西森さん

高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大…

西森さん

高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大学受験エッセイ「受験ノート」を掲載します。他にもジャンルを絞らずエッセイ書きます。多くの人に読んでいただければ幸いです。[発言は個人のもので所属する組織の意見ではありません]

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創#702「三歳の頃、三ヶ月間、寝たきりで身動きができなかった入院生活が、私を病院嫌いにしたんだと思っています。『三つ子の魂百まで』という俚諺の正しさは、信じられます」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー447」 「今回、帰省して、病院通いをしているお年寄りの人が、どっさりいるという事実を知った」と、私は関谷くんに言った。 「医療保険が整備され、病院が増え、健康に不安がある人は、気軽に医療のサービスが受けられるようになったわけです。それは、いいことなんじゃないですか」と、関谷くんは返事をした。 「歳を取って、沖に出なくなったお年寄りは、昔は、岸壁のベンチに座って、ぼぉーっとしながら海を眺めていた。今は取り敢えず、病院に行って、待合

    • 創#701「文章を書くのは、文章を書くことによって、新たな発見をしたいからです。それは、文章を書く(もちろんペンを使った手書きです)ことによってしか、発見できません。当然ですが、AIに頼る筋合いのものではありません」

              「降誕祭の夜のカンパリソーダー446」 「自分はワープロで、文章は操作してない。文章を更正する場合、いったん紙に印刷してその印刷した紙に朱を入れて、更正している。明朝体の活字の文章は、最後の結果として、プリントアウトされる。明朝体という活字に振り回されているわけではない」と、私は関谷くんに説明した。 「圭一さんから、二回手紙を貰いましたが、つけ入る隙がないほど、正直であっけらかんとしていて、確かに仮面は被ってないような気がします。普通、文章を書くと、もっと気

      • 創#701「インターネットが登場した時、なりすましが急増するだろうと想像しました。自分も一度くらいは、なりすましを、やってみたいという気持ちはありますが、それをやると、アイデンティティに瑕疵ができるので、さすがに、実行はしません」

               「降誕祭の夜のカンパリソーダー445」 「京都と奈良は、先の戦争で焼けてない。もっとも京都だと、先の戦争というのは、つまり応仁の乱のことだが」と、私が言うと 「応仁の乱は聞いたことがあります。その乱の結果、室町将軍の権威は失墜し、戦国時代に突入した筈です」と、関谷くんは、せいいっぱいの日本史の知識を繰り出して説明した。 「応仁の乱は15世紀半ば過ぎくらいだ。落雷とか、火事で家が焼けることはあるが、お寺や神社は、古いものが残っている。空襲で焼けて、その後、拵えた

        • 創#700「太平洋戦争の慰霊碑のようなものを、私は沖縄、広島、長崎以外では、見たことがありません。あの大戦争については、取り敢えず、さて置いて、戦後、驀進して来たので、慰霊碑は見ないのかもと、思ったりもします」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー444」  高校に入学する前の春休みのリンゴ磨きのバイトを、思い出している内に、京阪電車は、いつの間にか、京都に到着していた。私は、河原町四条の駅で下車して、公衆電話から、関谷くんの下宿に、電話をかけ、関谷くんを呼び出してもらった。 「片山だ。四条河原町にいる。角のビアホールの前で、待っている」と、私は関谷くんに伝えた。15分ほど待っていると、関谷くんが、サンダル履き、ジーンズ、Tシャツ姿で、現れた。 「ビアホールで、ビールを飲も

        創#702「三歳の頃、三ヶ月間、寝たきりで身動きができなかった入院生活が、私を病院嫌いにしたんだと思っています。『三つ子の魂百まで』という俚諺の正しさは、信じられます」

        • 創#701「文章を書くのは、文章を書くことによって、新たな発見をしたいからです。それは、文章を書く(もちろんペンを使った手書きです)ことによってしか、発見できません。当然ですが、AIに頼る筋合いのものではありません」

        • 創#701「インターネットが登場した時、なりすましが急増するだろうと想像しました。自分も一度くらいは、なりすましを、やってみたいという気持ちはありますが、それをやると、アイデンティティに瑕疵ができるので、さすがに、実行はしません」

