語から英語、あるいは英語からフランス語などへは、スムーズに翻訳できる筈です。もともと、インドヨーロッパ語族は、同じ言葉、同じ文法で、コミュニケーションをしていましたから、これは当然です。日本語のような、系統不明の言語から、英語への翻訳などは、それなりにハードルが高いと想像できますが、それでも、現在、TOEICだと960点レベルだそうです。受験勉強を必死にやって、早慶に合格した学生だって、特訓をしない限りTOEICは、600点台止まりです。大学生が、いきなりTOEIC 960点を超えたら「神」です。その神業を、現在、AI翻訳の無料のアプリは、易々と成し遂げているわけです。
 AI翻訳の記事を読むと、必ずどこかに「じゃあ、もう語学学習は不要か?」みたいな疑義が発せられて、「いや、AI翻訳は電卓と同じで、電卓を使いこなすためには、数学の知識と理解が必要」と、おざなりな説明が掲載されています。チャットGPTなら、こんなおざなりな文章は書かない筈です。「人間が考えたり、計算したり、語学を学んだりすることは、必要で大切なことだ」と云うアンシャンレジームな、思考のパラダイムが、ジャーナリズムやマスコミの人たちの頭の中には、化石のように、確固たるポジションを得ていると想像できます。
 面倒な計算はしたくない、手間ヒマがかかる語学学習をスルーしたい、レポートや論文を書くのは大変だから丸投げしたい、そういう人間の欲望が、AIをここまで、大発展させて来たんです。
 AI翻訳を使いこなすためには、充分な英語力が必要だという主張も、無論、ガセです。ビジネス系の文章であれば、言葉の綾とか、存在してないので、AI翻訳で、過不足なく伝わる筈です。
 私が難しいだろうと感じるのは、源氏物語や枕草子のような古典や、あるいは泉鏡花とか谷崎潤一郎とかの書いた名文の小説を翻訳する場合です。音の響きや、言葉と言葉の組み合わせとかが、醸し出す雰囲気というものが、古典や名文にはあります。意味だけを伝えても、真意は伝わりません。これはおそらく、唐詩などの場合も同じです。音楽的な効果を持つ、文学作品(俳句や短歌、浄瑠璃や歌舞伎など)の場合、AI翻訳は、さして意味を持たないんです。
 が、文科省は、高校の国語の必修から、文学を外しました。取り説とかマニュアルのような文章でしたら、AIの方が、より的確に処理できます。
 私は毎日、源氏物語を読んでいます。これまでに7回読んで、現在、8回目です。1回目は、読んでいて、意味の解らない箇所は、脚注を見たり、玉の小櫛のような注釈書を参照していました(大学生の時、須磨まで一度読みました。その時は、谷崎潤一郎の現代語訳を参考にしていました)。2回目からは、意味は少々解らなくても、取り敢えず、声を出して読めれば、それでいいかなという、かなりtake it easyなスタイルにchangeさせました。で、源氏物語を、現代語に訳すことは、まったく無意味だと悟りました。現代語にすると、古文が古文ではなくなってしまいます。俳句や短歌の意味を、いくら厳密に突き詰めて、それを文章のスタイルで書き現しても、それは、俳句や短歌とは似ても似つかない別種のものです。古文は、何回も繰り返し読んでいたら、たとえ意味は解らなくても、雰囲気や気配、ムードは解るようになります。論語や孟子の場合も多分同じです(私は孟子は読んでませんが、基本、論語と同じ筈です)。
 私は、洋楽のCDをそれなりの枚数、持っています(1500枚以上はあります)。輸入盤は買わないので、だいたい英文の歌詞がついています。英語が耳で聞き取れない私には、英語の歌詞は必須です。日本語の翻訳がついている場合もありますが、日本語の翻訳は見ません。日本語の翻訳は、どこかしら間違っています。日本語の翻訳を見るということが、そもそも間違いだと言えます。音楽を聞きながら、同時に英語の歌詞を見れば、それで充分です。意味は、9割5分くらい解ります。TOEIC 950点超えくらいのレベルで、解るんです。音楽ですから、当然かもしれません。
dream come trueなんて、ジャズ系でもポップス系でも、しょっちゅう登場するフレーズです。このフレーズのニュアンスは、曲によって違います。dreamでいったん止めて、区切り、その後、come trueと流す場合と、dream come trueと、さらっと一言でいう場合とでは、雰囲気はまるで違って来ます。
 私は、洋楽を半世紀以上、聞き続けて来ましたが、歌詞を日本語に翻訳することは、まったく何の意味もないと確信しています。英語は、翻訳すべきものではなく、英語のまま、理解すべきなんです。
 翻訳機というのは、まったくもって、不要不急の無用の長物だと私は、思っています。AI翻訳の文化が、これだけ盛りあがっているのは、つまり、ビジネス上の都合だろうと、勝手に想像しています。

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