創#728「若い頃、写真を見る機会は、結構、ありました。それでも、自分が撮りたいという気持ちは、起こりませんでした。歳を取って、記憶力が落ちたので、写真を取っておけば、便利だと理解していますが、うーん、今さらねって、気はやっぱりします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー473」

「片山くんは、要領良く勉強できるタイプなんだろうな。政経学部は、勉強の要領が良くないと、なかなか合格できない」と、Yが断定するように言った。
「確かに、無駄なことはせず、最小限度のエネルギーと時間を使って、目的に到達するというスキルは、心得ているかもしれない。自分もレポートは、要領良く書ける。まあしかし、それは、翻訳小説を沢山読んだからだと思ってる」と、私はYに返事をした。
「翻訳小説は文学で、レポートは社会科学系の文章だから、文章の質、スタイルは異なっているだろう。自分は日本の詩や文学は、高校時代に結構、読んだ。だからと言って、レポートが要領良く書けたりはしない。その要領の良さの仕組みを、言葉で説明して欲しい」と、Yは、要望した。
「日本の小説や詩は、感情に動かされて展開して行くってとこがある。外国の小説は、構成がしっかりしている。つまり設計図がある。長編小説だと、小さな設計図を、沢山、組み合わせて、ひとつの物語を拵えている。課題のレポートは、400字詰め原稿用紙10枚くらいだ。そうすると、ごくごく小さな設計図ひとつでいい。レポートには、課題図書が指定さている。その課題図書の関連本を一冊見つけて、課題図書と関連図書のオープニングと、最後のまとめの部分のみ読む。そうすると、課題図書が何を言いたいのか理解できる。課題図書だけでレポートを書くと、先生が用意している模範解答通りのレポートになってしまう。それでも『良』は貰える。どうせ書くなら、『優』を取りたいから、頑張って、関連本を探す。関連の資料を整えるために、地元の国会議員の秘書を訪ねて行って、霞ヶ関のどこかの官庁への紹介状を書いてもらって、資料を集めて来る学生もいる。地元の国会議員の秘書は、大学の学帽を被って出向けば、会ってくれるらしい。『良』でも、単位は取得できるが、ほんの少しの努力で『優』を取っておこうする。これを、あざといと見るのか、要領が良いと考えるのか、そのヘンは、人それぞれの判断だろう。自分も、日比谷図書館には時々、出かける。課題本の関連図書を見つけた時は、やっぱり嬉しい。I did it !!と、言いたくなる。国会図書館で、資料を探す学生もいる。国会図書館は閉架式だ。そういう学生は、図書カードを見た瞬間、内容がある程度、直観できるんだと思う。社会科学系の本を、それなりに、読んでいる学生なら、それは可能だろう。アダムスミスとかヘーゲル、ニーチェやサルトルなどを、高校時代に、読んでる学生がいる。著名な地方の公立高校とか、都立の名門校出身者に、そういう秀才が結構いる。政経学部に入学して、地道に深く勉強している学生が、一定数いるということを知った。それなら、まあこっちは要領良く行くかってことには、やっぱりなるかもしれない。政経学部にいるのは、ごく一部の優秀な学生と、多くの要領の良い学生だ」と、私はYに説明した。
「翻訳小説を読んでたら、文学部に行くのが普通だろう。自分も日本文学を、そこそこ読んでいたから、文学部を受験したが落ちた。学校の先生や親には、どこの学部に行っても同じだと言われた。まあ、確かにそうだなと思うことは、しょっちゅうある。が、レポートを書く時は苦労してる。政経学部のように、要領の良さをきちんと学んでいる学生は、多くない」と、Yはこぼすように言った。
「自分の考えや感情とかは、さて置いて、模範解答を書く訓練をすればいいだけのことだ。所詮、レポートだと割り切ることも大切だ。レポートの組み立てを拵えることは、月9のドラマの展開を読むよりよりも、多分、易しい。自分の高校時代の恩師は、構成ができてなくてもいいから、とにかく書き出してみろと、言ってた。たしかに、原稿用紙10枚分を、勢いで書いてしまえば、構成の設計図は、自ずとでき上がる。いったん10枚書いて、もう一度10枚を書き直せば、申し分のないレポートになる。が、まあそうすると、手間ヒマが二倍になる。どこまで、手間ヒマをかけるのかという冷静な判断も必要だ。まあ、世の中は上手に渡って行けるが、愚直なアーティストにはなれない学部だと言えるのかもしれない」と、私はYに説明した。
「神田の古書街にも、ちょいちょい行ったりしてるのか?」と、Yは私に訊ねた。
「レポートの課題関連の本は、早稲田の古書街で探す。課題本のすぐ隣に、関連本が並んでたりして、探す手間が省ける。日本文学の古本は、早稲田の古書街に、いいものがある。自分は外国のアートが好きだから、神田に出向く。が、だからと言って、画集が買える訳でもない。値段も高いし、たとえリーズナブルな掘り出しものがあっても、アパートの部屋が狭くて、stockしておくspaceがない。全集は買えないが、全集の一冊だけが、はねものとして安く売ってたりする。それは、たまに買ったりしている。伴大納言絵巻だったり、セザンヌの静物集だったり、マティスの切り絵だったりする。まあしかし、アートは、基本、図書館で借りて来て見ている」と私が言うと
「片山は、写真は、見ないのか?」と、Yが訊ねた。畳の上にYのバッグがあって、その傍にカメラが並んでいる。
「絵が好きだが、写真をまったく見ないってこともない。本屋でバイトをしていて、裏の書庫で、『ライフ』とかたまに見ている。が、自分自身がカメラを持ったことはない」と、私が言うと
「インスタントカメラくらいなら、今どき、誰だって持ってる。写真を撮ることが嫌いなのか?」と、Yは単刀直入に訊ねた。
「日本の絵のこととか、詳しくは知らない。が、最近は、写真を見て、風景とか人物とかを描いたりもするらしい。外国のアートでも、ドガやロートレックは、写真を利用していた。が、ルネサンス、バロック時代にカメラは存在してない。日本だって、写真術が伝わったのは、幕末だ。映画と較べると、歴史が浅すぎる」と、私はYに伝えた。

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