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不登校大学院生が死にたくなくなるまで

↑前回記事です.本記事は前回からの続きとなりますので,是非1度ご覧になってからここへお戻りいただければ幸いです.前回記事だけ何故か常体ベースで書いているけれど,本記事は基本敬体ベースです.

ざっくり言うと,自分は今春(2022年3月)中退します.中退してしまうことで,新卒内定も消えました.なぜ中退するかというと,現状学費をかけ続けても卒業見込みのない劣等無能っぷりと,ラボに行けばまたそれはそれで死にたい気持ちになるからです.

そこで本記事は,不登校大学院生が,そんな希死念慮からどう回復したのかを中心にお話していきます.あくまでサンプル数1の経験談なので,医療的に正しい知見はきちんとお医者様から直接お聞きしてください.

まず病院へ行きました.

というのも,歩道橋から下を覗きに行く散歩を繰り返す(前回記事)ようになってから「ちょっと自分やばいかもな…でもどうすればいいか分からない…」からとりあえずオンライン診療もやっている心療内科かかりました.

精神科と心療内科,あまり区別分かっていないです.

初診はオンライン診療を受けました.
ただあまり電波が良くなくて軽くしか話せなかった(シェアハウスに住んでいた関係でファミレスの電波を借りた)のと,希死念慮があるなら絶対直接診るから来なさいとのことでした.

ということで次から病院へ足を運ぶ流れとなりました.
初めての心療内科,というか病院へ滅多に行くことのない自分にとって,保険証とかいつのタイミングで出せばいいのかすらよく分かっていなかったし,「そういえば薬は病院じゃなくて,薬局で処方箋渡してから買えるのか…」とかそんくらいのレベルでした.あとお薬手帳といふものを初めて作ったのがこのときでしたね.

1回目の診察で,何話せば良いのかよく分からなかったので,学部から当時までに至るメンタルきつかった時期をピックアップして,そのときの状態で覚えていることをとりあえず箇条書きにしました.

題名「トラウマ集」にしていたんですね…笑
多分この時期「PTSD」と言う言葉をよく聞く時期だったからかもですね.

学部のときと教育実習の時
教育実習も辛かった(詳細はまた今度)けれど「3週間耐えれば終わる」と思って何とかやった
そういえば風呂入れない日も続いてビビっていたな

2枚目の左ページ1番下「いざ言語化しようとすると意味不明な言葉になる」とあるように,当時も短い単語や言葉を時間をかけて繋いでいきながら話すので精一杯になることもしばしば.昔は口から出任せに先に動いて後から頭が追いつかせるくらいしゃべれていたのに.この時も初めての対面の診療でも結局主治医の先生にノート見せながら話していました.

症状は,適応障害と言われました.
確かに症状のきっかけとしても理にかなっていそうだし,大学はいけなくても非常勤講師の勤務は卒なく出来ていた(後述)ため「まあそうだろうな」って感じでした,
ですがあまり信じていないです今も.
参考程度,もしかしたら適応障害なのかもしれないくらいのスタンスでした.

ただ頭ごなしに「現状を受け入れたくない」となるのは,違うと自覚していたのと,シンプルに他の関連するような病気についても興味が湧いたので,実際の専門科医が解説している動画をよく観ていました.今でも見続けています.特に以下のチャンネルの解説者(開設者??)である益田先生は,人柄的にも面白いというか良い人だなって感じなのでオススメです.

処方された薬は,指示通り毎晩飲んでいました.
はじめ薬の副作用で,過眠と食欲減退が続きました.1週間で1kg減り続けて気づけば2ヶ月で7kgも落ちるという,youtubeの胡散臭いサプリメント実写版モニターまがいムーブをしていました.でも正月で一気にリバウンドしました.お餅美味しかったので.

話が逸れましたが,また話を逸らすと,
副作用の過眠で10〜12月あたりは非常勤勤務していた学校からの帰宅途中,だいたい寝過ごしていました.乗り換えが控える中,1本目に乗った電車で終点(他県)まで行き,知らぬ間に折り返すのは当たり前,またもや勤務先の最寄りまで辿り着いてしまうか否かの,往復するかしないかのところで目が覚めていました.今考えるととてつもなく眠っていますね…

あと睡眠に関しては,奇妙な夢しか見なくなりました(盛っているような表現になりますが,割とまじめに).これは副作用なのか体調ゆえなのかは分からないですが,夏秋あたりからとにかく変な夢を見て,起きた直後微かに覚えているという状態でした.

※副作用は人それぞれなのであまり参考にしないでお医者様からお話を伺ってください.

