創#718「子供の頃、魂とか霊魂の気配を、薄々、感じていた筈ですが、大人になると、もうそんなことを考えなくてもいいし、生きて行くことが、子供の頃より、楽になりました。大人になってしまうと、子供の頃の感性は失われてしまいますが、楽に生きて行けるので、まあこれはこれで、自然な現象だという気はします」

        「降誕祭の夜のカンパリソーダー463」

「ウチの先祖の墓は、海に近い小高い丘の上にあります」と、関谷くんが言った。
「富山港じゃなくて、日本海が見える場所に、御先祖様は眠っているということだな」と、私は、場所を確認するような口調で聞き直した。
「そうです。納骨堂を造って、そこに骨を納めるという話は、今のとこ聞いたことがありません」と、関谷くんは、私に伝えた。
「ウチの田舎で、納骨堂を拵えた時は、過疎化はまだ始まってなかった。漁村には、まだ人が沢山いた。沢山いたから、納骨堂を拵える資金だって調達できた。が、その後、過疎化は急激に進展した。有力なファミリーが、いくつか村を出てしまうと、過疎化の流れができてしまった。いったん流れができると、ものごとの変化には、加速度がつく。人が少なくなってしまってからでは、納骨堂は建設できなかった。ちょうどいいタイミングで、納骨堂が建設されたってことだ。が、墓はその土地に密接に結びついたものなので、骨だけを掘り返して、納骨堂に納めても、先祖の霊は、宙に浮いたままの状態になってしまうんじゃないかと、懸念している」と、私が言うと
「そもそも、御先祖の霊というものは、はたして存在するんですか?」と、関谷くんが、訊ねた。
「小さい頃から、墓を掘り返した小6まで、お彼岸とかお盆、故人の忌日には、墓参をしていた。モノ心ついたのが3歳だとして、3歳から12歳まで御先祖様の墓参りをしていたわけだ。軽い浮ついたへらへらした調子とかではなく、真摯で敬虔なスタンスだった。3歳から12歳までの間は、少なくとも御先祖様の霊を信じていた。それから、まあ最低限の科学的知識も身につけ、取り敢えずは、世間を渡って行くのに困らないだけの常識を身につけた。大人の常識ってやつだ。が、この大人の常識は、霊魂が存在するということを、別段、否定しているわけではない。どこかにはいる。宅地造成された元の墓の場所には、もういないだろうが、納骨堂の中にいるとも思えない」と、私は関谷くんに説明した。
「つまり、圭一さんは、霊魂が存在しているということを、認めているわけですね」と、関谷くんが確認するように訊ねた。
「3歳から12歳まで存在すると信じていたものが、突然、消滅したら、不自然だ。霊魂は、どこかにはやっぱり存在していると思ってる」と、私は率直な口調で言った。
「ですが、東京の大学の同級生や、サークルの人に、そんな話をしたら、頭のおかしい、危ない人だと、警戒されてしまうんじゃないですか」と、関谷くんは、危ぶむような口調で言った。
「今、オレたちは、比叡山の頂上付近を目指して、登っている。オレは、四国の田舎の漁村の人間だし、関谷くんは能登の農家の息子だ。今、このシチュエーションで、先祖の墓とか、霊魂のことを話したとしても、別段、違和感は抱かない。東京の原宿のカフェバーや六本木のディスコで『ところで、田舎の墓の霊魂が、今どうなっているのか、オレは、マジ心配で、睡眠障害になっちゃってるんだけど』と、言った風な話しは、さすがにしない。そのヘンは、やっぱりTPOをちゃんと考えている。今、登っている山径には、霊気が存在している。東京のような、徹底的に造り込まれた大都会で、霊気を感じることは、ほぼ不可能だ。霊気とか、スピリッツとか、あるいは神の救いの世界とか、そういう風なことを、東京に住んでいれば、考えなくてもいいし、そんなことを考えていたら、urban lifeは、前に進んで行かない。人の死すら見えないようになってる。東京では、田舎で良く見かけるような、ゴテゴテした霊柩車は走ってない。死んだ場所から、斎場に死体は運んでいるので、死体を運んでいる車にも、たまに遭遇する筈だが、普通のハコバンなので、見分けがつかない」と、私は説明して、そして
「一度、自宅の最寄りの駅で、人身事故に遭遇したがある」と、補足すると
「ジンシンジコって、交通事故のことです?」と、関谷くんが聞き直した。
「大きなくくりで言うと、そういうことだが、走って来る電車に飛び込んで、自死する場合、人身事故という言葉を使う。駅のフォームの端に立っていて、電車が滑り込んで来た瞬間に飛び込んで自殺をする。電車は急には止まれないから、身体は轢かれまくるってことになる。すぐさま、黄色いテープが張られて、現場付近は立ち入り禁止になる。白い布がかけられて、現場検証の係りの人がやって来る。遺体を布に包んで運び出す。その後、水圧の強い水のホースを使って、そこらを洗い流す。その間、利用客は、『いったい、あと何分待てば、運転は再開するんだ』と、いらいらした気持ちで、フォームの離れたとことか、階段で待ってたりする。オレは、現場の近くにいたわけだが、亡くなった人の魂が、いったい何処にいるんだろうかなどと、考えたりはしなかった。東京で、ずっと暮らしていたら、最後は病院で死ぬ。死期が迫った時、自分が死んだ後、魂は故郷の海に勝手に還って行くんだろうかなどとは、多分、考えない。母親が東京の老人病院で、付添婦の仕事をしているので、東京の病院には、何回も足を運んだが、この病院で亡くなった人の魂がどうなってるのかなどと、考えたことは一度もなかった。病院のあの白っぽい景色の中で、お医者さんや看護婦さんや、家族が周囲にいる状態では、魂のことまでは、考えは及ばなさそうだ。死も魂も、取り敢えずはさて置いて、生きて行くのが、東京のway of lifeだ。が、ウチの田舎のお墓のマンションのような納骨堂に、自分の骨が入るとかってのも、何かしっくり来ない。東京のway of lifeも、田舎のそれも、差はないような気がする。それが、仏教が説くところの無差別に通じているのかどうかまでは、さすがに判らないが」と、私は関谷くんに伝えた。

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