KH1992
コラムをまとめました。良くも悪くも適当です。
短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
まとめました。2020年、夏 くへを。
まとめました。20XX年の未来世紀へ。
まとめました。2020年、鉄塔 くへを。
振り返ってみれば、私にも十代というものが存在したらしい。今では仕事に追われる日々、体重が気になり、歯医者への予約を忘れぬよう手帳にメモするのが日課である。あれだけ面倒だった朝飯を、きちんと食べるようになった。毎日風呂を沸かすようになった。約束の時間が自らを束縛しはじめた。よって私は、どれほど気が乗らない約束に対しても、遅刻をしない。 当たり前の事だ。ごく当たり前の事。ただ、人が人たる常を尊重できぬ堕落した思考こそ、迷惑極まりない私の十代であった。 よく音楽を聴いていた
例年と比べてあたたかい秋が続くなぁ……と油断している皆様、さきほど知ったのですが、明日から寒波到来とのことですよ! もし周知の情報であるならば、情弱が過ぎるKH、今日も薄着で美しき四季を想ふ──。 と、どうでも良い前置きではございますが、この度『文章・創作のサークル様』にお力添えをいただき、電子書籍を発売いたしました。 短編ではなく一作品として完結させた本作ですが、予めあらすじを言ってしまえば「父が娘を連れて高野山、奥之院を歩く」という、ただそれだけの小説です。勿論
昨年の春、映像やら音楽やら、その手の分野にまったく教養がないと自他共に認める同僚の尻を叩き、僕自身もかなり久しく思える映画館に立ち寄ったことを、先程ふいに思い出した。 まぁいい歳をした男が二人揃って映画を観るものだから、多少は難解なテーマのものが良いのかな……。そんな考えも束の間、結局ビールの泡や炭酸に呑まれて話の結末は見逃すことになるだろうし、何より駅前の混雑ときたら! 早くも気温が二十度に差し掛かろうとする、随分と気が早い春の日、僕は何気なしに立川駅に貼られたポスタ
灰色に濁った曇天の空を、いまさら感傷的な面持ちで見上げるほど、僕は人間臭くはない。視界の端には忌々しき木造校舎、昨日積もった雪だろうか ──いや、昨日は久しくみた晴天であり、用務員の天狗爺がわざわざグラウンドに出て、日々の雪かきから賜る霜焼けた両手を、太陽に見せびらかせていたのだった……。 とにかく、いつ頃降り出し、またいつ頃降り止んだかさえ分からぬ平らな雪の塊が、軋んだ木造校舎の屋根、そのなだらかな曲線にべたりと張り付いているようで、僕が真正面からジッと睨まないからか、
視線の脇に流るゝ番頭サンを見たとき、さァそれこそ我々の間で噂されていた美女の横面、あの色白、細い鼻筋、気品溢れた揺るゝ黒髪、つい下駄箱の鍵を渡し忘れてしまいそうになる私に向かって「そっちゃ、女風呂!」などと喝を入れるゝその活気、あァ君は間違いなく我々の間で噂されていた美女であるようだが、何故だ、何故、番台に座るゝその姿勢からは、この閉鎖寸前とも思える銭湯『湯吉』への一直線に向けられたる愛が、君に見惚れてついつい女湯ののれんを潜りかけた私に向けられたる軽蔑が見えるゝ十二月の雨
寒い日が続きますが、こんな季節の変わり目こそ踏ん張らねばなりません。そろそろ炬燵を出しても文句は言われないだろうか? 暖房を付けても、電気代を払う月末の僕は許してくれるのだろうか? 新しいコート等を買っても、カード明細を見る月末の僕は許してくれるのだろうか? ……まぁ、今の僕には関係ないや。 どうも、今を生きる男KHです。お久しぶり。 この度、note『文章・創作のサークル様』のお力添えを頂き、電子書籍を発売しました。 noteに投稿した記事(加筆)に、書き下ろし
戦う価値があるちうわけや。……でお馴染みヘミングウェイ。この美しい文章より紡がれた 『誰がために鐘は鳴る』は、儚くも力強い生の実感を、我々に与えたのではないだろうか。 どうも、関西生まれのKHや。よろしゅうな。 言うまでもなく『方言翻訳』の続きです。 海外作品を読む、または観る際、僕のように「This is a pen.」からそう遠くないレヴェルの語学力しか備えていない方々は、良くも悪くも翻訳の雰囲気に頼らざるを得ないわけで、勿論それがどのような作品だとしても、し
クローズド・サークルの金字塔として名高いいまでも愛されるアガサ・クリスティの某作。また推理小説の代表的な作品であり、本作から影響を受けたものは数知れず。まさしく、永遠と語り継がれる名作であるに違いない。 こんばんは。真実は松明である──KHです。 それはさておき、最近の個人的な暇つぶしで『名作を方言翻訳する』という遊びを発見いたしました。友人に自慢したら「お前にしては、有意義な時間の使い方だな」と、一定の評価は貰っております。 標題は、ご存知『そして誰もいなくなった