自分の場合,主治医から毎回言われたこととして

もう徹底的に休んでください,眠い時は寝たいだけ寝ましょう.ただ過眠の副作用があまりにも辛かったら考えましょうね.」
現実的に勤務も大学も(この時すでに不登校)到底休める “状況” では無かったけれど,実際身体は気が向いた時しか動くこと出来なかったです.

あと必ず最後に「次回の診療まで絶対死なないでください」と毎回約束させられました.

またこの時期がちょうど入社式や就業前の説明会などと被っていたので,後日就職先の産業医宛の主治医意見書も書いていただきました.結局内定は消えますが,企業へ健康状態の現況を知らせるという点では,産業医の方とも面談が出来たりしたので結果的には良かったと思っています.

希死念慮が緩和していったアクションプラン

ただ正直,希死念慮が収まったのは

  • 非常勤講師(教員)として働いた

  • SNSを全てアンインストールした

  • 運動する時間をわざわざ設けた

ことで回復できたのではないかと考えています.1つ1つ説明させてください.

非常勤講師(教員)として働いた

「適応障害のくせに教員は出来たのか」と思うかもしれません.これは自分が1番驚いています.

多分常勤や担任を持つ立場だったらまたこれはこれで厳しかったかもです.授業担当コマがピーク時で15コマ/週に満たないくらいだったため,比較的予習にも時間を取って毎回臨むことが出来ていたのと,毎回予習・準備をした分まで授業が終わらなかったため,結構次回,次次回分くらいまでの準備をストックできたということもありました.

あとはなんと言っても,直接人と話すのが楽しかったからです.
それはたとえどんなに怠慢な生徒でも,対面コミュニケーションそのものが楽しかったし,運が良ければ放課後も遅くまで質問対応出来た時がありました.確かに帰りの電車では寝てしまいますが,授業でも放課後でも質問対応の時間ほど自分にとって充実した時間は無かったです.このときの自分に大きく欠如していた「未知を学ぼうとするエネルギー」みたいなものに久々出会えて本当に嬉しかった.

SNSを全てアンインストールした

前回記事に続いてしつこく再掲失礼します.
が「なぜスマホからSNSを全てアンインストールしたのか」について割ときちんと言葉にできていますので是非.

SNS見なくなった理由としては大きく2つあります.

1つ目の理由としては,前述の通り教員になったからです.
SNSを当たり前に使う世代,先生をネット検索する生徒が居てもおかしくないと思いました(自分が探されるに値する先生であったかは置いておいて).鍵垢にするのも逆に怪しまれそうだし,そんなに隠すようなことはしていなかったので,更新をストップすると言う形で放置アカウントにしました.

2つ目は,やはり投稿に対して一喜一憂するのが怖くなったと言うか,嫌になったと言うか…というところです.
対面での診療に持っていたメモにも書きましたが「SNSで見る批判的な投稿は,きついと思う」とある通りで,例え生産的な議論としての批判であったとしても,第1印象で何か言葉がきつく感じてしまっていました(バイアスかかっているなぁとは自覚しています).
だったら開かなければ見て気分が落ちることは無いと思い,家族との連絡手段であるLINE以外全てアンインストールしました.

YouTubeとの付き合い方
しかし,SNSはアンインストールしましたがyoutubeはインストールとアンインストール繰り返していました.SNSを見なくなった分,youtubeがインストールされているときはスマホでyoutube見まくって1日終わっていたこともありました.

slackは見るワークスペースとそうでないワークスペース完全2極化しましたが…

なので,iPhoneの設定でyoutube(とtiktokあわせて)1時間半使用したら制限がかかる設定にしています.本当に見たいときはPCでyoutube見れば良いのと,PCでyoutube見ると,デスクトップのスティッキーズに書かれているToDoを見て焦りを抱くようになったので,結果いい方向へ収束したのではないでしょうか.

運動する時間をわざわざ設けた

年末だいぶダブルダッチというかフリーロープというかをしていたのと,エニタイムフィットネスに登録しました.他県への引っ越しも挟みましたが,自分の地域だと大体月額7800円前後で24時間シャワーもジムも使いたい放題なので,夜中出歩きたくなったときは散歩の前後に必ず寄っていました.

風呂入れない日が続いてビビっていた時へ,さよならを告げた
というのも,ジムへ行って帰ると絶対湯船に入りたくなりません??
この自分の欲を利用して「お風呂に入れない日が続いて,またそれを認識して更に落ち込む」というループを断ち切ることができるようになりました.し,結局帰って疲れてお風呂すら無理ってときは,予めジムでシャワー浴びて帰っていました.

