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「巴里のアメリカ人」 ともさと...ではない、パリを舞台にした極上ミュージカル映画 An American In Paris (51年)【懐かし洋画劇場】

映画「巴里のアメリカ人」(51年) "An American in Paris"。ジーン・ケリー、レスリー・キャロン主演。ヴィンセント・ミネリ監督作品。

「ラ・ラ・ランド」(16年)”La La Land”にも影響を与えた、MGMミュージカルの中でも屈指の出来で、何度観ても飽きない傑作。ミュージカル好きはマストの一本。

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ストーリー

第二次大戦が終わった後、パリへ住むことにした画家志望のアメリカ人ジェリー(ジーン・ケリー)。パトロンになってくれたお金持ちの女性ミロ(ニナ・フォック)と一緒に行ったナイトクラブで、ある女性に一目惚れをする。なんとかダンスへこぎつけた彼女の名はリサ(レスリー・キャロン)。デートを続けるうち二人は恋に落ちるが、彼女はジェリーと同じアパートに住むアメリカ人の音楽家アダム(オスカー・レヴァント)に紹介されたフランス人歌手アンリ(ジョルジュ・ゲタリ)のフィアンセでもあったのだ…

解説 

楽曲全てがアイラ&ジョージ・ガーシュウィンのものである本作は、「ガーシュウィン・ソングブック」と言ってもいい。製作のアーサー・フリードは、作曲家の伝記ものとしてジェローム・カーンの「雲流るるままに」(46年)、リチャード・ロジャース&ローレン・ハートの「Words and Music」(48年)を作っていたが、ガーシュウィンものは既に伝記映画「アメリカ交響曲」(原題:ラプソディ・イン・ブルー)(45年)があったために、違ったアプローチで本作を製作した。

ジョージ・ガーシュウィンの交響曲「巴里のアメリカ人」をモチーフに新たなプロットで、楽曲も無理なく入れてある本作の構成は見事だ。"Love is Here to Stay" "S' Wonderful" "An American in Paris" 等々。MGMグランド・オーケストラが奏でる楽曲も良いが、ダンスも最高である。特にケリーが子供たちと踊る"I got Rhythm"の楽しさったらない。

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ジーン・ケリーと云えばこの映画と、ミュージカル映画の金字塔「雨に唄えば」(52年)が双璧であるが、この「巴里のアメリカ人」の方が人気がないのは、おそらくストーリーがちと暗めだからだろう。若い頃は、主人公の二人はハッピーエンドになり良かった良かったと思ったのだが、トシを取って観ると、その気にさせられて身を引かなきゃならないアンリとミロはお気の毒だこと、と思うのだ。

「雨に唄えば」が明るく楽しい「ミュージカル・コメディ」であることを考えると、この「巴里~」は楽しい場面も多いのだが、ドラマ・パートが現実的なこともあり、テイストがいささか異なる。
更に違いを言えば、こっちはバレエ、「雨に唄えば」はタップダンス主体というところだろう。

この「巴里のアメリカ人」の一番の見所は、有名なラスト17分半にも及ぶバレエ・シーンである。ここでは、ユトリロやロートレックなど印象派の絵をバックに、ケリーと当時19歳のフランスから来た新人レスリー・キャロンが見事なダンスを見せる(キャロンは動きが少し遅れるが・笑)。アメリカのタップダンスとヨーロッパのバレエが融合し、絵が動き出すというアイデアと共に映画を芸術の粋に高めた素晴らしいフーテージであることに異論はない。振付のジーン・ケリー(及び監督のヴィンセント・ミネリ)の実験的な挑戦が見事成功したといえる。

だが、この成功がケリーのバレエ志向に拍車をつけ「舞踏への招待」(56年)という実験的ではあるのだが、失敗してしまう作品をも生み出してしまう。振り返ると、ケリーのキャリアのピークは40年代後半から50年代前半だったとわかる。そしてそれはMGMのフリード・ユニットをはじめとする芸人ミュージカルのピークとも重なるような気もしている。

