西森さん

高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大…

西森さん

高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大学受験エッセイ「受験ノート」を掲載します。他にもジャンルを絞らずエッセイ書きます。多くの人に読んでいただければ幸いです。[発言は個人のもので所属する組織の意見ではありません]

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創#728「若い頃、写真を見る機会は、結構、ありました。それでも、自分が撮りたいという気持ちは、起こりませんでした。歳を取って、記憶力が落ちたので、写真を取っておけば、便利だと理解していますが、うーん、今さらねって、気はやっぱりします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー473」 「片山くんは、要領良く勉強できるタイプなんだろうな。政経学部は、勉強の要領が良くないと、なかなか合格できない」と、Yが断定するように言った。 「確かに、無駄なことはせず、最小限度のエネルギーと時間を使って、目的に到達するというスキルは、心得ているかもしれない。自分もレポートは、要領良く書ける。まあしかし、それは、翻訳小説を沢山読んだからだと思ってる」と、私はYに返事をした。 「翻訳小説は文学で、レポートは社会科学系の文

    • 創#727「冬の長門峡に、厳冬の二月に行ったことがあります。観光客は皆無で、夕方遅くまで、一人で、薄墨色に暮れて行く景色を眺めていました」

            「降誕祭の夜のカンパリソーダー472」  バスは、合宿をするホテルの前に到着した。私は、バスから下車し、ホテルのロビーに向かった。ロビーにサークルの副幹事長がいて、合宿の栞を渡してくれた。到着したのは、お昼過ぎくらいだったが、夕方のミーティングまでは、自由に過ごしていいと言われた。指定された312号室に入ると、テナーとバスの合同コンパの余興で、三好達治の「艸千里浜」を暗唱したYくんがいた。彼は、窓際のソファー椅子に座っていた。私は荷物を、部屋の隅に置いて、Yくん

      • 創#726「三島由紀夫の最後の大作は『豊饒の海』です。出版されて、すぐに読みました。あれだけの分量を書けば、輪廻転生が信じられるようになるんじゃないかと、思いました」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー471」  私は漱石の作品は、中学時代に、小説はすべて読破していた。漱石の小説には、高等遊民と呼ばれる、働かなくても暮らして行けるブルジョワの息子たちが登場する。漱石自身は、高等遊民ではなかった。働かないと、食って行けなかった。不惑で、学校の教師の仕事を辞めて、プロの小説家になった。40歳で小説家にトラバーユして、結果を残せたのは、漱石にすぐれた天分が備わっていたからだと言える。将来、小説家になるためには、少なくとも、大学生く

        • 創#725「手紙を書く場合、一週間くらいは、毎日、相手のことを考え、その考えが、ある程度、発酵し、おもむろにペンを取って、原稿用紙に下書きをするという書き方が、理想的です。が、現実は、思いついた時に、saku sakuっと書いて、それで済ませてしまっています」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー470」  三好達治が発哺温泉で詠んだ、第一首目の短歌は「白き馬郵便物をのせてきぬ燕むらがる山の湯の宿」。三好が、この短歌を詠んだのは、昭和の初め。昭和の初めにも、電話は無論、存在していたが、設置費用も利用料金も高額で、庶民が気軽に使用できるコミュニケーションのツールではなかった。  私の故郷の漁村では、戦争前、電話を設置していたのは、村の役場だけだった。特攻隊に志願して、入隊し、知覧で出撃を待っていた伯父に、出撃の命令が下ったの

        創#728「若い頃、写真を見る機会は、結構、ありました。それでも、自分が撮りたいという気持ちは、起こりませんでした。歳を取って、記憶力が落ちたので、写真を取っておけば、便利だと理解していますが、うーん、今さらねって、気はやっぱりします」

        • 創#727「冬の長門峡に、厳冬の二月に行ったことがあります。観光客は皆無で、夕方遅くまで、一人で、薄墨色に暮れて行く景色を眺めていました」

        • 創#726「三島由紀夫の最後の大作は『豊饒の海』です。出版されて、すぐに読みました。あれだけの分量を書けば、輪廻転生が信じられるようになるんじゃないかと、思いました」

        • 創#725「手紙を書く場合、一週間くらいは、毎日、相手のことを考え、その考えが、ある程度、発酵し、おもむろにペンを取って、原稿用紙に下書きをするという書き方が、理想的です。が、現実は、思いついた時に、saku sakuっと書いて、それで済ませてしまっています」