自分の体重g分のタンパク質を1日で摂取するくらいになった🍖
ジムに通い始めたおかげで,タンパク質を摂るようになりました.
鶏肉と白身魚とブロッコリーたちが,私の推し食材になりました.
それと,プロテインは本当に良いおやつです.昔からスタバへ通うことはあまりありませんでしたが,健康的なフラペチーノを毎日何杯でも飲めると思うと,頭が単細胞すぎるおかげでそれだけで気分が上がるんですね.基本おうちのプロテインで十分満足ですが,もし出先で持ってきたプロテインがなくなってもう1杯ほしいときはマツモトキヨシのホエイプロテインのパックに課金していました,ご馳走様.

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最後,まとめと長いむすびたち.

まとめ

話をまとめると,
病院行って薬飲みつつ,非常勤講師(教員)として働いていました.私生活ではSNSを全てアンインストールして,運動するようにしていたので,気分的にも体力的にも(少し社会的にも)回復できかけている
という感じです.

むすび

不謹慎を重々承知で言うと,今回陥った精神状態は,いじめられて自殺したい人とかの思考回路と多少似ている部分があるのかもしれないと思っていました.人間は窮地かつ精神的な孤独に陥ると,思考が浅くなり,何も思い浮かばなくなります.クリエイティブさは皆無,パターン化された行動ですら頭が追いつかなくなったり面倒になることもあります.そして思考回路がどんどん短くなるので、ゆくゆくは短絡的な思考へ陥ります.希死念慮もこの短絡的な思考の1つです.

悲劇のヒロインぶってるとでも思ってくれればもうそれでいいです.辛かったと思う気持ちだけは自分しか知らないノンフィクションなので.

教員を経験させていただいて
自分たちの時代以上に指導要領の内容が分厚くなっていって,いまの中学生高校生は,国や大人の決めた「学ばなければいけない内容」が多すぎる.でもそれでも授業内容に少しでも興味があったり,無限に質問対応受け付けていたら止まらない止まらない.そしてさらには,途中で挫折してしまった生徒たちにも声をかけていくと,また再び彼ら彼女らは歩みだしていくんですよね.

正直中退を控える中で,中学生高校生の好奇心のまま時間の許すがままに目の前のことへ“のめり込む“姿は,励みを与えてくれました.やはり「中退考えている大学院生が中学生高校生に向けて偉そうに授業している」のは自分にとって心の痛むことも多かったですが,それ以上に「なにくそとギャフンと言わせたれよ!」的な下剋上野望感をより強烈に抱くようになりました.勝手に背中押されたんですわ.きっとまたどこかで自分は大学院入り直す気がします.

大学の先生は優秀な学生が本当に大好きです.(必ずしもそうではないと思うけれど)
それはなぜかと言うと,忙しいからというのが1つ理由として挙げられます.中高の職員室ですら,学力別クラスや特筆すべき生徒がいれば「優秀なクラス」「出来ないクラス」と呼んでしまう先生もいたくらいです(こういう発言許されてる感覚が分からない).
大学教員もそんな忙殺された時間の中,手っ取り早く研究室の成果を上げるなら,研究室内の知的生産活動を維持・担保をしていくためにも,優秀な学生,研究の”できる“学生を揃えていく(=出来ない人は勝手に辞めていったほうがいい)以上に効率的な方法はないでしょう.プロ野球チームでいう読売ジャイアンツのように.

そんな中で自分のような劣等生はどうしても,やる気がないように見えてしまう.また優秀な人ほど他人の無知な姿を見てイライラする人もいたりするもので.
だから,そんな心理的安全性の無い環境にいることが間違いであったと猛省しています.もっと身の丈に合った環境へ行くべきだったのでしょうね.

ただどんな環境であれ,どうしても自分が向いていない学問領域でも,学びたいなと思い,勉強し続け,何か少しでも(例え研究費が充てられにくくても倫理的にOKな範囲で)小さい研究テーマから立てれるようになりたいと動き続けることは,いけないんですかね?みすぼらしく見えるものなんですかね??

「こんなのも知らないのかよ」と1度でも思ったことある人間たちにですら,到底理解し得ない世界線が存在することを知れました.いつしか自分は双方の世界線を結べる人間になれたら…と祈り,今日も動き続けていくこととします.

編集後記

今だからこうして書いて,字面を読み返せるところまでになりましたが,やはり前回記事と今回,書いている途中で涙が出ました.普通に思い出すだけでも自分にとってはきついし辛いししんどかったです.だからカメラの前で話すのではなく,自分のペースで考えながら書けて,文がおかしかったら後からでも修正できる方法でまずは記録と記憶を残します.

昨年末(2021年末)時点では,今の状態を多分金輪際誰かに話すことはないだろうなと思っていました.でもなぜかこのタイミングで文字にしたくなってしまったのは,どこかに置いてきたはずの自己承認欲求がまた戻ってきたからでしょうか.少しでも読んだ人の役に立てば(酒のつまみにでもすればいい),それはそれで良いなと考えています.

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