2002年製作の「ジーン・ケリー:ダンサーの肖像」"Anatomy of Dancer"(Blu-rayの特典映像)という、約1時間半の上出来のドキュメンタリーを見ると、フレッド・アステアのエレガンスな踊りと比較して「労働者の踊り」と揶揄されるジーン・ケリーの踊り方は、重心を低くするので余計に力強く、その上半身の筋肉もあり、より男性的に見えるのがわかる。ひょっとしたら、ケリーのバレエへの傾倒は、じつはソフィスティケイティッドなアステアに対抗したものだったのかも知れない。

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「巴里のアメリカ人」とジーン・ケリーの思い出

ぼくがこの「巴里のアメリカ人」を初めて観たのは、70年代初頭、確か小学校6年の時、TBS系の「月曜ロードショー」で放映した時だった。田舎の中学の元音楽教師だったミュージカル好きの母と姉と一緒に観た。解説の荻昌弘さんが「午後10時前後だと思うが(9時から11時までの放送なので)オスカー・レヴァントのピアノ”Concerto in F“ が素晴らしい」と話し、実際にそうだったので「凄いや!」と思った記憶がある。

その頃我が家は本屋を経営していて、母親はいつも店番をしていた。そこで月刊誌「ロードショー」のTV映画グラフを見て、ぼくは「ともさとのアメリカ人」と読んで、母と姉に大笑いされた。姉に「漫画家の巴里夫(ともえさとお)は"パリオ"と呼ぶでしょ?」と教えられたのだった。(この「リボン」なんかで活躍した漫画家も若い人にはわからんじゃろうなぁ。ぼくは本を売ってたので知ってた)

その後「ザッツ・エンタテインメント」(75年)にハマりミュージカル好きになったぼくは、この「巴里のアメリカ人」を地元の深夜TVで再放送したときに(ビデオがまだない時代)カセット・テープに録音して何度も何度も聞いた。だからぼくの頭の中ではこの映画のジーン・ケリーの声は(当時文学座の若手だった)江守徹さんなのだ(笑)。演技が達者なだけに吹替もうまいんだな、これが。

高校生の時、井上ひさし著「青葉繁れる」という映画好きの劣等生が主人公という、「まるで俺!?」の世界を描いた50年代の仙台を舞台にした傑作青春ものの本を読んでいたら、デートの時、主人公に女の子が「『巴里のアメリカ人』観たべ?」というくだりがあり、公開当時の雰囲気が伝わり面白かったのを思い出す。

社会人となり、1985年か86年だったと記憶しているが、新宿の名画座ミラノでMGMミュージカル「雨に唄えば」「巴里のアメリカ人」「略奪された七人の花嫁」が連続上映された時にも観に行った。今でも覚えているが、「雨に唄えば」へ行ったら、受付で「フタ(ドア)が閉まらないほど満員」と言われ、日を変えて観に行ったのだ。古いMGMミュージカルがそんな大ヒットした時代もあったのである。

2019年には、劇団四季で上演された「パリのアメリカ人」。ぼくは香港で、ロンドン・ウエストエンド版が上映された際に映画館で鑑賞した。この映画を原作(インスパイアしたもの)とした舞台で、ごきげんなガーシュウィン・メロディが聴けて楽しかったのだが、タップダンスがなく、バレエだけの演出だったので、もう一つノレなかったのを覚えている。

ジーン・ケリーで一番思い出深いのは、縁あって90年代後半レーザーディスク「ジーン・ケリー・コレクション」(「踊る大紐育」(49年)「ブリガドーン」(54年)「いつも上天気」(55年)とケリーの名場面集など特典映像満載のLD ボックス・セット)のライナーノート(娯楽映画研究家佐藤利明氏による)を少し手伝わせてもらったことがある。ケリー・ファンにはたまらない名盤と今でも思っているが、あんま売れなかったのだ(苦笑)。なので、いまでは「幻の名盤」と云っていいのではないか?と勝手に思っている(笑)

ガーシュウィンの名曲とバレエとタップと印象派の絵画の融合。この「巴里のアメリカ人」が1951年度のアカデミー作品賞を含む6部門で受賞したのも、まだアメリカ人に根強かったヨーロッパ・コンプレックスがあったからだろうとこれも勝手に解釈しています。でも必見のミュージカル映画であることは間違いなし。未見の方はぜひ!

14-Sep-20 by nobu

2009年1月9日付 「巴里のアメリカ人」Bru-lay An American in Paris MGMミュージカル に加筆訂正しました。

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました!