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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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#日記

番頭サン

番頭サン

 視線の脇に流るゝ番頭サンを見たとき、さァそれこそ我々の間で噂されていた美女の横面、あの色白、細い鼻筋、気品溢れた揺るゝ黒髪、つい下駄箱の鍵を渡し忘れてしまいそうになる私に向かって「そっちゃ、女風呂!」などと喝を入れるゝその活気、あァ君は間違いなく我々の間で噂されていた美女であるようだが、何故だ、何故、番台に座るゝその姿勢からは、この閉鎖寸前とも思える銭湯『湯吉』への一直線に向けられたる愛が、君に

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夏の準備は風見鶏

夏の準備は風見鶏

 長らくご無沙汰をしてしまいました。というのも、あなたから教えて頂いた素敵な場所が、あまりに心地のよいものだから、本当であればもう色々と考え出さねばならない時分、つい僕は六月の雨音に酔いしれるかのような形で、そしてじきに過ぎてしまうでしょう梅雨の暖かな水滴の感触のみを記憶したままで、この手紙を書いているというわけなのです。
 従って、あなたから是非とお願いされた事項については、何の手もつけてはおら

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桜と共に散る雪を見たか

桜と共に散る雪を見たか

 今日、桜と共に散る雪を見たか。
 僕は見た。地面を染めるわけでなく悪意なき春雪の薄化粧。ほら、我々の視界は実に不明瞭でありながら、それでも苦し紛れに抵抗する桜の鼓動というものを、感じ取ろうとしている。数年前の、あの青年のように。

 青年には、昔から特別に想うところがあり、高校に進学するときも、大学へ入るときも、彼が見惚れた桜より離れることはなかった。彼らは幼い頃からの付き合いだったし、たとえ彼

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聖夜のチキンレース

聖夜のチキンレース

 混雑する百貨店、長く退屈な行列のなかに、彼女の姿を見つけました。相変わらず、髪は肩まで。相変わらず、腕を組む癖が抜けてない。相変わらず、僕は彼女の後ろにいる。そして、君はふいに振り返る素振りをみせて……。

 なにが我々の関係を割いてしまったのかと、そんな思考が浮かんでは、あまりの女々しさに嫌気がさす日々が続いています。というのも、やはり冬の寒さ、侘しさ、人恋しさは誰しもが共通に受け取るもの。公

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鎌倉少女

鎌倉少女

 あれから五度目の夏を迎えようとしていた。沈みゆく陽の光が、朽ちた小屋の窓から差し込んでくる光景。狭い空間は次第に薄暗くなり、右手に持つ招待状の文字列は、果たして何を表しているのかが分からなくなる。
 床のどす黒い滲みは、わずか数年の月日でここまで大きさを増したのだろうか。壁の端に捨てられたようにして積み上がる舞台衣装、歪んだ姿見からは、彼らの強靭とも言える意志が。
 そして、唯一その姿を保ってい

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立っている。歩いている。そんな我々をドアが妨げている。時間は平等に流れている。悲しいまでに流れている。だから涙を流さずに少しでもドアを開こうとした件について

立っている。歩いている。そんな我々をドアが妨げている。時間は平等に流れている。悲しいまでに流れている。だから涙を流さずに少しでもドアを開こうとした件について

 自動ドアの前に立っている。私が優しく手を前に出すと、それは何の抵抗も、我儘も言わず素直に我々の道を開いてくれる。空気は静かに循環して、苦言の一つも漏らさずに立ち去る。例外なく私は前に進む。ドアを開けた電力への感謝を持たずして、我々は一歩前に進む。意識なく、力なく、何の思考も持ち合わせない誰かであったとしても、ドアは素直に道を譲る。

 閉ざされたドアの前に立っている。かざした手は無視されたかのよ

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秋季創作コンテスト応募作品

秋季創作コンテスト応募作品

 ──今となっては、ただの笑い話だけどね。

 騒がしい夏が過ぎ、相馬は少年のような表情を再び胸の奥に隠さなくてはならなかった。と言ったものの、何が明確に変わったわけでもなく、ただ人は自ずと成長してゆくのだ、などという極めて漠然とした思考のなかで、季節の移ろいに乗じた若者が心機一転にして生活を励む姿を周囲の環境にばら撒いているだけなのだ。
 先日から辞めようとしている仕事について、いまだ別れを言い

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第七龍泉丸との遭遇

「先生、僕は学校を辞める気はない。どれだけ貴方が嫌いでも、僕はこの世界で生きなければならないのですから」
 思い上がりだ。自らの言葉に、そう思った。

 皆が土を踏み付ける音は、我々の心を映す様にして僕の耳まで届くのである。大いに乱れた足音、地表を捨てた人類が飢えと疲労のためにいま一度下を向いてただ歩いてゆく。昔に聞いた教師の言葉が、稼働をやめた脳に直接響いてくるようである。
「極楽は空に近く、地

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未来世紀の子供たち

未来世紀の子供たち

「知っての通り、航空車が普及した今となっては、航空法の改正により様々な物が規制されています。例えば、打ち上げ花火......」
 ──花火? 

 大人はいつだって、自らが知り得た物をさも創造主の様に語るのだ。僕等の世界は、どこまで行ったとしても彼等の延長であり、そんな生に取り憑かれている我々は、果たしてどこまで足を伸ばせるというのだろうか。

 人類が地を離れて二十五年が経過した。配食の普及によ

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華火116

 遥かなる未来の想像というのは、我々が辿ってきた数千年の歴史を想うより、いくらかは楽なものである。葛西教授は、まるで課題に手をつけようとしない私に向かってそう言った。
 ボードに描かれた様々な風景画、それは彼が創造した新世紀であった訳だが、当時十歳にも満たない少年には理解出来るはずもなかった。
「陸を離れ、空を目指す人類において、困難なのは水、そして食糧の確保だ。我々は天にまで届く太いチューブを介

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きらめけ☆青雲学院!

きらめけ☆青雲学院!

 ハロー! 私、青雲学院の夢見る女子校生、高野ゆかり。いつも退屈な授業ばかりでやんなっちゃう。でも、そんな日々にも心躍る瞬間というのはたしかにあって......。ああっ、噂をすればなんとやら。目当ての彼が、横断歩道を今過ぎようとしているわ。一人の男に翻弄される人生は、果たして惨めかしら? 滑稽かしら?でも、私だって輝かしい青春を、口に出したい年頃なの! 周りが何と言おうと、それだけは押し通させても

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秘めたる才能を開花させよ!

秘めたる才能を開花させよ!

跳ばない僕は、ただの優等生だ。
──シベリアより愛をこめて

 凡人に天才の思考は理解出来ないと、昔から話ではよく聞くものの、実際に納得がいく形でそれを実感したのは、後にも先にもこれくらいだろうと思う。
 大学で知り合った葛西君、暇さえあれば図書館で小難しい文献を漁り、カフェブースの端に座って、なかなか減らないコーヒーを相手に首を傾げたり頷いたり。奇妙な奴だとさえ思う。彼が何の講義を取っていたのか

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静かなる隣人、大いなる可能性を語る

静かなる隣人、大いなる可能性を語る

 よく顔を出すと言っても、駅前の喫茶店にて繰り広げられる平凡な日常の様ほど、代わり映えしないものはあるまい。肌を寄せあうように座る人々の内、幾らかは常連客かもしれない。幾らかは馴染みのない客かもしれない。彼らの半数は降り頻る小雨から逃れるため、残るは何かの目的をもって、湯気の立ち登る珈琲カップに口をつけるのだろうか。
 僕が玄関のドアを閉めたあとの自室。秩序が保たれ、無言、無音の世界であるはずなの

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第七龍泉丸の素晴らしき航海

第七龍泉丸の素晴らしき航海

 その日、船内にて舵取りを任された三嶋某。彼が船舶免許を持ち合わせない、未熟船乗りだという事は皆が知るところであったものの、荒れゆく大波の中を物の見事に揺れ動かせてみせた若き船乗りに、批判的な声を上げる者は一人としていなかった。

 和歌山湾より東回り、三嶋にとっては初めての遠方航海となった。幼少期より学問の端から端までを忌み嫌っていた青年にとって、天職だろうと始める前から考えていた船乗りという仕

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