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        記事

          美#148「団塊の世代が、全員75歳以上になりました。団塊の世代の動きで、世の中は、結構、変化しました。今後も変化するのか、or notなのか、多少は興味があります」

                      「アートノート148」  星に一輪だけ、赤い花が咲いている。惑星から少し離れた位置に見える満月と、オーバーラップしている。茎の部分に、quatre epines、4つのトゲがあるので、星の王子さまが大切にケアしていた薔薇だと推測できる。富士には、月見草が似合うのかもしれないが、薔薇は、借景が満月であっても、見劣りしない。この薔薇を、王子さまは、見捨てて、今、地球にやって来ている。何もかもが、終わってしまってから、本当に大切だったと気がつくのは、別段、

          美#148「団塊の世代が、全員75歳以上になりました。団塊の世代の動きで、世の中は、結構、変化しました。今後も変化するのか、or notなのか、多少は興味があります」

          創#724「中学校の修学旅行で、バスガイドさんが、三好達治の『艸千里浜』を朗読してくれて、その後、三好達治の詩に親しむようになりました。詩は、文字で読むよりも、朗読で聞いた方が、より心に刺さると想像できます(無論 朗読の技術も必要ですが)」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー469」  バスの窓から、外の景色を見ると、至るところ山ばかりだった。子供時代、山に登って遊んだが、それはせいぜい百メートル前後の山々だった。今、見ている急峻な山と較べると、子供時代に遊んだ野山は、ちょっとした丘ぐらいの高さのものだった。関西方面から、中央本線、小海線、信越本線などを乗り継いで、著名な姨捨山なども眺めながら、ここまでやって来たが、本州の中央部は、故郷の四国とは雰囲気がまったく違うと、はっきりと理解することができた

          創#724「中学校の修学旅行で、バスガイドさんが、三好達治の『艸千里浜』を朗読してくれて、その後、三好達治の詩に親しむようになりました。詩は、文字で読むよりも、朗読で聞いた方が、より心に刺さると想像できます(無論 朗読の技術も必要ですが)」

          創#723「長野の山奥で、ミサ曲のガチ練習とかって、雰囲気に合ってないと懸念していたんですが、合宿は、結構、ゆるい日々で、毎晩、軽く飲んで、夜の山径を歩いたりしてました」

                「降誕祭の夜のカンパリソーダー468」  合宿でミサ曲(ベートーベンCミサ)の練習を開始するので、合宿に参加しないと、12月の定演のステージには立てないと、光次先輩には、言われていた。  当時、ミサ曲のレコードは、持ってなかった。私は、中高時代、キリスト教の寮で生活していた。バロックのレコードは、沢山あったが、ミサ曲のアルバムは一枚も置いてなかった。ミサという言葉は、生活していたキリスト教の寮でも、その頃、通っていた教会でも、使用してなかった。  キリスト教の教

          創#723「長野の山奥で、ミサ曲のガチ練習とかって、雰囲気に合ってないと懸念していたんですが、合宿は、結構、ゆるい日々で、毎晩、軽く飲んで、夜の山径を歩いたりしてました」

          創#722「山に行けば、山の暮らしに惹かれます。海の傍だと、naturalに満足します。山も海も両方あるロケーションがbestですが、残念ながら今は、どっちもありません。誰の人生も、そう思い通りにはならないんです」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー467」  私は関谷くんと、比叡山に登った後、反対側の滋賀県の方に下山し、大津で別れた。関谷くんと別れた後、私はサークルの合宿先の長野に向かった。ポケット版の時刻表を使って、列車を乗り継いで、鈍行列車の中で一泊し、現在は、合宿先に向かうバスの中にいた。大津で、私は日本の山の絵を掲載した、ハンディな画集を購入し、それを眺めながら車中で時間を潰した。  関谷くんとは、最後、ホスピスの話しなどをした。ホスピスや、そう言った方面のボランテ

          創#722「山に行けば、山の暮らしに惹かれます。海の傍だと、naturalに満足します。山も海も両方あるロケーションがbestですが、残念ながら今は、どっちもありません。誰の人生も、そう思い通りにはならないんです」