        • 創#700「太平洋戦争の慰霊碑のようなものを、私は沖縄、広島、長崎以外では、見たことがありません。あの大戦争については、取り敢えず、さて置いて、戦後、驀進して来たので、慰霊碑は見ないのかもと、思ったりもします」

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        記事

          美#142「朝日新聞が好きだというわけでは、全然ないんですが、14歳の頃から、今に至るまで、ずっと読み続けて来ました。週刊朝日がなくなっても、別段、困りませんでしたが、朝日新聞がなくなると、情報難民になってしまいそうです」

                     「アートノート142」  朝日新聞社から出ている「世界の名画の旅」①~③を古本屋で買った。昭和の終わりあたりに、日曜版で特集されていた絵画の記事を、まとめてある。  私は中3の5月から、現在に至るまで、朝日新聞のみ欠かさず、ずっと読み続けて来た。朝日新聞の熱心な読者などとは、自分では考えてないが、残念ながら、朝日新聞以外に、読みたいと思える新聞がない。 「世界の名画の旅」の記事も、掲載されていたリアルタイムにすべて読んでいる。掲載されていたのは、198

          美#142「朝日新聞が好きだというわけでは、全然ないんですが、14歳の頃から、今に至るまで、ずっと読み続けて来ました。週刊朝日がなくなっても、別段、困りませんでしたが、朝日新聞がなくなると、情報難民になってしまいそうです」

          創#699「今年は盛夏だったので、ピークの頃、夜、眠る時、3日間、氷水を飲みました。3日連続、翌朝起きると、偏頭痛を起こしていました。氷水を飲むのも、若い頃の楽しみだと思いました」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー443」  H山で遊んでいる子供は、一人もいなかった。3月の下旬で、いたどりとかゼンマイ、わらびなどの山菜を採りに来る子供がいても、おかしくない時期だが、それは、私が小学生くらいまでの時代の話で、私がヤンキーになって野山を離れ、その後、勉強や読書に没頭している間に、子供たちと、野山の自然との関わり方は、大きく変わってしまったと、H山を歩きながら感じていた。  ゆすらうめの実が、大量に地面に落ちて腐っているのを発見した。割合、大き

          創#699「今年は盛夏だったので、ピークの頃、夜、眠る時、3日間、氷水を飲みました。3日連続、翌朝起きると、偏頭痛を起こしていました。氷水を飲むのも、若い頃の楽しみだと思いました」

          創#698「普段は質素な食事をして、時々は、御馳走を食べる、ケとハレの区別のある人生の方が、よりゆたかだっただろうなとは思います(今さら手遅れですが)」

                「降誕祭の夜のカンパリソーダー442」 「芋の蔓のおひたしと、あと水とで、戦後の欠食児童は、何日も過ごしていた。毎日、リンゴ2個食べられて、水もあれば、それは大御馳走だ」と、マスターは、上から目線で言い放った。芋の蔓のおひたしと、水だけで、日々、食生活を賄っていた苦しい子供時代が、マスターには実際に、あったんだろうと想像した。 「リンゴ2個は、仕事が終わって、帰る時に、プレゼントしてくれるんですか?」と、私が聞くと 「それは、そうだ。リンゴ磨きの代償だから、プレ

          創#698「普段は質素な食事をして、時々は、御馳走を食べる、ケとハレの区別のある人生の方が、よりゆたかだっただろうなとは思います(今さら手遅れですが)」

          創#697「毎日、リンゴ2個と、水とで、10日間ぐらい過ごす。まあ、今でも、これくらいのことは、普通にやれそうな気はしています」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー441」  私はYと別れて、京阪電車に乗って、京都に向かっていた。Yは、小5、6の時と、さして変わってないように見えた。考えてみると、自分の中学時代は、疾風怒濤だった。賢くcleverに立ち回ったお陰で、J中の同級生のYやTと違って、少年院にも行かず、無事、中学校を卒業した。  中学校を卒業した段階で、人生はもう大半、終わったと感じていた。Yが、中学校を卒業して、大阪に向かう時、K駅に行って、Yを見送った。Yの表情は、明るいとは

          創#697「毎日、リンゴ2個と、水とで、10日間ぐらい過ごす。まあ、今でも、これくらいのことは、普通にやれそうな気はしています」

          美#141「モディリアニは、生きている間は、作品は評価されず、お金持ちにならないで、36歳で逝去しました。お金持ちになってしまうと、だいたいにおいて、作品のレベルは下がってしまいます」

                     「アートノート141」  モディリアニは、死の前年に、ズボロウスキーの肖像を描いている。瞳は描いてないが、スボロウスキーの精神と魂の高貴さは、隈(くま)なく現されている。スボロウスキーは、モディリアニの作品の価値を、正しく認識し、モディリアニをサポートし続けた画商だった。画商のテオと、ゴッホとの関係になぞらえることもできる。ゴッホも、モディリアニも、生前、その作品は、ほとんど評価されなかった。  モディリアニの死後、彼の作品は、スボロウスキーと、もう一

          美#141「モディリアニは、生きている間は、作品は評価されず、お金持ちにならないで、36歳で逝去しました。お金持ちになってしまうと、だいたいにおいて、作品のレベルは下がってしまいます」

          創#696「本を読む、音楽を聴く、画集を見る、そういう教養的activityが、自分を守ってくれて、青春時代の危機も、乗り切れたと思っています」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー440」 「オレは、今、二十歳で故郷を離れて、大阪で修業をしている。親には、お盆と正月に帰省した時にしか会えない。二十歳になれば、大人なのかもしれないが、大人になったと実感したことはない。いまだに、親に守られている子供だって気がする。ところで、オマエを見ていると、親に守られているという雰囲気は、少しも感じられない。父親はいないとしても、母親に守られているってとこは、まったくないのか?」と、Yは生真面目な口調で訊ねた。 「母親は、

          創#696「本を読む、音楽を聴く、画集を見る、そういう教養的activityが、自分を守ってくれて、青春時代の危機も、乗り切れたと思っています」

          創#695「教え子が、何人か高校時代、回転寿司屋で、寿司を握っていました。高校生のバイトが、寿司を握ることができるというのも、何か、しっくり来ない感じはします」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー439」 「オマエの伯父さんは、予科練に行ってたんだろう。終戦があと二日、延びていたら、特攻機に乗って、敵艦に突っ込んで死んでたという話も聞いた。予科練には、志願して行った筈だ。一体、どういう気持ちで、予科練を志願したのか、圭一はその理由を聞いたことがあるのか?」と、Yが訊ねた。 「聞いたことは、勿論あるよ。周囲の仲間達も予科練を志願した。戦争は始まっているし、自分も何とかしなきゃいけないと考えて、志願したらしい」と、私が言うと

          創#695「教え子が、何人か高校時代、回転寿司屋で、寿司を握っていました。高校生のバイトが、寿司を握ることができるというのも、何か、しっくり来ない感じはします」

          創#438「For Others. 自分のことだけを考えていたら、行き詰まります。自分ができる範囲内で、多少なりとも、他者のために、できることを模索すべきだと思います」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー438」 「オマエの中学校の先輩で、死んだ人は、結構、いるだろう」と、Yが唐突に訊ねた。 「従兄のTもそうだったが、交通事故死が多い。あとシンナーとか覚醒剤、アルコールの過度の摂取によるオーバードーズだな。J中では同級生も死んだ。U湾に橋が架かって、一個下の女の子が二人、飛び降り自殺をした。この飛び降り自殺は、心の病らしい」と、私はYに教えた。 「心の病で、飛び降りるのか?」と、Yは驚いたように言った。 「そもそも、心の病という

          創#438「For Others. 自分のことだけを考えていたら、行き詰まります。自分ができる範囲内で、多少なりとも、他者のために、できることを模索すべきだと思います」

          創#693「ダージリンだって、農園が500メートル離れているだけで、セカンドフラッシュのリーフの味は、違っています。紅茶も珈琲も、極めるべきことは、どっさりありますが、それだけで、人生が終わっていいかどうかは、やっぱり考えてしまいます」

                   「降誕祭の夜のカンパリソーダー437」 「飲んで道路に倒れているのに、誰も声を掛けてくれないのか?」と、Yは驚いたような口調で聞き返した。 「歳を取った人は、結構、親切だから、声を掛ける。とくに、お年寄りの女性は親切だ。親切じゃないのは、我々、若者の方だ。オマエだって、公設市場に買い物に行って来いと親方に頼まれて、途中で人が倒れていたとして、そこで立ち止まって、行き倒れの人の面倒を見てやって、時間を浪費したりすることは、できないんじゃないか?」と、私が聞き

          創#693「ダージリンだって、農園が500メートル離れているだけで、セカンドフラッシュのリーフの味は、違っています。紅茶も珈琲も、極めるべきことは、どっさりありますが、それだけで、人生が終わっていいかどうかは、やっぱり考えてしまいます」

          美#140「台風が来たら、帰りは電車が止まることも覚悟して、上野の美術館に出向くつもりですが、残念ながら、夏休みは、時折、ゲリラ豪雨は襲って来ますが、毎日、晴天です」

                       「アートノート140」  モディリアニは、14歳の時、中学卒業の資格を取得し、リヴォルノの美術学校に入学した。先生のグリエルモ・ミケーリは、風景画家で、モディリアニも風景画を修練した。スタートは、風景画家だったが、17歳の時、肺結核になり、転地療養のために、フィレンツェに行って、フィレンツェの美術学校に入学してからは、風景画は描かなくなった。 その後、モディリアは、パリに行って、メキシコから修業に来ていたディエゴ・リヴェラと、親しく付き合っていたが

          美#140「台風が来たら、帰りは電車が止まることも覚悟して、上野の美術館に出向くつもりですが、残念ながら、夏休みは、時折、ゲリラ豪雨は襲って来ますが、毎日、晴天です」

          創#692「世界中、どこの酒でも、本当はアルコール単体で飲めます。料理と組み合わせないと飲めないと云う文化を作り上げた、フランス料理とワインとが、勝ち抜きchampionという気はします」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー436」 「今、考えると故郷の漁村の魚は、最高に美味だった。漁村の子供で、魚を食わなかったのは、オマエだけだ。F神社の祭礼で、境内に刺身や叩き、バッテラなどの皿鉢(さわち)が並んでいるのに、オマエは、ソーメンしか手を出さなかった。それも、出汁を使わず、水にひたして食ってた。ソーメンを水で食って、本当に美味いのか」と、Yは子供の頃を回想して言った。 「別に美味じゃない。何か食べなきゃいけないと思って、ソーメンに手を出しただけのこと

          創#692「世界中、どこの酒でも、本当はアルコール単体で飲めます。料理と組み合わせないと飲めないと云う文化を作り上げた、フランス料理とワインとが、勝ち抜きchampionという気はします」

          創#691「20代は、県の財政課に勤務した1年間のみ、とんでもなく仕事をしました(残業は、月に250時間近かったと記憶しています)。20代のあとの9年間は、遊びました。30歳までの若い頃、ある程度、遊んでおくことも大切です」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー435」  電車が大阪駅に到着した。大阪で板前の修業をしている小学校の同級生のYにひと目、会っておこうと思いついた。梅田から、地下鉄に乗って、難波まで行った。Yが修業している日本料理の店の店名と、住所は手帳に控えてあった。お盆で帰省したYには、故郷で会っていた。仕事中だろうから、裏口で顔だけ見て、即座に辞去するつもりだった。  料理屋の裏口は、開いていた。 「Yくんの故郷の友だちです。大阪に来たので、ちょっとだけ顔を見て、挨拶をし

          創#691「20代は、県の財政課に勤務した1年間のみ、とんでもなく仕事をしました(残業は、月に250時間近かったと記憶しています)。20代のあとの9年間は、遊びました。30歳までの若い頃、ある程度、遊んでおくことも大切です」