美#147「『星の王子さま』は、第二次世界大戦中、ニューヨークで、サンテグジュペリは、執筆してました。戦争で死ぬことを、覚悟して、この童話を書いていたということを、何回か読んで、はっきりと理解しました。同時に、宮沢賢治も、死ぬことを覚悟して、童話を書いていたということも、同時に知りました」

            「アートノート147」

 星の王子さまが暮らしていたl'asteroide B612は、トルコの天文学者が、1909年に発見した。トルコ帽を被って、長いローブを着た天文学者が、レンズ四段の天体望遠鏡を覗いている。椅子は、ドラム椅子のように回転によって、高さを変える仕組みで、そこに腰をかけている。
 トルコの天文学者は、B612の発見を、国際天文学会で発表する。看板の形をした黒板に、積分をした数式を書き、図表なども添えて説明したが、服装が赤いトルコ帽で、赤い腰紐、長いローブの民族衣装だった。人は見た目が99パーセント。Mais personne ne l'avait cru a cause de son costume turc. しかしながら、人々は発表者がトルコの民族衣装を着ていたので、信用しなかった。内容の真偽よりも、発表する人の服装の方が大切。金髪、鼻ピアス、スカートがぱっつんぱっつんに短いJKが、教室で正しい答えを教師に告げたとしても、無視されるのと、まあそこは同じ。
 ところで、ケマルアタチュルクは、クーデタを起こして、1920年、アンカラに大国民議会を開設し、新たなトルコを立ち上げた。歴史の勉強が好きだった作者は、このあたりの歴史的事項や経過も踏まえて、物語を書いている。ケマルは、カリフ制を廃止して、政教分離を実現し、文字改革を進めて(アラビア文字を廃止し、新トルコ文字に切り替えた)服装も欧米風のものに改めた。
 天文学者は、三つ揃いの白いスーツに(ズボンの裾と袖口は、ゆったりと広くしてある)赤い蝶ネクタイを締め、数式と図式の順番などは入れ替えて、もう一度、天文学会で発表すると、今回は、tout le monde l'a cru、天文学会にすべての人々が、認めてくれた。
 星の王子さまは、ヒツジがバオバブを食べてくれるかどうか、作者に質問をする。バオバブが成長すると、教会のような巨大な木になってしまう。そうなると、ヒツジはおろか、象でさえ、バオバブを食べることはできないと、作者は、王子さまにレクチャーする。星の王子さまの故郷のB612は、小さな星。その小さな星に象が、複数、暮らすとしたら、象の上に象が乗っかるというスタイルになる。そういう絵を、作者は描いてみたかったんだろうと想像できる。象は9頭(2頭積みが三つ、3頭積みがひとつ)が、バランス良く、B612に載っかっている。
 星の王子さまが、バオバブの若芽を、スコップで、掘り出そうとする絵が描かれている。10cmくらいの小枝になって、初めて、バオバブなのかバラのそれなのか、判別できるらしい。スコップを持つ手とスコップとの関係が、ちょっとヘン。これでは、スコップに力を込められない。
 作者のサクテグジュペリのお父さんは伯爵、お母さんは男爵家の出なので、息子のサンテグジュペリは、ガテン系の肉体労働などは、したことがないと想像できる。ところで、バオバブを放置すると、大変なことになる。バオバブの危険性を、地球の子供たちに知らしめるために、星の王子さまは、バオバブが、惑星を乗っ取ってしまっている絵を懇願したらしい。
 植物のモンスターのようなバオバブが、惑星の三方から、絡みついている。小さく描かれた星の王子さまは、スコップを右手に持っている。もう、スコップを使って掘り出すことはできない。三本のバオバブの大きく広がった葉は緑なので、光合成が行われていると想像できる。惑星の形状も、もう定かではなくなってしまっている。I'asteroid B612というよりも、化け物バオバブ惑星と、名付けたくなる。
 星の王子さまは、椅子に座って、le coucher de soleil、夕日が落ちて行くのを眺めている。私の故郷の知り合いの女性が、36、7歳の頃、人生のどん底の状態だった。彼女は
「夕方、浜に車で、夕日が沈むのを見に行く。もう、楽しみはそれしかない」と、言ってた。海に落ちる夕日は、見応えがある。夕日が海に沈む時、そこらの波が、まるで音楽のようにそこかしこで、オレンジ色のカケラになって、輝く。故郷の知り合いの彼女が、星の王子さまを愛読していたとは、正直、思えない。
 長年、進路部で受験の指導をしていたが、受験勉強が煮詰まってしまったら、夕日がこしらえる空のグラデーションをぼーっと眺めて、まったりするといったセリフは、複数の受験生から聞いたことがある。切なくてメランコリックになった時、le coucher de soleil、夕日を眺めるというのは、all over the worldの普遍的な行動様式なんだろうと、想像できる。
 ところで、星の王子さまは、夕日を眺めているが、前景は、秋草が茂っている。明らかに吾亦紅(われもこう)と思われる花が、三本、大地からひゅーっと伸びている。前田普羅は、「浅間越す人より高し吾亦紅」と詠んだが、サンテグジュペリの故国のune montagneにも、吾亦紅は咲いているんだろうと、勝手に想像した。
 星の王子さまが座っているのは、小さな椅子。le fauteuil (ひじ掛け椅子)とか、le divan(長椅子)とかle canape(ソファ椅子)とかではなく、実に小さなla chaise。この小さな椅子であれば、次々に椅子の位置をズラせて、un jour, j'ai vu le soleil se coucher quarante-quatre fois、一日44回見ることも可能だったと推定できる。
 ちなみに今の時期(秋の初め)だと、私が住んでいるとこから見ると、太陽は、秩父山地のどこかの山の近くに沈んでいる筈だが、勉強不足で、うっすら見えている山が、甲武信ヶ岳なのか、三國山なのか、はたまた雲取り山なのか、さっぱり判らない。リアルの山登りは、20代で四国の山に登って、20代の終わりに卒業していたが、関東山地の山の名前くらいは、せっせと覚えておけば、人生、もっと幅広くゆたかになっていただろうにと、条件法過去のようなことも、少しは思ってしまう。

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