          創#721「若い頃、形而上学にはまって、延々と考え込んだり、人との話の中でも、形而上学に踏み込んだりしてました。今、考えると、これはエネルギーと時間の無駄遣いでした(もっとも、メンタルはそれなりに強くはなりましたが)」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー466」 「いよいよ、死ぬという死期が迫っている時は、周囲に人がいてくれて、何やかや喋ってくれている方が、気が紛れていいんじゃないかと思いますが」と、関谷くんが言った。 「死期が目の前に迫っている時に、気が紛れるとか、紛れないとか、そんなことは考えないだろう。自分の世界に入ってしまって、外界は消えてしまっているような気がする」と、私が言うと 「だったら、臨終が迫っている時に、家族や親族が集まる意味が、なくなってしまいます。周囲の

          創#721「若い頃、形而上学にはまって、延々と考え込んだり、人との話の中でも、形而上学に踏み込んだりしてました。今、考えると、これはエネルギーと時間の無駄遣いでした(もっとも、メンタルはそれなりに強くはなりましたが)」

          創#720「脳トレの講座を主催されているAさんに、自宅にある絵を見に来ないかと、声をかけてもらったので、出向きました。ギリシアの三美神を和風にしたような絵で、納得しました。人間じゃなくて、この絵が傍にあって、最期を迎えるとかでも、いいんじゃないかとすら思ってしまいました」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー465」 「つまり自分がホスピスのボランティアをやるのは、相当、大変だと圭一さんは懸念しているわけですね」と、関谷くんは確かめるように言った。 「京都だって、人の死は隠されている。オレは、四国や東京の禅寺に、もう5年以上、坐禅をするために通っているが、葬式に出席することを、強要されたことは一度もない。そもそも、派手な葬式がなくなった。結婚式も、やたらと地味になったが、葬式も目立たないように行われている。祖父が死んだのは小6の夏だ

          創#720「脳トレの講座を主催されているAさんに、自宅にある絵を見に来ないかと、声をかけてもらったので、出向きました。ギリシアの三美神を和風にしたような絵で、納得しました。人間じゃなくて、この絵が傍にあって、最期を迎えるとかでも、いいんじゃないかとすら思ってしまいました」

          創#719「一神教のような堅固な宗教心のない、日頃、無宗教だと標榜している日本人が、ホスピスのようなターミナルケアに、本気で向き合うことは、かなり大変なことだと想像しています」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー464」 「末期癌の患者のケアをすることを、ホスピスというらしいんですが、ホスピスのボランティアをしている大学の同級生がいます。今度、一緒に行ってみないかと、誘われています。これって、どうなんでしょう」と、関谷くんが切り出した。 「ホスピスという言葉は知っている。ターミナルケアを実施するということだな。まあしかし、それは、付添婦の自分の母親がやっている仕事と、かなりの部分、被っている。ただ母親には、自分がターミナルケアに関わってい

          創#719「一神教のような堅固な宗教心のない、日頃、無宗教だと標榜している日本人が、ホスピスのようなターミナルケアに、本気で向き合うことは、かなり大変なことだと想像しています」

          美#147「『星の王子さま』は、第二次世界大戦中、ニューヨークで、サンテグジュペリは、執筆してました。戦争で死ぬことを、覚悟して、この童話を書いていたということを、何回か読んで、はっきりと理解しました。同時に、宮沢賢治も、死ぬことを覚悟して、童話を書いていたということも、同時に知りました」

                      「アートノート147」  星の王子さまが暮らしていたl'asteroide B612は、トルコの天文学者が、1909年に発見した。トルコ帽を被って、長いローブを着た天文学者が、レンズ四段の天体望遠鏡を覗いている。椅子は、ドラム椅子のように回転によって、高さを変える仕組みで、そこに腰をかけている。  トルコの天文学者は、B612の発見を、国際天文学会で発表する。看板の形をした黒板に、積分をした数式を書き、図表なども添えて説明したが、服装が赤いトルコ帽で

          美#147「『星の王子さま』は、第二次世界大戦中、ニューヨークで、サンテグジュペリは、執筆してました。戦争で死ぬことを、覚悟して、この童話を書いていたということを、何回か読んで、はっきりと理解しました。同時に、宮沢賢治も、死ぬことを覚悟して、童話を書いていたということも、同時に知りました」