起きがけの明瞭としない意識。乾燥した空気で喉が痛むために、少し小窓を開けようかとも思った。しかし、とある匂いがふと鼻をついたものだから、僕はそれをやめて、ふたたび布団のなかへと迷い込むことを決めたのだった。 ──この部屋いっぱいに金木犀が薫る初秋、深々とした山系の落葉樹は、紅葉に至るまでの準備を終わらせてしまったに違いない。昔からこの空気感が嫌いであった僕は、さらに部屋中を侵すであろう秋の気配を恐れて、窓を開けることが出来ないでいた。ただそれさえも、だ。 九月の下
その日、久しぶりに雨が降った。山の手から遠く見える夕焼けは、そんなことなど素知らぬ態度で、ただ積乱雲の成れの果てを茜色に染めているのだった。馴染みのプールからの帰り、タイミング良くバスに乗り込んだ僕は、冷えた身体をどうする訳でもなく、ただ呆然と窓傍の席に座っていた。 バスが停車のために速度を落とす際、わずかに開いた窓から、大粒の雨が車内に入り込んできて僕の肩を濡らした。ただ、濡らしていた。 「今日、プールを覗いて来たよ。君が言う通りもう店じまいの雰囲気だった。数日の間に
九月の上旬、例年であれば夏の延長戦が如く蝉の糾弾も収まることを知らず、太陽にしても残業代をせしめる強い日差しは健在のはずで、我々は夏期休暇の思い出でも語りながら、ただプールサイドのビニール椅子に寝転がってさえいれば、しきりに吐く溜息さえも様式美として昇華されるはずであった。 「流石に、この肌寒さでプールはないだろう」 電話口の向こうで葛西君がそう言えば、僕等は決して美しくない溜息を吐いた。ただの深い息が空気中に排出される様子。だが、彼の判断は正しいと言わざるおえない。
皆さま、こんばんは。令和四年の秋、肌寒さを感じる今日この頃でございますが、鳥肌など立ててる場合ではないKHです。ボンジョルノ! 突然ですが、人がSNSを始める訳を考える。 ──趣味が合う仲間を探したくて始めた。 ──気になるアノ娘と繋がりたくて始めた。 ──情報を得る媒体として、利用を始めた。 多分、これだけでは無いはず。無いはずだ。恐らく貴方のSNSアカウントは、しっかり他人との繋がりをもち、そこに感じられる「絆」は見えぬ電波に頼ることなき、まさしく深い間柄を
昼間の曇天から雨を恐れて、結局この連休の最終日、一歩も外に出なかった。悔しかった。祝日という天からの贈り物に対して、僕はただ有意義さをもって応えたかっただけ。というのに、なぜ天は我々に試練を課すのであろうか。 どうも、濡れない男KHです。雨は嫌いです。 昔の話、まだ僕がサンタクロース爺の訪問を心待ちにしていた頃である。とはいえ小学三年の時分、いまにして思えば仲の良い友人たちは「サンタ」=「〇◯」真実に辿り着いており、ただ僕だけが「サンタ」=「サンタ」の幻想に惑わされて
あらゆる事象について、たとえそれが致し方ない事故であったとしても、我々は実に様々な感情を抱いてしまいます。──理不尽、後悔、許容に同情。ヒトが人たる証という心情の起伏は、やはり時期、環境を選んではくれません。そう、こんな暑苦しい秋の夜にだって……。 どうも、ホモ・サピエンスのKHです。 昨夜、仕事終わりの僕は、疲労を癒すために普段より熱めの湯船を張ったわけです。今週が終われば三連休、果たして秋は僕にどのような光景を見せてくれるのだろう──。そんな気分に浸る風呂は、人生
考えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、僕は息を吸う。吐く。吸うことを忘れてしまえば、我々はより自らの生に意味を求めはじめるのだと、そう思わないことはないが、僕の生はそれを、真っ向から拒否する。吸う。吐く。 都心の片隅にて、歩く人々を見ている。流行に支配された服装、百年前より変わらぬ足並みを、ただ息をしながらひっそりと眺めている。ある男は、小型の携帯通信機で仕事の連絡を。ある女は、小型の携帯通信機でビルの写真を。ある子供、君ははたしてどこから迷い込んだ。或いは、悲しくもこの世
とんでもないニュースが入りました。そう、例年よりもかなり早く梅雨が明けるとのこと。去年と比較して約十日ほど早いという情報も。夏への期待が高まる一方で「いやぁ、暑いなかで仕事するのヤダよぉ」といった苦難の表情を浮かべるKHでございます。ごめんあそばせ。 僕の書いた小説を 文芸誌「Sugomori」さんに掲載頂きました。これは嬉しい……! 通勤中、寝る前、仕事中(に読む方はいないと思うが)など、お手隙な際に目を通して頂ければ幸いです。 また「Sugomori」さんにて