創#724「中学校の修学旅行で、バスガイドさんが、三好達治の『艸千里浜』を朗読してくれて、その後、三好達治の詩に親しむようになりました。詩は、文字で読むよりも、朗読で聞いた方が、より心に刺さると想像できます(無論 朗読の技術も必要ですが)」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー469」

 バスの窓から、外の景色を見ると、至るところ山ばかりだった。子供時代、山に登って遊んだが、それはせいぜい百メートル前後の山々だった。今、見ている急峻な山と較べると、子供時代に遊んだ野山は、ちょっとした丘ぐらいの高さのものだった。関西方面から、中央本線、小海線、信越本線などを乗り継いで、著名な姨捨山なども眺めながら、ここまでやって来たが、本州の中央部は、故郷の四国とは雰囲気がまったく違うと、はっきりと理解することができた。そもそも、山の高さのスケールが、まるで違っている。目に見える山々は、自分が子供の頃に見た山々の10倍以上の高さだと判断できた。この山国の子供たちは、千メートル以上の高さの山々に、気軽に入って、パワフルに遊んだりするのだろうかと、素朴な疑問すら抱いた。
 私がずっと暮らしていた四国地方、小6の時、旅行に行った九州地方、そして、列車で上京する際、通過する中国地方、この西日本の大分部の面積を占めている地域の県のすべてが、海に面していた。漁村で生まれ育った私には、海は、太陽や空気と同じレベルで、そこらにあるべきものだった。
 京都から比叡山に登って、滋賀県に出た。滋賀県は海のない県だが、中央部にある琵琶湖が海のようなものだと理解できた。その後、岐阜を通過し、長野に入り、小学生の頃、木曽山脈だと地名を覚えた中央アルプスの傍を通って、赤石山脈(南アルプス)の北をかすめ、長野盆地に辿り着いた。千曲川の川面の景色を、垣間見たりもしたが、常に高い山の壁に挟まれている地形だと、判断できた。
 ミサ曲というのは、人間と神との契約の世界で鳴り響く音楽で、そこには海も山も、入り込む余地はなかった。つまり、自然というものが、完全にさて置かれて、人間の神との二者で、世界のことごとくを創り上げていた。
 自分は海が好きだから、キリスト教の世界に入って行けないのだろうかという風なことも、思ったりした。が、日本で最初にキリスト教が根付いたのは、九州地方で(西海道というべきかもしれないが)九州で人が多く住んでいる地域は、ほとんどすべて海へのアクセスが、容易な場所だった。
 中学の修学旅行で長崎に行った。観光バスは、隠れキリシタンが沢山住んでいたと言われている半島も通過した。バスガイドさんが、「ここの集落は隠れキリシタンが沢山いた所です」などと、説明してくれた。私は、注意深く、ガイドさんの説明を聞いていたが、隠れキリシタンが多く住んでいた地域は、ことごとくすべて海の傍にあった。
 イエズス会が、日本にやって来て布教をし、キリシタンに改宗した人も現れた。が、後に典礼問題で、イエズス会は、弾圧される。このヘンは、世界史の常識的な知識だが、典礼問題のカタがついているとは、正直、私には思えなかった。私が知っているクリスチャンの人の中には、先祖の墓参りをしている人は、枚挙に暇ないほど、沢山いる。現代のクリスチャンにとっても、典礼問題は、ザビエルがやって来た、五百年前と、すこしも変わらず、曖昧なまま、放置されているような気がする。
 聖書には、クジラに呑み込まれ、その後、吐き出されて助かる聖者の話も掲載されている。キリスト教を現す絵文字(?)として、「魚」のイメージを使ったりもしている。ローマ帝国の「ノストラムマーレ」という言葉の語感は、おおらかで、優しくて、母のような海を想像させてくれる。フランス語だと、母(mere)の中に、海(mer)は存在する。母は、カトリックにとっては、かけがえのない偉大な崇敬の対象だと言える。海の方は、しかし聖書を読む限り、どうやら重きは置かれてない。
 海も山も等閑視してしまっているキリスト教のミサ曲を、この山国の奥の民宿で、練習をするとかって、一体、どうなんだろうという、そもそもの疑問は抱いていた。
 合宿先は、三好達治の短歌集「日まわり」の中に、18首も読まれている発哺温泉の近くらしい。私が、最初に読んだ詩集は、キリスト教詩人の八木重吉でも、当時トレンドだった中原中也でも、レモン哀歌や雨ニモマケズが、人口に膾炙していた宮沢賢治でもなく、三好達治だった。
 中2の修学旅行で、阿蘇山の傍をバスは通過した。その時、バスガイドさんが、三好達治の「艸千里」の詩のひとつを朗読してくれた。読んでくれたのは、最も著名な「艸千里浜」。この詩は「われ嘗てこの国を旅せしことあり。昧爽のこの山上に、われ嘗て立ちしことあり」というフレーズで始まる。「環なす外輪山は、今日もかも思出の藍にかげろふ」という箇所は耳に残った。「若き日のわれの希望と二十年の月日と友とわれをおきて、いづちゆきけむ」の箇所が胸に刺さった。
 ガイドさんが、この詩の朗読をしてくれた時、私は14歳だったが、20年の歳月の移りゆきを実感することができた。高2の夏休み、旧訳聖書を読破した時、5、6千年の歳月の移りゆきを実感できたが、それは中2、中3時代のsensible & sensitiveな時代に、せっせと、詩集を読んだお陰だろうと想像している。
 大学のサークルに入ると、この「艸千里浜」を完全に暗記しているYくんという同級生がいた。文学部ではなく、商学部の1年生だった。彼は山口県の出身だったが、やはり修学旅行で、バスガイドさんの朗読を聞いて、三好達治の世界に入って行ったんだろうと、勝手に想像していた。Yくんとはパートが違うので、話したことはなかったが、合宿では、少し喋れるかもしれないと、幾分、期待していた。彼は、もしかしたら、三好達治の発哺温泉の短歌をことごとく暗記しているのかもしれない。私は、三好達治の「花筺」の中の詩のみ、いくつか覚えていたが、短歌は苦手だった。「実は自分も、三好達治が大好きで」といった風な挨拶は、しない方が賢明だろうという風なことも、思ったりした。

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