          創#718「子供の頃、魂とか霊魂の気配を、薄々、感じていた筈ですが、大人になると、もうそんなことを考えなくてもいいし、生きて行くことが、子供の頃より、楽になりました。大人になってしまうと、子供の頃の感性は失われてしまいますが、楽に生きて行けるので、まあこれはこれで、自然な現象だという気はします」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー463」 「ウチの先祖の墓は、海に近い小高い丘の上にあります」と、関谷くんが言った。 「富山港じゃなくて、日本海が見える場所に、御先祖様は眠っているということだな」と、私は、場所を確認するような口調で聞き直した。 「そうです。納骨堂を造って、そこに骨を納めるという話は、今のとこ聞いたことがありません」と、関谷くんは、私に伝えた。 「ウチの田舎で、納骨堂を拵えた時は、過疎化はまだ始まってなかった。漁村には、まだ人が沢山いた。沢山い

          創#718「子供の頃、魂とか霊魂の気配を、薄々、感じていた筈ですが、大人になると、もうそんなことを考えなくてもいいし、生きて行くことが、子供の頃より、楽になりました。大人になってしまうと、子供の頃の感性は失われてしまいますが、楽に生きて行けるので、まあこれはこれで、自然な現象だという気はします」

          創#717「私も若い頃は、昼夜逆転の生活をしていました。30代の終わりまでは、しょっちゅうオールナイトで過ごしていました。40代以降、生活リズムを、昼型に固定しました」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー462」 「自分は兄貴もいるし、実家の農業をやるつもりはなかったんですが、もしかしたら、やらざるを得ないかもしれません」と、関谷くんが打ち明けた。 「魚は食わなくても、生きて行けるが、米は必需品だし、そう簡単に農業をやらないという選択肢は、選びにくいだろう。タガは外れてないってことだな。漁師の世界から、逃げ出したオレが、偉そうなことを言う資格もないが、オレが農家の子供なら、きっと農業に専念する。機械化や化学肥料、農薬の問題も、自分

          創#717「私も若い頃は、昼夜逆転の生活をしていました。30代の終わりまでは、しょっちゅうオールナイトで過ごしていました。40代以降、生活リズムを、昼型に固定しました」

          創#716「文化祭で水筒みたいなスピーカーから流れている音楽を、何ヶ所かで、聞きました。スマホでプレイリストを拵えて、流しているんだと想像しています。ブルートゥースを使って流した音楽は、私がエンディングで使用している90'sのソニーのCDデッキの音には、及んでないような気がします」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー461」 「火事は悲劇じゃなくて許せるんですね」と、関谷くんが訊ねた。 「山火事は、小4でも見たから、都合、三回見てる。山火事では、人は死なない。足腰の立たないお年寄りが、山小舎に住んでいたりしたら、危険だが、そういう山小舎は存在しなかった。灌木が燃えて灰になり、それが野性の植物の肥料として使われる。悲劇というよりは、自然だ」と、私が言うと 「都会のマンションは鉄筋コンクリートで、燃えません。木造住宅の建物とかよりは、安全なんじ

          創#716「文化祭で水筒みたいなスピーカーから流れている音楽を、何ヶ所かで、聞きました。スマホでプレイリストを拵えて、流しているんだと想像しています。ブルートゥースを使って流した音楽は、私がエンディングで使用している90'sのソニーのCDデッキの音には、及んでないような気がします」

          創#715「小学校2年の時、学校の校舎が焼けました。学校は、さほど好きじゃなかったんですが、学校が焼け落ちるのは、やっぱり残念でした」

                「降誕祭の夜のカンパリソーダー460」 「火事で学校の校舎が焼けて、その後、どうしたんですか。まさか、青空教室ってことではないと思いますが」と、関谷くんが訊ねた。 「日本のような雨の多い気候だと、屋根のないとこで授業を実施することは不可能だ。雨が降らないとこだと、日差しがきつい。アフリカとかの乾燥したとこでは、夏は屋根の上に寝てたりしてる。屋根と言っても、傾斜はほとんどなくて、フラット造ってある。そういうとこだと、夜、星や月の明かりを頼んで、授業を夜空の下で、実

          創#715「小学校2年の時、学校の校舎が焼けました。学校は、さほど好きじゃなかったんですが、学校が焼け落ちるのは、やっぱり残念でした」