創#723「長野の山奥で、ミサ曲のガチ練習とかって、雰囲気に合ってないと懸念していたんですが、合宿は、結構、ゆるい日々で、毎晩、軽く飲んで、夜の山径を歩いたりしてました」

      「降誕祭の夜のカンパリソーダー468」

 合宿でミサ曲(ベートーベンCミサ)の練習を開始するので、合宿に参加しないと、12月の定演のステージには立てないと、光次先輩には、言われていた。
 当時、ミサ曲のレコードは、持ってなかった。私は、中高時代、キリスト教の寮で生活していた。バロックのレコードは、沢山あったが、ミサ曲のアルバムは一枚も置いてなかった。ミサという言葉は、生活していたキリスト教の寮でも、その頃、通っていた教会でも、使用してなかった。
 キリスト教の教会では、ごくたまに礼拝の後、フランスパンのカケラと、小さなカップに入ったぶどうジュースが、参加者に配られて、それを口にした。その行為を「せいさん」と呼んでいた。住んでいた寮では、この「せいさん」は実施してなかった。
 私は外国の小説をかなり読んでいたので、「せいさん」を漢字で表記すると、「聖餐」であり、それがすなわちミサだと、理解していたが、カトリック教会のミサの重々しい感じは、プロテスタントの教会にはなかった。ほんの付け足しって感じで、時々、この「せいさん」を実施しているが、別段、実施しても、or notでも、どっちでも構わないと言ったゆるい雰囲気で「せいさん」は、行われていた。
 私が住んでいたK市には、カトリックの教会もあったが、カトリックの教会に出向きたいという気持ちは持ってなかった。教義上の詳しいことは、中高校時代、知らなかったが、マリア信仰が、苦手だった。
 マリア信仰を認めるとしたら、母に愛され、母を愛してなければいけない。が、マリア信仰に入って行くための条件は、まったくもって、整ってなかった。母に愛されず、母を愛してない人間が、マリア信仰に関与することは、どう考えても偽善だった。自分なりにいろいろ調べてみたが、マリア信仰をさて置いて、カトリックの教会に通ったりすることは、できないと判断できた。キリスト教アートは、すべて、カトリックのそれだが、カトリックというものが理解できてないのに、アートだけを見ているという結果になってしまっていた。
 アートは、ただ見るだけの行為で、信じる、信じないは、さて置いてもいいと、自分に都合良く考えていた。が、15歳の夏、大原美術館でエルグレコの「受胎告知」を見たが、まったく何ひとつ、自分の中に入って来るものがなかった。「受胎告知」のマリアを「我々の母」つまり「ノートルダム」だと思えるくらいの勢いで、カトリックには対峙しなければいけないと、頭の中では、理解できていたが、母だと考えることは無理だった。二十歳までの人生で、親しい女性の先輩は、沢山いたが、「受胎告知」のマリアのようなタイプの人はいなかった。私の出会った女性の先輩は、全員、賢い人だった。賢くて、clever。純粋無垢なタイプの人は、一人もいなかった。もっとも、そういうタイプの女性が、もしいたとしても、絶対に近寄らなかったと想像できる。
 プロテスタントの教会では、洗礼とミサの二つのサクラメントのみ実施している。ミサつまり「せいさん」に関しては、重々しさはまったくなかった。私は洗礼は受けてないが、外側から見る限り、「洗礼」も、いたって形式的だった。
 プロテスタントは、儀式ではなく、日常的に積み上げて行くコンテンツを通して、キリスト教的なものが、個人の内部に作り上げられて行くのかもしれないが、自分自身の内部に、コンテンツが積み上がったという自覚は、まったくなかった。キリスト教の神を否定しているわけではない。神が存在してないと考えたことは、一度もない。が、神=キリスト教の神だとは、言えなかった。
 映画の中で、アメリカのプロテスタントの牧師さんが、参加者に熱く語りかけて、会場が盛りあがっているsceneを見たことがある。英語をlisten toすることが、さほどできないので、こちらは字幕を読んで、説教の内容を理解しようと努力する。が、熱い説教とか、音楽などは、字幕をいくら熱心に見ても、感動は伝わって来ない。英語は、耳で聞いてこそ、英語独特のリズムのうねりが掴めて、感動に繋がる。
 住んでいる地元の教会に礼拝に行った時、そこの牧師さんが、アメリカの神学校に留学していた時のことを語っていた。留学の2年目くらいに、ようやく英語の説教が聞き取れるようになって、それからは、英語の聖書を読むよりも、説教を聞くことの方が、楽しくなったと語っていた。英語は、読む言語ではなく、聞く言語だと言っていた。それは、私自身、洋楽好きだから、理解できていた。
 キリスト教には、エルグレコのようなキリスト教アートの鑑賞では、到底、アクセスできないと、取り敢えず知った。高3の頃、受験勉強中だったが、受験勉強も兼ねて、寮の談話室の本棚にあった、英語版の聖書を、すこしばかり読んだことがあった。英文の聖書は、簡単に読めた。受験勉強のために使用していた「英文標準問題精講」の文章よりも、はるかに易しかった。この易し過ぎる文章をいくら読んでいても、受験の英語力は、身につかないと理解できた。英文の聖書よりは、明治時代に翻訳をした文語体の聖書の方が、自分にはしっくり来る感じだった。
 ミサ曲は英語ではなくラテン語の歌詞だった。ラテン語を学ぶことは、そう簡単なことではないが、主要な単語の意味を調べることくらいは、そう難しいことでもなかった。キーワードの意味を理解し、自分の音程がきちんと取れて、尚かつ他のパートの音も聞こえて、自分の中で、ハーモニーを拵えることができたら、キリスト教に関してのアクセスは、幾分、可能かもしれないと皮算用していた。が、一個上の光次先輩の話によると、キリスト教へのアクセスを目的として、ミサ曲を歌おうとしている団員は、一人もいないらしい。そういうことを口に出すと、アブない人間だと思われるので、そういうことは、オレの前だけで喋れと、光次先輩には釘を刺されていた。

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