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Mr.Lawrence

 昨年の春、映像やら音楽やら、その手の分野にまったく教養がないと自他共に認める同僚の尻を叩き、僕自身もかなり久しく思える映画館に立ち寄ったことを、先程ふいに思い出した。
 まぁいい歳をした男が二人揃って映画を観るものだから、多少は難解なテーマのものが良いのかな……。そんな考えも束の間、結局ビールの泡や炭酸に呑まれて話の結末は見逃すことになるだろうし、何より駅前の混雑ときたら!
 早くも気温が二十度に差し掛かろうとする、随分と気が早い春の日、僕は何気なしに立川駅に貼られたポスター、その凛々しい表情を浮かべる二人の男達を眺めていた。恐らくは、我々との悲観すべき対比を思ってのことだろう。

「俺でもこの映画は知っている。坂本龍一と、あと誰だっけかなぁ」
 同僚がこちらの肩を叩いた。目前の二人が、何故だか怪訝な顔付きをしたような気がした。
「デヴィッド・ボウイですよ」
 丁寧に返す僕に、同僚は縦に首を振った。
 (我々は同期入社だが、彼が歳上である手前僕は丁寧な敬語で話すことを心掛けている)
「坂本龍一、デヴィッド・ボウイ、北野武と、俳優は分からないけれど、Mr.ローレンス」
 つい得意になった僕は、登場人物を数人並べて口に出したが、彼は「北野武」にあわせて、小声でモゴモゴと物真似を披露するに留まり、これと言って興味は持てなかったようだった。
 とにかく僕はこのポスターを見て、懐かしき作品がリバイバル上映していることを知った。


 映像作品の素晴らしさを文章で表現するには卓越した感性が必要だと思う。あいにく僕にはそんなもの持ち合わせていない。従って、記憶に残る美しい光景(それこそ、僕が映像に酔いしれ、悲しみ、嬉々としている光景)を漠然と書き記すことしか出来ないのが口惜しい。
 『戦場のメリークリスマス』を知ったのは、大島渚が好きだからとか、坂本龍一やボウイの楽曲が好きだからとか、そんな理由ではなく、北野武が出演しているという一点に尽きる。
 学生の頃、北野作品のファンであった僕は「武が出ているのであれば、多分名作だな」といった軽い認識をもって、レンタルビデオ屋に走った。大島渚監督の映像など何一つ観たこともなく、また『戦場の〜』というタイトルから少なからずドンパチやるようなジャンルの作品かと勘違いする始末だった。
 深夜、家族が寝静まった後のうす暗い部屋を照らす彼等の表情、静寂を突く劇伴、僕はそれをとても静かな映画だと思ったはずだ。いくら彼等が怒号を発しようが、大声で歌おうが、僕はそれをとても静かな映画だと思ったはずだ。
 それほどまでに、繊細な映像作品であった。繊細な男の感情を思ったのだった。


 同僚はあまり気乗りをしなかったが、過去の記憶が後押しする僕を、振り払えなかった。
 しかし、無理強いをするのは良くない。その点はしっかり反省したなかで観る『戦場のメリークリスマス』、音響が良く、迫力あるシーンも多数あったが、男臭くも哀しげである彼等の言動その一つ一つがなお、静かな映画であるというその印象をたしかめるが如く、僕に訴えかけていた。儚き生の美しさを訴えかけていた。

 まったく関係ないことだけど、同僚はその年の夏、自らの夢に寄り添うためにデザイン関連の企業に転職した。そこから数回、一緒に食事をするなど疎遠とはなっていないが、あのとき映画を観に行った件は話題にものぼらない。
 だが今日に至っては、恐らく彼も、僕と同じ感情を抱いているだろうと確信している。
 それは別段ややこしいことではなく、あの日観た彼等の繊細な表情に対する敬意である。

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