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さらば、名も無き群青たち

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まとめました。2020年、夏  くへを。
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さらば、名も無き群青たち(完)

さらば、名も無き群青たち(完)

例年よりも早い梅雨明けとなったにも関わらず、土より這い出して来る蝉の幼虫は、まるでタイミングを測ったようにしてその姿を現す。
 リュックを背負ってバスに乗る僕の視界に、青々しい緑が広がる後楽園、低い石垣に乗った岡山城を認めれば、高台まで伸びるこの道がどんな未来を僕に与えてくれるのか、そんな他人に救いを求める癖というのが未だ抜け切らない初夏の日。貴重品しか入れぬリュックは、僕の肩を押さえ付ける

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さらば、名も無き群青たち(7)

さらば、名も無き群青たち(7)

 熱が引くまでに一週間、熱の花が治るのにもう一週間を要した春風邪は、元より世間との隔たりを感じさせていた僕を、更に奥まった場所まで追いやってしまったらしい。

 数人の友人からは、ある時を境にさっぱりと連絡が途絶えてしまい、稀に姿を見せるのは、病人に自らの悩みを相談しにやってくる斉藤君くらいであった。彼が手に下げる袋の中、スポーツドリンクや菓子類、カップ麺などの非常食については、台所に保管された後

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さらば、名も無き群青たち(6)

さらば、名も無き群青たち(6)

 通りを歩く人々は、次第にその身から厚い上着を剥がしていくものの、未だ冷気を感じる盆地に残った空気、新年明けて早二ヶ月が経過したにも関わらず、年始の余韻からなかなか抜け出せぬ街並み。そんな要素が僕の腰を重くさせるのは当然の事だった。

 生駒山から煙のように巻き上がる花粉は目と鼻を執拗に刺激する。マスクをして頻繁に目薬を差すこの姿を見た斉藤君が「なんか俺まで目が痒くなってくるなァ」と文句を言うのも

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さらば、名も無き群青たち(5)

 どちらともなく吐いた白い息が、冬の冷たい風に乗って、背後の朱雀門まで飛んでいくかのように思えた。普段、紅色に塗れたそれは、その骨組みに色を残しつつも、屋根に積もる雪、角張った姿形を白に置き換える事で、周囲の環境に適応していた。順応していた。入り口から真っ直ぐ門の横を抜けた我々は、そんな慣れぬ光景からか、幾度もなく隠れた段差に引っ掛かっては、身体を雪の中に埋めないよう体勢を保たなければならなかった

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さらば、名も無き群青たち(4)

 空になったジョッキを、十秒以上放置させてはいけない。つまり、酒を飲み終えたのであれば即座に次を注文する。これこそ、我がアウトドアサークルにおける唯一のルールであった。どこの誰が決めた物かは分からないが、そんな下らない掟が酔っ払いたちにとっての強い後ろ盾となるのは、言うまでもない。

 普段よりあまり酒を嗜まない僕は、敢えて数センチの量を残しておく事により、彼等『冬場の騒音達』からの迫害を逃れる他

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さらば、名も無き群青たち(3)

さらば、名も無き群青たち(3)

 まばらな人混みを縫う様にして歩けば、自分は良くも悪くも、世の流れに上手く乗っているのだという風に思う。或いは、ただ目に見える何かしらに乗せられているだけなのだろうか。
 近鉄奈良から商店街を抜け、三条通りを西に行けば、週に一度通っていた蕎麦屋がある。
駅の周辺は、奈良公園の秋めく草木や東大寺、興福寺、国立博物館への観光客がいる他、キャリーバッグを引く欧米人の団体が三条通りを更に南下すれば、荒池の

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さらば、名も無き群青たち(2)

さらば、名も無き群青たち(2)

 周囲が急に慌ただしくなり、下宿先の窓から迷い込んで来た蚊でさえも、自らの先々に待ち受ける事柄についてを悩んでいる様に見えた。
行く先も、帰る先も分からぬままに止まっては首を傾げ、飛んでは首を傾げ。それは世間が秋を迎える準備が整った事を、見て見ぬ振りした軟弱な精神に由来する行動だった。
つまり、我々は同類である。

 八月のカレンダーを捲る僕の寂しい背中を余所に、珍しく地に足を付け、夏を謳歌してい

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さらば、名も無き群青たち(1)

さらば、名も無き群青たち(1)

「ほら、ここからなら誰にも邪魔されず、空を見上げる事が出来るの」
そう言って、いつものように無邪気な笑みを浮かべた君の姿は、初夏の雲一つない青々とした空、そんな中にあってもグラデーションを忘れぬ、この空気に散った様々な色の前で、今なお薄れる事なき幻想として記憶されている。

 十年前、奈良盆地に留まる熱された空気に、いいかげん嫌気が差してきた頃。貧乏暇なし、という言葉とは無縁の大学生であった僕であ

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