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ロックンロール

 振り返ってみれば、私にも十代というものが存在したらしい。今では仕事に追われる日々、体重が気になり、歯医者への予約を忘れぬよう手帳にメモするのが日課である。あれだけ面倒だった朝飯を、きちんと食べるようになった。毎日風呂を沸かすようになった。約束の時間が自らを束縛しはじめた。よって私は、どれほど気が乗らない約束に対しても、遅刻をしない。
 当たり前の事だ。ごく当たり前の事。ただ、人が人たる常を尊重できぬ堕落した思考こそ、迷惑極まりない私の十代であった。

 よく音楽を聴いていた。騒がしい曲だった。MDやMP3など、媒体は様々変化を見せるなかで、私が熱心に耳を傾けたのは、その輝かしい十代を体現したようなものである。
 友人たちと、担当となる楽器を決めた。誰もが歌いたがった。誰もがギターを弾きたいと考えていた。仕方がない事だった。結局、私は背が高いという理由だけでベースをやらされた。一ヶ月後に行ったライブは酷い出来だった。

 あの頃は、何者かになれると確信していた。何かができると、根拠もない自信に満ち溢れていた十代。……俺の人生はきっと上手くいく!
 信じられない事だが、そんな迂闊な思考など今は自分でも可愛らしく思えるほどに、私たちは大人になってしまった。いや、いとも簡単に物事を判断し、咀嚼し、私はもう大人なのだというよく分からぬ考えの下で、すべてを見ない振りしていただけなのかもしれない。

 たとえば、五十五歳の自分が、三十歳のいまを振り返ったとき、恐らく私は感じるだろう。
「あの頃は、活気に満ち溢れていた……」
 
 縮こまっている場合ではない。諦めている場合ではない。自らの頭が、身体が熱を上げる限り、私は何でもやり遂げる事が可能なのだ!
 そして、ロックンロールは我々の記憶として永遠に残っていくのだろうと、昨日ふとそんな事を思った。そんな事を確信したのだった。

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