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訳なく生きる、僕たちの

 考えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、僕は息を吸う。吐く。吸うことを忘れてしまえば、我々はより自らの生に意味を求めはじめるのだと、そう思わないことはないが、僕の生はそれを、真っ向から拒否する。吸う。吐く。
 
 都心の片隅にて、歩く人々を見ている。流行に支配された服装、百年前より変わらぬ足並みを、ただ息をしながらひっそりと眺めている。ある男は、小型の携帯通信機で仕事の連絡を。ある女は、小型の携帯通信機でビルの写真を。ある子供、君ははたしてどこから迷い込んだ。或いは、悲しくもこの世に生まれ落ちたのか。

 寝ていた。息を吸い、息を吐きながら、僕はただ都心の片隅で、何事もなく寝ていた。
 叫ぶ声がした。合法アルコールにより、人格破綻を起こしてしまった者らしい。連れの数人は困った顔をして、なにやら相談をしている。
「タクシー代だけ渡して帰らせようか」
「いや、この調子ではそれもムリだろう」
 やがて彼らは、揃って消えてしまったのだ。恐らく、意味のない明日を迎える、その為に。

 喋るのも嫌だが、僕にも仕事がある。そう、役割を演じる、演技に応じる 。この流れで僕は賃金を得ることができる。もうじき誰かが害のない挨拶を口にする。僕は害ある挨拶をもって自らの役割を遂行する。
「おはようさん」
「あぁ、どうも……」
 こちらの気が抜けた挨拶に、彼はムッとした表情を浮かべる。いや、浮かべるための努力を始める。我々はこの場に適した役割をこなし、そして、息を吸う。吐く。指定された日には、指定された金額が口座に振り込まれる。安堵の息を吐く。そして、思う。

 ……このまま息を吸わないでおこう。
 視界が白んできた頃、僕は自らの生に意味を求めていたことを悟る。否定してきた生、肯定された役割、そして訳なく生きることが出来る我々の時代において、哲学的な思考はまさしく社会への抵抗となり得る。
 ……やはり、息を吸おう。

 考えるのが馬鹿馬鹿しくなるほど、僕は息を吸う。吐く。意味のない明日を迎えるその為に僕はやはり息を吸う。吐く。吸う。吐く……。

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